スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通して、埋もれた歴史を掘り起こします。駅周辺の大規模開発が進む渋谷は、これまでも時代によって印象を大きく変えてきました。今回も引き続き「渋谷は子どもの街か、大人の街か」という切り口でこの街をひも解きます。
さまざまな視点から、渋谷が大人の街か子どもの街か考察を続ける速水さん。続いて、渋谷を舞台に学生運動世代が登場するふたつの作品を紹介してくれました。「学生運動と渋谷」とはあまり見慣れない組み合わせですが、果たしてここからなにが浮かび上がるのでしょうか。
広末涼子が「ちょっと苦手」と歌った、90年代末の渋谷。
主人公は、30年ぶりに渋谷の街に帰ってきた男。男はかつて学生運動で警官を傷つけ殺人未遂に問われ、文化大革命の起きる中国へ逃亡同然で脱出した。その後、農村部で中国人として生きることを余儀なくされるが、犯罪組織である蛇頭を通して不法に帰国。降り立ったのは、90年代末の渋谷だった。
街並みも人の様子も、以前とは一変していた。男は、共産主義の国から資本主義の国に来たのだが、むしろ子どもの国に来てしまったと思っただろう。渋谷に集う少女たちは髪を脱色し、短いスカートを穿き、ジャラジャラとひも(ストラップ)の付いた小さな発信機(携帯電話)をもっている……。ちなみに90年代末は、アムラー全盛のちょっと後、ガングロギャルの時代だ。広末涼子が「渋谷はちょっと苦手」と歌ったあの頃でもある。(『MajiでKoiする5秒前』1997年、作詞・作曲:竹内まりや)
この小説は、矢作俊彦の『ららら科學の子』。公衆電話で昔の友人に連絡を取る。104の番号案内サービスは変わらない。しかし、東京の番号が8桁(1991年~)になっていることを知る。いろいろと勝手がわからない中、主人公は飯を食う場所を探す。
初めて見る駅前の東急109ビルの隣に昔ながらの「元祖くじら屋」を見つける。建物こそ変わっているのだが、1950年創業なので渡航前の記憶が残っていた店だ。長くこの地で営業してきたが、2019年7月末でこの地での営業を終了し10月に道玄坂に移転するそうだ。
男はとりあえず、どこかにいるはずの妹を探して渋谷周辺の街をさまよう。そして、やっと見覚えのある場所にたどり着く。東急文化会館である。
「東口に出た。人はいくらか少なくなっていた。大きな新聞スタンドの向こうで、地下鉄の高架線が、バスターミナルの上空を横切っていた。ガラス張りの連絡橋がそのすぐ下に横たわっていた。連絡橋は、東横線の駅といくつもの映画館が入ったビルを結んでいた。ビルの屋上には、プラネタリウムのドーム部屋が銀色に輝いていた。どれも、想い出よりずっとちんまりしていた。決して見すぼらしくはなかった。見すぼらしいのは、むしろ周囲ににょきにょきと丈を競ったビルだった。高いばかりでやせ細ったビルは、街を大きくしているのではなく、ただ空を狭くしているだけだった」(『ららら科學の子』矢作俊彦 文藝春秋)
30年経った渋谷にそのまま残っていたのが東急文化会館(1956年~2012年)だった。主人公は、西武が中心的な役割を果たしていた80年代の渋谷を知らない。パルコも知らない。糸井重里の「おいしい生活」も知らない。そして、セゾン文化がほぼ失われた後の渋谷に戻ってくるのである。主人公に見えているのは、東急の街としての渋谷だ。
東急の創業者である五島慶太は、他の地域にはない文化施設を渋谷につくりたいという意図をもって”文化会館”を開業させた。目玉となったのが日本最大級のプラネタリウムだった。初年度(営業開始は1957年)の入場者数は、74万人と大成功。ちなみにこの施設での最大のイベントは69年、アポロ11号の月面着陸の中継だった。NHKとヒューストンを結んだ宇宙中継三元放送が行われたという。『ららら科學の子』の主人公が日本を離れたのと同時代だ。プラネタリウムの閉館は、2001年。追って東急文化会館も03年に閉館している。その場所は渋谷ヒカリエ(12年~)となった。ただ、小説にも描写される「ガラス張りの連絡橋」はいまも渋谷ヒカリエと渋谷駅をつないでいる。
前回取り上げた映画『チ・ン・ピ・ラ』にも、背景に1984年の東急文化会館が映っていた。『ららら科學の子』の主人公が渋谷を去った約15年後。『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』と『炎の少女チャーリー』の2作品のポスターがかかっている。文化会館には、4つの映画館が入っていた。なかでも最大の劇場がパンテオンで、客席数は1,119席。2階席だけで400名分である。シネコン時代の現在を上回る大きな劇場があったのだ。同会館4館の歴代動員数のベストは83年公開の『E.T.』だった。
ランドマークすら残さず、変わり続けるすがすがしさ。
渋谷ヒカリエの他に、ストリーム、ソラスタ、フクラス、キャスト、ブリッジ、スクランブルスクエアと次々と新たな商業施設が渋谷に誕生している。しかしこれらを日常的にすべて把握しておくのは難しく、この原稿でフォローするのもあきらめている。気づけば、東急東横線渋谷駅舎時代のかまぼこ状のホームの屋根もなくなっていた。70年代のドラマにおいて渋谷であることの目印が、この駅舎の屋根のデザインだった。2013年の東京メトロ副都心線との相互乗り入れ開始を機に、東急東横線地上渋谷駅舎は役割を終えた。現在は、そのアーチ型のデザインは、渋谷駅と渋谷ストリーム(2019年~)をつなぐ高架の屋根の形状にかろうじて残されている。
小説のタイトルである「ららら科學の子」は、もちろんアニメ『鉄腕アトム』のテーマ曲のフレーズから取られている。小説内でも、主人公が広告に使われているアトムのポスターを目にする場面がある。鉄腕アトムは原子力をエネルギー源としたロボット。心優しいアトムは、いつもロボットと人間の間に立たされ、悩んでいる。そして、彼は永遠の少年でもある。
前回取り上げた映画『太陽を盗んだ男』では、沢田研二演じる主人公の理科教師が鉄腕アトムのテーマを口ずさむ。彼もアトム同様、大人になることを拒む。『ららら科學の子』と『太陽を盗んだ男』。主人公はほぼ同世代ある。アトム世代。学生運動世代。
『太陽を盗んだ男』の主人公は、つくり上げた原爆を盾にローリング・ストーンズの来日公演実現など非政治的な内容を政府に突きつけ続ける。まわりの連中は、就職という形で社会へと吸収されていった。それが映画公開時の約10年前。彼らは大人になることを選んだ。そんな従順さに反発を感じたのだろう。沢田演じる主人公は、革命に失敗した世界でアトムのテーマを口ずさみながらひとりで運動を続けている。世界を変えるためではない。そんな未来を見ているわけではないことは、菅原文太演じる刑事との会話の場面で伝わる。「この街はとっくに死んでいる」。壊すまでもない街を壊そうとしているのだ。
映画の中には、学生運動を思い起こさせる場面が描かれている。主人公からの脅迫電話を受けた警察が逆探知に成功する。犯人のいる場所は、東急東横百貨店屋上公衆電話。デパートの入り口を封鎖しようと盾を持った警察隊が東急を取り囲む。学生運動での東大安田講堂落城を彷彿させる場面だ。
一方、『ららら科學の子』の主人公は、学生運動の絶頂期に日本を離れてしまった男。30年経った日本が共産主義の国にならなかったことは当然知っていたはず。それでも街にあふれる広告や商品の数は、想像を超えていたのだ。なにより、かつての渋谷の延長線上にあるとは思えなかった。とはいえ、彼が帰ってきたのは1990年代末の渋谷。当時は、まだこの街が渋谷と確認できるだけのランドマークが残されていた。もし彼が2010年代末に戻ってきたのであれば、この街を渋谷と認知すらできなかっただろう。
彼らほどの絶望を抱いている人は少数だろうが、広告と新しいビルにあふれた渋谷の街を「ちょっと苦手」と思っている人は多いかもしれない。しかし見方を変えれば、勢いよく変化して過去の一片も残さないすがすがしさもある。街をノスタルジーだけで語るのも、またつまらないのだ。