速水健朗の文化的東京案内。【深川篇②『男女7人夏物語』】

  • 文:速水健朗
  • 写真:柏田テツヲ 
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2020年のオリンピックに向けスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通して、埋もれた東京の歴史を掘り起こします。初回は深川エリア。アートシーンやサードウェーブコーヒーで盛り上がるこの地が、水辺を軸にどのような変遷をたどってきたのかひも解きます。この連載は毎月第1・第2・第3水曜、夜9時公開です。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

隅田川をセーヌ川に見立て、深川エリアに注目していたテレビドラマ『ロングバケーション』と、明治末期の芸術家たちの会合「パンの会」。

深川との接点をもつ意外な作品を挙げた速水さんが続いて向かったのは、隅田川の流れと、川沿いの遊歩道を気持ちよく望める清洲橋です。なんでも80年代のトレンディドラマの先駆けとなった作品が、この場所と深く関わっていたのだとか。バブル期の深川では、なにが起きていたのでしょうか。


前回【深川篇 ①『ロングバケーション』】はこちら

バブル期のウォーターフロントを意識した『男女7人夏物語』

最高視聴率31.7%を記録し、石井明美が歌う主題歌「CHA-CHA-CHA」もヒットした。『男女7人夏物語』(脚本:鎌田敏夫 1986年 TBS 販売元:SPO) 

さて、次に取り上げるのは、ロンバケよりも10年早く東京の川沿いの暮らしを描いたドラマの話だ。TBSテレビドラマ『男女7人夏物語』。このドラマの主な舞台は、清洲橋の両端だった。ロンバケの新大橋よりもひとつ下流に位置する、やはり隅田川にかかる橋である。オープニングのタイトルバックには、隅田川を上る船から撮影した映像が使われている。隅田川沿い、つまり東京の東側を舞台にするという宣言である。

面白いことに『男女7人夏物語』の脚本家・鎌田敏夫は、隅田川をニューヨークのイーストリバーに見立てている(詳しくは後ほど)。ドラマに登場するのは、7人の男女の独身者たちだ。主人公のひとりは、明石家さんま演じる良介。彼が住むマンションは、清洲橋の西側、住所でいえば中央区日本橋中洲に建っている。いまの最寄り駅でいえば東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅だが、当時は半蔵門線延伸以前。数十メートル先の距離にある営団日比谷線と都営浅草線が乗り入れする人形町駅が最寄り駅だったことになる。もうひとりの主人公は、大竹しのぶ演じる桃子。ノンフィクションライターを自称するがまだ駆け出しである。彼女が住むのは、江東区清澄一丁目。最寄り駅でいうと半蔵門線と都営大江戸線の清澄白河駅である。だがこの駅も、大江戸線の開通とともに2000年開業なので当時はまだない。半蔵門線の延伸も2003年のことだ。

80年代、ウォーターフロント開発で整備された川沿いの遊歩道。撮影時、清州橋は東京オリンピックに向けた塗り直しのため改装工事中だった。

『男女7人夏物語』は、トレンディドラマブームにやや先駆けたドラマだった。トレンディドラマは、一般にはバブル期に浮かれた男女が浮かれた恋愛を繰り広げてすぐに忘れられたドラマのジャンルとして受け止められているが、ここではまた別の見方をしてみたい。これを新しい階級を描いたドラマと見ることができるのではないか。都市に住み、若くして専門職に就いて高給を得るアッパーミドル層という新しい階級。アメリカでは、そんな新しい階層が「ヤッピー」と名付けられていた。「ヤング」「アーバン」「プロフェッショナル」という3つの単語の頭文字からできた言葉だ。1985年公開の映画『セント・エルモス・ファイアー』は、アメリカ東海岸のヤッピーを描いた映画として知られる。この映画も“7人”の男女の群像劇。脚本家の鎌田は、その日本版という意図をもって『男女7人夏物語』の脚本を書いたのだ。もちろん『男女7人夏物語』以前にも若者の恋愛を描いたドラマはいくらでもあったが、都会の独立した生活者たちの群像劇として描かれた恋愛ドラマは以前にはなかっただろう。(1983年放映開始のTBSテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』が若者の群像劇を描いた作品の先駆けといわれるが、こちらは実家通いの学生という設定。都会の独立した生活者たちの群像劇という意味では『男女7人夏物語』は新しかった)

『男女7人夏物語』は、ウォーターフロント開発を意識したドラマでもあった。当時はまだ新しかった言葉である。ちょうど隅田川の両脇の川畔は、ドラマが撮られる直前に遊歩道が整備され、注目され始めていた。都市計画家の越澤明は、戦後の都市計画において「水辺へのパブリックアクセスが失われることの重大さを当時、誰も気づいていなかった」と指摘する(『東京都市計画物語』越澤明 ちくま学芸文庫)。たとえば、戦後に護岸のかさ上げのために建設されたカミソリ堤防である。突貫工事でつくられた隅田川の堤防は、都市生活と川面を完全に切断した。当時はまだ、目先の水害に備えるための対策で精一杯、自然と生活を結びつけるといった余裕がなかったのだ。それが80年代になって変化する。人の暮らしと自然の接続が、都市計画の上でも意識されるようになった。ウォーターフロントというとバブル期のカフェバーやディスコと結びつけて語られることが多いが、実際にはそれまでの東京になかった、自然と都市生活をいかに結びつけるかという意識が、この時代に初めて都市計画に導入されたのだ。

川沿い右側の茶色い建物が明石家さんま演じる良介が住んでいたマンション。隅田川の中央区(マンハッタン)側に建つ。

隅田川畔の遊歩道など、東京の都市計画の中に水辺と生活の接続が視野に入ってきた。『男女7人夏物語』にはこうした東京の変化が取り入れられていた。なにより、主人公のふたりは、清洲橋を挟んで向かい合わせの部屋に住んでいる。これは、おそらく良介が住む中央区側がマンハッタン。そして深川側は、おそらくブルックリンという意図が込められている。大手企業(旅行代理店)勤めの「ヤンエグ(当時の言葉。若くて給料の高い企業に勤めているサラリーマンの俗称)」と「駆け出しのライター」でしかない桃子。橋を挟んだふたりの家は、距離的には近いのだけど、橋を隔てた中央区と江東区では家賃の相場が違う。橋を一本渡るとまったく住む人の階層が代わるニューヨークを、東京を舞台に描いてみせたのだ。

30年が経って『男女7人夏物語』で描かれたこの辺りは、どう変わったか。良介が住んでいた側、つまり人形町、水天宮前の街の風景は、かつてのままの情緒が多く残っている。水天宮前に甘酒横丁と名付けられた商店街があり、そこの豆腐屋なども健在だし、隅田川沿いに良介が住んでいたマンションも昔の姿のまま残っている。ちなみに、ドラマの第1話は、良介の部屋の窓の外の光景から始まっていた。川の向こうには倉庫が並んでいる。その辺りが桃子の住む清澄白河。倉庫の光景はいまも当時も変わらないが、一部の建物がいまではシェアホテルやテラス付きレストランに改装されている。リノベーションされたホテルと飲食店がリバーサイドに生まれる。これは、1980年代にはなかったが、2000年代以降にはよく見られるようになる光景だ。特に清澄白河は、ドラマの頃に比べると劇的な変貌を遂げている。

2017年開業、シェアホテルにレストラン型バーベキュー施設とビール醸造場が併設された「LYURO東京清澄-THE SHARE HOTELS-」。

東京都現代美術館とブルーボトルコーヒーという、ふたつの転機。

今年の3月にリニューアルし、連日賑わう東京都現代美術館。木場公園から気軽に入れるようパブリックスペースが整備され、サイン什器も設置された。サイン什器の設計は長坂常、サイン計画は色部義昭。

清澄白河の変化の転機は、1995年に木場公園の一角に建てられた東京都現代美術館の開館だろう。竣工当時の雑誌『Architecture Watching 9』の記事から当時のこの辺りがどんな場所だったかがわかる。
「三方は文化や芸術とはまったく無縁な雑駁な中小のビルや住宅に取り囲まれ、南側の公園も残念ながら空地」(建築評論家・馬場璋造)
「江東区木場の環境とこの近代建築を対比するとこの地におかれなければならなかった必然性が判然としない」(実業家・宮内義彦)
ここに文章を寄せたふたりの専門家は、この辺り(清澄白河)に美術館を建てたことをすんなりとは納得していない。いや、むしろ素直に疑問をいだいている。確かに、周囲は芸術とはなんの縁もないただの住宅地である。かつては、小規模の工場群や倉庫が並んでいたような界隈。いわゆる下町、深川ならではの光景が広がっていたのである。
深川に美術館が建った意図は、都市機能の分散を図っていた当時の都市計画の流れを知るとつかむことができる。1991年に都庁が新宿に移る。東京の中心は、丸の内から新宿に移ったのだ。丸ノ内からまっすぐ西に都庁があり、それと等距離の東に都現美がある。まるでバランスをとるかのように両者は東西に分かれている。

2015年に清澄白河にオープンした「ブルーボトルコーヒー 清澄白河ロースタリー&カフェ」。もと倉庫というスペースの広さや天井の高さと、川が近く排煙しやすいことでこの物件が選ばれた。

東京都現代美術館開館からの20年で清澄白河は大きく変化した。第2の転機はブルーボトルコーヒーの日本第1号店である。最初の出店先として清澄白河を選んだ理由は、ブルーボトルの創業の地であるアメリカ・カリフォルニア州オークランドのような場所だったからという。清澄白河には、空を遮る高い建物がない。木場公園周囲にはタワーマンションも立っているが、近くに木場公園、清澄公園といった公園があるこの辺りの空は見通しがいい。ブルーボトルの第1号店は、倉庫をリノベーションした広いスペースに、焙煎機が設置されている(現在、焙煎機は別の場所に移転)。この前後から清澄白河は、カフェの多い場所となった。


【深川篇③『洲崎パラダイス 赤信号』】に続きます。