ライターの速水健朗さんが、過去のドラマや映画、小説などを通して東京の埋もれた歴史を掘り起こす。かつて最先端とされた西新宿の超高層ビル群は、いま改修に向け転機を迎えようとしている。1970~80年代にそれらはどう捉えられ、現在はどのような状況に置かれているのだろうか。
西新宿が超高層ビルの立ち並ぶ街として発展を遂げたのは1970年代から。意外にも、既に50年近い月日が経とうとしている。ビル群は時代の先端を象徴するものとして多くの小説や映画で映し出されてきたが、いまやその存在は懐かしさすら感じさせる。今回、速水さんは当時の作品をひも解き、現在の超高層ビル群の姿を確かめるべく足を運んだ。
最先端の街だった西新宿を、村上龍はディストピアとして描いた。
日本にコインロッカーが登場したのは、1964年の末である。思ったより古い話ではない。それ以前の駅では、手荷物預かり所が利用されていたという。
その登場から数年後、駅や駅地下のコインロッカーに嬰児(えいじ)が遺棄される事件が続発する。主には渋谷駅や新宿駅、新宿駅西口地下。「コインロッカー・ベイビー」という言葉が使われ始めるのは、72年頃のようだ。嬰児を捨てた親たちは、なぜコインロッカーを選んだのか。棺としてふさわしく見えたのか。嬰児が泣き出した時に誰かが気づくことを見越してそこを選んだのか。ともかく、コインロッカーという都会の真ん中に置かれた無機質な装置に、生まれて間もない子どもを捨てる親たちの存在は、社会に強いインパクトを残した。
村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』は、デビューから3作目にあたる大長編小説。ハシとキクという72年生まれのふたりが主人公だ。彼らは、コインロッカーに放置された嬰児の生き残りである。
小説の刊行は1980年。西新宿がゴーストタウンになる物語である。小説内の西新宿は、超高層ビル群の重みによって地盤沈下が進んでいる。土壌からは有害物質が発生。地域全体が金網フェンスで封鎖され、隔離が行われた。ビルは取り壊すこともできずに廃棄。地下街を多く含むこのエリアにホームレスや犯罪者、麻薬のディーラー、娼婦などが住み始め、「薬島」と呼ばれる無法の街が形成されていく。薬島の脇には超高層ビルが13本立っていると記される。スラムとビル街が隣接した街。東京のど真ん中に、隔離された別社会が生まれている。
主人公のひとりであるハシは家出をし、薬島で男娼として生きている。キクも家出したハシの後を追いかけ、この薬島に潜入する。ハシはここで歌手としての才能を見出され、外の世界で歌手としてデビュー。薬島の男娼だった話は隠すべき過去となる。一方、キクは会いに来た実の母親なる人物を、テレビの生中継が行われている最中に撃ち殺し、逮捕され刑務所に入ってしまう。
70年代に最先端の超高層ビル街だった西新宿を、村上は徹底したディストピアとして描いた。実際の西新宿はその後、小説とは違いさらなる発展を遂げている。71年に京王プラザホテル、74年に住友三角ビルや旧KDDIビル、新宿三井ビルと続き、76年に当時の安田火災ビル、1978年に新宿野村ビル。この辺りまでが初期メンバーといった感じだろうか。91年に都庁が越してきて、2000年代以降はタワーマンションの再開発ラッシュ。そして、初期メンビルは50年弱の歴史ある建物にもなった。
ちょうどいいヴィンテージ感を醸しているのが、2番目の古株である通称“住友三角ビル”(正式名称は新宿住友ビル)。51階には展望ロビーがあり、ビル全体を再現した模型がオープン時から飾られていた。隅の方にはコーヒーを売る売店があった。子どもの頃に親に連れてこられたことがある。その後も何度かここを訪れているが、ほとんど変わっていなかったはずだ。案内板の文字のデザインなど、すべてが70年代レトロ調だった。
地下には住友三角街という小売店が並ぶ地下街があった。模型店に切手商、製靴店もあった。本当に時間が止まっていたかのような場所。だが残念ながら、2020年6月のリニューアルに向け、現在は改装工事中。ここ数年でどれもなくなってしまった。この取材をあと2年早く行っていれば、古きよき70年代超高層ビルの香りを味わうことができただろう。
発展を象徴する高層ビル群も、いまやノスタルジーに。
49階から上のフロアに入っていたレストランは、店舗数が極端に減ったがまだ一部残っている。思い出すのは、ハイ・ファイ・セットの「スカイレストラン」(ソニー・ミュージックパブリッシング 1975年)という曲だ。ヒロインは、会わなくなって時間が経った恋人からスカイレストランに呼び出される。どこの街かはわからないが、新宿の可能性はある。なぜなら、当時は超高層ビルのある街が限られていたからだ。別れ話が始まるのは明白。相手は新たな彼女を連れて来るかもしれない。ヒロインは髪を洗ってきた。自分のほうがいい女であると思われたいのだ。
地上のレストランではなく、なぜ展望レストランが描かれたのか。都会のど真ん中で、無機質な雰囲気を漂わせたかったのだろう。とはいえ、いまではむしろ“スカイレストラン”という呼び名自体がノスタルジーに包まれている。
住友三角ビルの50階以上のフロアには、かつてエスカレーターが設置されていたがいまはない。以前はここにあった広告が好きだった。巨大なブランデーグラスを片手にネクタイを締めた男の写真。ネクタイは極太でジャケットのラペルも太い。後ろには、バニー姿のウェイトレスがいる。会員制高級バニークラブが最上階にあるのだ。この広告があったのは、15年以上前だろうか。74年竣工時のスピリットは、このエスカイヤクラブの広告とともに失われたのだ。
隣のビル、新宿三井ビルディングの話もしよう。こちらもかなりのヴィンテージビルだ。地下から吹き抜けのオープンな広場がある。「新宿三井ビル55ひろば」。煉瓦敷の床で普段は椅子と丸テーブルが並んでおり、食事やお茶の場として親しまれている。休日にはフリーマーケットも開催されているようだ。
この場所で催される「新宿三井ビルディング会社対抗のど自慢大会」は、ビル開業の1974年から続いているが、近年よく話題に上る。ビルに入居する会社で働く人たちが参加する会社対抗ののど自慢大会なのだが、予選に2日かけ、最終日の決勝戦にはシュレッダーの紙吹雪が舞う。
広場は昔のドラマでよく使われていた。覚えているのは、1980年の日本テレビ系のドラマ『警視-K』だ。勝新太郎主演・監督・脚本の刑事ドラマである。舞台としてよく西新宿が登場していた。勝が日曜日に家族と新宿三井ビルの広場に来る場面があった。
DVDが発売されているが、伝説のカルトドラマとされてきた。難解というか、セリフが半分も聞き取れないのだ。監督の勝は、すべての台詞が集音マイクで拾われるドラマにリアリティがないと思っていたのだ。だがカメラのマイクは、セリフを半分しか拾えておらず、アフレコも当てていなかった。主題歌は山下達郎の「マイ・シュガー・ベイブ」(AIR ⁄ RVC 1980年)。同年の「ライド・オン・タイム」(AIR ⁄ RVC 1980年)がマクセルのCMで使われたのが達郎のブレイクなので、ドラマと同時期である。
79年の映画『蘇える金狼』は冒頭、西新宿のビル街の大写しで始まる。主演は松田優作。丸の内の企業に勤める主人公が、向かいのビルに入る現金輸送のガードマンを襲い、そのまま出勤して金をデスクの下に隠しもつ。彼はその資金を使って自社の上層部の弱みを握ってゆすり、金と権力と女を手にしていく。
まだ西新宿が東京で唯一の超高層ビル街だった70〜80年代は、たいした意味もなく映画に登場していた。『蘇える金狼』の冒頭で大写しにされた西新宿だが、結局この場所はラスト間際にしか出てこない。主人公が手に入れたランボルギーニ・カウンタックで走り抜ける場面として一瞬映るのが西新宿のビル群だ。道路の後ろに住友三角ビル、新宿三井ビル、野村ビル、そして京王プラザホテルなどの初期メンビルがそびえている。それ以外のビルがまだないので驚く。ちなみに、道路の脇にはすっきりとなにもない。その十数年後に新都庁ができる場所を走る道である。
いまさらではあるが、西新宿はノスタルジーの対象となった。80年前後の映画やドラマから当時の痕跡を探しているこのテキスト自体が、それを物語っている。当時の痕跡が残っている場所は、この数年でかなり減ってしまった。そして西新宿の超高層ビル群は住友三角ビルに限らず改修工事のラッシュを迎え、近い将来にその痕跡さえも失われていくだろう。