タグ・ホイヤー「モナコ」の誕生50周年を記念した、特別限定モデルが9月末に東京で発表された。多くの時計好きに愛されるモデルだが、それまでに数奇ともいえる歴史があったことをご存じだろうか。
タテ・ヨコともに39㎜のスクエアケースに、鮮やかなブルーダイヤルのクロノグラフ。1969年に登場したホイヤー「モナコ」は、現代の眼で見ても、アヴァンギャルドというほかないだろう。クロノグラフのプッシュボタンはケース右側にあるのに、リューズは左側というスタイルも独特。あまりにも斬新だったためか、同年3月にニューヨークとジュネーブで同時開催された発表会での反応は、冷ややかだったという。
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しかしながら、角形防水ケースに自動巻きクロノグラフという2つの「世界初」を備えた本格派だけに、脚光を浴びるまでにそれほどの時間はかからなかった。ところが、79年に販売終了。ブランドがホイヤーからタグ・ホイヤーと名称を改めた後の98年に復活し、今年で誕生50周年を迎えたのである。
誕生50周年記念の限定モデルは、「モナコ」の半世紀を10年ごとに再構成。
「『モナコ』はジャック・ホイヤー(現タグ・ホイヤー名誉会長)の独創的な発想と感性から生まれました」と語るのは、タグ・ホイヤーのヘリテージディレクターであるカトリーヌ・エベルレ-デュヴォー。同社の歴史的なタイムピースなどを現代に伝える役割であり、貴重なモデルの買い付けや復刻版なども企画・管理している。今回の「モナコ」誕生50周年記念特別限定モデルでも、20年間の休眠を挟んだ「モナコ」の半世紀を10年単位で区切り、それぞれの時代からインスパイアされたデザインを、5種類のダイヤルで再構成するというユニークな試みを展開。それぞれ世界169本限定で順次発表されては即完売を繰り返し、最終版となる第5弾の発表が待たれている。
あまりにも革新的なために時計業界の度肝を抜いた「モナコ」だが、1971年公開の映画『栄光のル・マン』でスティーブ・マックイーンが腕にしていたことで、たちまち人気が沸騰。ただし、デュヴォーは「『モナコ』の顔となる代表的なダイヤルは、この“マックイーン”モデルしか見当たりません」と指摘する。モノトーンが常識だった時代にブルーをダイヤルに採用したのは画期的だったが、それだけに印象が強すぎたといえるかもしれない。「このコレクションの可能性をもっと強調したいというのが、50周年特別限定モデルの意図。これらのカラーバリエーションによって、次の50年に向けた様々な変化や可能性を示唆しているのです」
50周年特別記念限定モデルは、名前の由来となった地モナコで第1弾「モナコ1969-1979リミテッドモデル」を発表。第2弾「1979-1989」はマックイーン主演の映画にちなんでフランスのル・マン、第3弾「1989-1999」はフォーミュラE選手権を控えたニューヨーク、そして今回は活発に変貌を続ける東京となった。「モナコの発表当時から10年おきに新作を出していたらと想定しました。第1弾はカーキグリーンにコート・ド・ジュネーブ装飾。第2弾はモータースポーツを代表するディープレッド。第3弾はアーバンスタイルでコンクリートカラーのグレー。第4弾はファッショナブルでモダンなツートーン。最終の第5弾は2009-2019の時代からインスパイアしたデザインを発表します」
2つの好機を結び付けたジャック・ホイヤーの慧眼が「モナコ」を生んだ。
1969年はクロノグラフにとって特別な年といわれる。自動巻きムーブメントが、ホイヤー(共同開発、後述)とゼニス、そして日本のセイコーから発表されたからだ。まったくの偶然であり、発表や発売時期が微妙に違うだけなので、いずれも同着の世界初といって差し支えないだろう。ちなみに、クロノグラフは3針時計に比べて圧倒的に部品点数が多いため、単純に自動巻き機構を追加すれば、ケース厚は2倍以上になるといわれていた。この難題をクリアするクロノグラフ・ムーブメントの新規開発には多額の投資が必要になる。当時のCEOだった4代目のジャック・ホイヤーは、ブライトリング、ハミルトン・ビューレン、そしてデュボア・デプラと共同することで開発に着手。完成までに3年の歳月を費やしたが、ジャック・ホイヤーには確かな勝算があった。
自動巻きは大きな半円形ローターが回転してゼンマイを巻き上げるのが一般的だが、小さなローターをムーブメントの中に埋め込む方法もある。ケースを薄くできることがメリットだが、これを1957年にいち早く開発したのがビューレンだった。ジャック・ホイヤーは「これが自動巻きクロノグラフの基礎になる」と確信して複数の時計ブランドと提携を試みたが、時期尚早で交渉は頓挫。クロノグラフの売上げが低迷していた60年代後半に再び取り組むことにしたのである。
かくて新開発のムーブメント「クロノマティック」は小径のマイクロローターを搭載。さらに通常の時計機構にクロノグラフを載せるモジュール方式、つまり2階建てになっていた。後年になって一般化した方法であり、それだけでも先進性が分かる。ただし、設計段階でリューズが左側に。「右側に移動しようと試行錯誤する技術者に『そのままでいい』と指示したのがジャック・ホイヤーでした」とデュヴォーは語る。
ジャック・ホイヤーが左リューズを許可したのは、手で巻く必要がない自動巻きを強調できる、絶好のアピールポイントになるからだという。それだけでなく、ケースメーカーのエルヴィン・ピケレが開発した角形の防水ケースにも60年代に出合っていた。「クロノマティックはもともと『オータヴィア』と『カレラ』のために開発されたのですが、彼は3本目の柱を作ろうと考えていました。ピケレが持ち込んだ角形ケースはクロノグラフも搭載できる頑丈なケース構造。それを見て、彼は即座にピケレと独占的な契約を結んだのです」とデュヴォー。当時は角形ケースの防水化は困難とされていたが、ごく簡単にいえば、小さな箱にムーブメントを収めて、その上からやや大きな箱をカバーとして圧着させる構造になっていた。このケースによって、世界が驚嘆したアヴァンギャルドな大型スクエアケース(50m防水)の自動巻きクロノグラフが誕生したのである。ビューレンのマイクロローターと、ピケレの角形ケース。この2つの好機を見逃さず、新しいクロノグラフに結び付けたジャック・ホイヤーの慧眼が「モナコ」を生んだといっても過言ではない。
“マックイーン”モデルで世界的な名声を得た「モナコ」は、それを追い風として様々なバリエーションを発表。ところが1972年にビューレンが経営不振で解散。そのせいか、同年から右リューズの手巻きムーブメントを搭載したモデルが追加される。左リューズの自動巻き「クロノマティック」も生産を続けたが、オイルショックやクォーツ隆盛などから79年に販売は完全終了。それから20年という長い休眠を経て、復活したのは1998年。工作精度やパッキンなどの性能向上から、ケースは一般的な2ピース構造だが、防水性能は100mにアップ。プッシュボタンも、丸形からケースに合わせた角形に変更されている。ただし、リューズは右側。初期型と同じ左リューズは2009年の「モナコ40周年復刻版」まで待たねばならなかった。15年にはこのモデルを定番化。そして今回の50周年を迎えることになった。「20年も休眠した後に復活するなど、数奇な運命といえるでしょうね。これだけ生き延びてきたのですから、タグ・ホイヤーのアイコンでありレジェンドとして、今後はしっかり守ってあげたい」とデュヴォー。半世紀を経ても決して色褪せることのないアヴァンギャルドに、次の50年に向けた新しい生命が吹き込まれつつある。
問い合わせ先/タグ・ホイヤー TEL03-5635-7054