天才絵師・葛飾北斎を演じた田中泯が語る、魂が動く表現の瞬間とは。

  • 写真:岡村昌宏(CROSSOVER)
  • 文:久保玲子
  • スタイリング:九(Yolken)
  • ヘア&メイク:横山雷志郎
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絵師・葛飾北斎の謎多き生涯に迫る映画『HOKUSAI』。青年期から晩年までを辿る本作の中で、世界的にも有名な『冨嶽三十六景』を生み出した老年期の北斎を演じているのが田中泯だ。緊張感に満ちた、圧巻の演技をスクリーンで見せた田中に話を聞いた。

森羅万象を描き、ゴッホやモネら印象派をはじめ世界のアートシーンに多大なる影響を与えた絵師、葛飾北斎。生誕260年にあたる2020年、謎の多い天才絵師に迫る映画『HOKUSAI』が発表された(公開は21年に延期)。

版元・蔦屋重三郎との出会い、『神奈川沖浪裏』誕生、戯作者・柳亭種彦との邂逅といったターニングポイントをつなぎながら、その青年期を柳楽優弥が演じ、70代で『冨嶽三十六景』を描き江戸の町人文化を席巻、「あと5年生かしてくれたら真の絵描きになれるのに」と言い残して90歳で亡くなるまでの晩年は、田中泯に託された。

映画初出演作『たそがれ清兵衛』以来、唯一無二の存在感で映画界に新風を吹き込み続ける世界的ダンサーの田中は、一心不乱に己の絵を追い求めた葛飾北斎の魂をスクリーンに呼び込む。北斎への想い、そして自身について、語ってもらった。

「常識」に対する北斎の姿勢を伝えたかった。

生涯において、93回引っ越しをしたという北斎。掃除する間を惜しんで絵を描き、散らかれば転居していたという。病も自作薬で治し、絵に没頭していた50代半ばからの北斎を、田中泯が演じる。

文化文政時代の江戸の町。喜多川歌麿、東洲斎写楽らの人気を横目に、目指すものが定まらない若き日の北斎を演じた柳楽から田中にバトンが渡されると、映画からは妖気が立ち昇り、少ない言葉の一つひとつが、あらかじめ書かれた台詞とは思えないほどに迫ってくる。

「台詞はどれも、もともと脚本にあったものです。その中で僕がうれしかったのは、北斎の常識に対するある種の姿勢が描かれていること。常識や法律が変わり続けながら社会の中に存在していくのは悪いことではない。けれども、その常識や法律が人を縛るものになってはならないんです。そういったものは僕自身、根本的に疑ってかかるべきだと思っていますが、北斎という人は、あの時代にあって、常識などはなっから相手にしなかった。その素晴らしさが観る人に伝わったら素敵だなぁと思いましたね」

田中泯(たなか・みん)●1945年、東京都生まれ。クラッシックバレエとモダンダンスを学び、74年から独自の舞踊活動を開始。78年にルーヴル美術館において海外デビュー。2002年に『たそがれ清兵衛』で映画初出演、日本アカデミー賞新人俳優賞、最優秀助演男優賞を受賞。『隠し剣鬼の爪』(04年)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05年)、『アルキメデスの対戦』(19年)、『峠 最後のサムライ』(20年、近日公開予定)など、唯一無二の存在感でスクリーンに登場。シャツ¥26,400(税込)/Y's BANG ON!(ヨウジヤマモト プレスルーム TEL:03-5463-1500) 他はスタイリスト私物

世に名高い『北斎漫画』は北斎55歳の時の作品だ。プロシアで発明された化学染料「ベロ藍」を駆使した『冨嶽三十六景』で、ブレイクを果たしたのが70代。映画の中で、ベロ藍を手に入れた興奮のあまり、降ってくる雨とともに田中が青絵の具を浴びる歓喜のシーンは圧巻だ。それは田中にとって、北斎と一体になって自然と体が動いた瞬間なのか。スタッフに「北斎が逃げていってしまうから、早く撮ろう」と声をかけたというが、まさにいま、北斎が私の中に居るという感覚だったのだろうか。

米「LIFE」誌が組んだ「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」特集に、日本人で唯一選ばれたのが、葛飾北斎。映画『HOKUSAI』では、森羅万象を描いた北斎が、日本の風景や江戸の社会をどう見つめていたかが描かれる。

「こんな感じでと、脚本には動きも動機も書かれていて、監督から押さえてほしい点も指示されます。頭の中で自分の動いている姿を想像し、リハーサルなしの即興で、運よく一発でうまくいったわけですが。う〜ん、感覚でもないのかな、難しいね。幻想かもしれないですが、見たことも、触れたこともない北斎の身体に入ろうという意識はもちろんあります。だから、入った瞬間に北斎になっているのかもしれない。でもそれは僕という脳の働きの中でシフトするもので、トランスするといったものではない。自分の状態を見届けている、もうひとりの自分がいるというか。それも、ひとりやふたりじゃないかもしれません」

田中が考える踊り、そして表現とは?

「弟子には、いつでも一人前になれる権利をもっていると言ったに違いない。トレーニング、レッスンというより、ワークショップという概念の方が強かったと思う」。弟子の面倒を見なかったと言われる北斎についても、田中自身の持論がうかがえる。

取り憑かれた神奈川沖の波裏を描くための、理想の青に出合った北斎。その歓喜は、田中の踊りにとって、なにに匹敵するものなのか。

「踊りというのは画材もなければ、筆もなく、紙もないんです。よくダンスの先生方が、自分の身体を素材として使っている、道具として制御して駆使しているとおっしゃるけれども、それは要するに、見る側の美意識に奉仕しているんです。美意識というのは、これもまた時代によって変わっていくし、悪く言えば流行みたいなものですよね。でも本質的な美と、私たちは出合いたい。僕はいまだに世界が思っている『踊り』に満足していない。言ってみればアンチですね。いまの踊りはほとんどスポーツのようで、踊った本人が感極まって泣いたりしているけれど、そんなものじゃない。踊り自体はメディアですから、絶対に個人のものじゃないんです。目に見える私の身体も、私のものじゃない。私の中で生きているDNAが表現しているだけで、私自身はヤドカリみたいなもの。この身体の中に、私は居るということなんです。このことは当然の道理なんだけれど、いまだに私たちは個性、自己主張、自意識といった、『自分』という言葉に躍らされている」

北斎は、柳亭種彦(永山瑛太)の妖怪モノの戯作に惚れ込み、挿絵を描くようになる。武家出身にありながら、己の創作意欲を止められない種彦の生きざまにも、年の差を超えて共鳴していた。

さらに田中は、舞踊を芸術だと思う必要もまったくないという。資本主義が台頭してきた19世紀に、舞踊を芸術にしてしまった人たちがいたというだけのことだ、と。そんな田中の踊りを極限という言葉で表そうものなら、それは即座に否定される。

「踊りは人類すべてがやっていたもので、極限じゃない。人類が言葉を発見する以前から、私たちは間違いなく、身体を駆使してコミュニケーションしていた。ここに踊りの原型があると僕は思います。それは形というより、魂の話だろうと思います」

「いまだに人間の年齢や身分による上下、家庭における親子の関係といった、いつ破っても構わない常識がまかり通っていることにイライラします。北斎もイライラムカムカし、言葉を使いたくなかったんだろう。だから、ひも解けばひも解くほど不思議な、革命的な絵が残ったんだと思います」

発想もテクニックも独創的だった北斎にとって、人づきあいの基準も常識によるものではなく、魂があるかないかだった。武家出身で、息子ほども年齢の離れた劇作者、柳亭種彦との邂逅は、映画ではいまもなお謎が残る肉筆画『生首の図』のエピソードを盛り込んで語られる。筆を折ることを迫られる種彦との物語では、描くこと・書くことに命をかけた人間の魂の共鳴が、観る者の胸を震わせる。

「物書きには原稿用紙が必要で、墨もすらなきゃならないし、絵描きなら絵の具を出して並べたりしなくてはいけない。その手順のいったいどこらへんから表現に入っていくのかわかりませんけれども、でも僕はそこに魂があると思うんです。いろんな芸術の人たちと話しても、表現している時間の楽しさ、素晴らしさを話すことはあまりない。表現する前は、種明かしするのが損だと喋らない一方で、表現後の作品の話はものすごくするわけです。僕にとって、いろんな手順を発見した時の歓びとか、いちばん楽しいのは表現している最中なんだよねっていう話ができるのは、杉本博司ですね。いちばん魂が動いているのは、つくっているその時間だと。北斎と種彦も、わかり合っていたと思うんです」

贅肉が一切、削ぎ落とされた身体から静かに発せられる声は、話題が踊りの本質、魂の話の方へ向かうと静かに熱を帯びる。その低く響く声は、時空を超えて自由な画狂人、北斎と魂を交わした人のものだった。

『HOKUSAI』

監督:橋本 一
出演:田中 泯、柳楽優弥、阿部 寛、永山瑛太、玉木 宏ほか
2020年 日本映画 2時間9分
2021年公開予定
https://www.hokusai2020.com