自然の事象を応用した作品で国際的に人気の高いアーティスト、オラファー・エリアソンの個展『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』が、東京都現代美術館で開催中だ。エリアソンのことを「尊敬する存在」と語るアーティストのスプツニ子!さんが、会場を訪れた。
光や水など、自然の現象や要素を応用してヒトの知覚を揺さぶる作品で国際的に高く評価されるアーティスト、オラファー・エリアソン。1990年代初めから、写真、彫刻、ドローイング、インスタレーション、デザイン、建築など、多岐にわたる表現で制作を続けてきた作品とともに、近年取り組む社会への行動や思考を深く紹介する展覧会『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』が、東京都現代美術館で開催中だ。
今回、エリアソンの作品との出合いが作家を志すきっかけになったというアーティストのスプツニ子!さんが展覧会を訪問。東京都現代美術館参事で世界的に活躍するキュレーターの長谷川祐子さんの解説を聞きながら会場を回った。エリアソンと親交も深い長谷川さんの話とともに、作品の魅力を探っていこう。
サステイナビリティにアプローチした、実験的な展示構成。
2019年7月から20年1月まで、ロンドンのテート・モダンで大々的な展覧会「In Real Life」を開催したオラファー・エリアソン。さらに遡る2003年、同館で発表した作品『The Weather Project』は、いまも記憶に残る作品として挙げる人が多い。発電所を美術館に再生した同館のタービン・ホールに出現した「人工の太陽」の風景は、多くのロンドン市民を興奮させた。スプツニ子!さんもまた、そのひとりであったという。
「当時、私はロンドンで数学を学ぶ学生でした。話題になっていた『The Weather Project』を見て、初めてアート作品に『尊い』という感想を抱いたことを覚えています。表現の可能性に魅了され、アーティストを志向するきっかけにもなりました。その後オラファーには、マサチューセッツ工科大学メディアラボで彼の「リトルサン」プロジェクトを講演していただいた時にお会いしました」と、出合いを振り返る。
「オラファーはリサーチに力を入れ、そのうえで諸問題にアプローチするアーティスト。私もリサーチを重要視するので共感し、尊敬しています。そしてなによりロジカルでいながら感覚的であり、両者が交差するバランスが素敵ですよね。リサーチをベースに置きながら作品をポエティックに見せ、そこに深い思考を感じさせる存在です」と、スプツニ子!さんはエリアソンを評する。それを受け長谷川さんは、「それこそ彼が一流のアーティストである証し。テーマを抽象化させ、優れたメタファーを表現する力がある人物」と応える。会場で最初に来場者を迎えるのは、水彩画の連作『あなたの移ろう氷河の形態学』だ。
「これは紙の上にグリーンランドの氷河の氷を置き、自然に溶けた氷が顔料と混じり合って描かれたものです。偶然の動きを利用しつつ、氷と遊び、氷河とコラボレーションを果たしたインプロヴィゼーション(即興)作品とも言えるでしょう。水墨画のようでもあります。そして左から、過去、現在、未来を示します。現在を示す中央の作品名にメタンという言葉が含まれていることは示唆的です」と、長谷川さんは説明する。
続く『クリティカルゾーンの記憶(ドイツ−ポーランド−ロシア−中国−日本)no.1-12』もまた、人の手が介在しない絵画だ。12点の紙上に描かれた線画は、エリアソンのスタジオがあるドイツから東京への輸送過程で木枠に仕込まれたドローイングマシンが移動による振動で描いたもの。環境への配慮をさまざまな形で試みられた本展では、二酸化炭素排出量の多い飛行機を使わずに、陸路で日本への作品輸送が行われている。
「振動や重りの重量などの条件で変化する実験的な作品。開封してみないと完成がわからず、シンプルなアイデアですが面白い」とスプツニ子!さん。長谷川さんは「到着するまで何点が作品として展示できるかわかりませんでしたが、結果すべてを展示しました」と明かす。
長谷川さんは本展を企画するにあたり、「あなたのサステイナビリティと環境への取り組みを取り上げたい」とエリアソンに問いかけたという。彼にとって日本では10年ぶりの展覧会となる本展。
「テート・モダンの『The Weather Project』は天気の問題は扱われていましたが、まだエコロジーやサステイナブルの観念は打ち出されていませんでした。今回はその点に踏み込むもので、先ごろまで行われていたレトロスペクティヴ的なテート・モダンの展覧会とも主題を異にします」
エリアソンの環境へのアプローチはそれに留まらない。美術館内のサンクンガーデンに設置したソーラーパネルから光源と動力のための電力を得ているのが、カラーエフェクトフィルターガラスの多面体による『太陽の中心への探査』。作品内部の光源がゆっくり回転することで展示室を幻想的な光で包みこむ。フィルターによる効果で特定の光を反射し透過させながら部屋を照らすため、光を受けて色づく鑑賞者も含め不思議な効果が現れる。
「私たちが太陽の中心にある光を見ることができないように、視認できない内部の光が動力となってゆっくりと動き、私たちがじっとしていても空間が動く作品です。仕組みはとてもシンプル。しかしオラファーのスタジオで、正十二面体と正二十面体を組合せた複雑でアシンメトリーな構造に私が驚くと、彼はみんなであれこれ試行錯誤しているうちに出来たんだと軽やかに言いました。彼の制作スタイルはシンプルなドローイングでヴィジョンをスタッフに提示し、そこから皆で話し合って素材やテクニカルな条件をつくっていくんです」と長谷川さん。
長谷川さんは、エリアソンが父親から強く影響を受けていることを指摘する。早くに両親が離婚した彼は、幼少期からアイスランド人の父とともに夏休みをアイスランドで長く過ごした。父親もまたアーティストであり、料理人であり、船乗りであった。『クリティカルゾーンの記憶(ドイツ−ポーランド−ロシア−中国−日本)no.1-12』のドローイングマシンは、もともと父の船に同じ仕組みのものがあったという。
「オラファーがスタジオにキッチンをもち、スタッフと食事をともにするのも父からの影響だと私は思います。彼の美意識はアイスランドの光、そして氷によって育まれました。しかし、それはともにフラジャイル(繊細)な存在。温暖化の影響を強く受け、近年その状況はどんどん変わっています。その状況への敏感さを彼から強く感じます」
『氷の研究室』は、氷河のかけらが浜辺に漂着することで知られるアイスランドのダイヤモンドビーチでデータを採取した氷の再現だ。太陽光を受けてダイヤモンドのように光る氷を、3Dプリンターを使って再現した。展示什器ともども、オラファーのスタジオから届いたデータをもとに東京で制作されている。移動を必要としない作品展示を実現したのだ。
「まさにサステイナブルなアイデアで、図らずもコロナ禍の状況にぴったりの展示」とスプツニ子!さんは驚く。長谷川さんは、「我々が準備を始めたのはずいぶん前のことで、こうした事態はもちろん予想もしていませんでした。しかし結果として今回の展示はこの状況下でも成立し得るものでした」という。
シンプルだけれど、心に強く訴えかける作品に嫉妬する。
壁に向かって投影される光を受けて、鑑賞者の影が色を得る作品『あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること』もまた、「身体的に触れることなく、多くの人が体験を共有できる、コロナ禍に最適化された作品」と長谷川さんは言う。7つのイメージ(影)が重なる光によって、青、赤、黄色の影が壁面に出現する。
「この作品でも冒頭の水彩画同様、時間の経過がテーマとなっています。ここでは、青が過去、赤が現在、黄色が未来を表します」
緊急事態宣言下では外出もままならず、「アートが見られない辛さを感じた」とスプツニ子!さんが漏らすと、長谷川さんは「実際に作品を前にすると、平面ではわからない五感に訴えかけるものがありますね」と応える。展覧会が始まるとすぐに本展を訪れたというスプツニ子!さんは、「ポジティブな気持ちになれた」と言う。
「今回の新型コロナウイルスの状況は、改めて美術館、そしてアートのこれからを考えるきっかけになりました。先ほどは実物を見ることでわかるものがあると言いましたが、一方でデジタルの可能性も感じました。ただし今後は両者が単純に二択になるのではなく、アートそのものに対する景色が変わっていくと私は考えています」と長谷川さん。
それはどうなっていくのかとスプツニ子さんが尋ねると、長谷川さんは「よりナラティブなもの」、つまり一人ひとりが語るものになっていくのではないかと予測する。
「アマチュアアーティストが増えていくのではないでしょうか。かつてはコミュニティや村の中にいる絵が上手い人、楽器が上手な人がアーティストであり、その表現には、皆をつなげる役割があった。時代が過去に戻るということではなく、アートや音楽は商業的なシステムから離れて、根源に立ち返るのかもしれません」
続く『サステナビリティの研究室』は、作品というよりもエリアソンのリサーチの内容を見せるものだ。長谷川さんはここでさまざまな素材の表情とプロトタイプの過程を展示することで、彼のサステイナビリティへのアプローチを見せているという。「これを見ると、一般の私たちにもなにかができるのではないかと思わされませんか」。
集められた素材と、そのサステイナビリティの可能性を追い求めたアプローチに、スプツニ子!さんも思わず見入る。たとえば原種の羊そのものの羊毛を用いたグレーのフェルト、バクテリアの力を利用してつくった顔料、スタジオのキッチンで出た野菜くずでつくった顔料で描いた水彩画など、アーティスト自らは媒介者にとどまりながら、自然の行為を援用したものづくりのスタンスが見えてくる。
エリアソンがソーラーエンジニアのフレデリック・オッテセンと共同開発した太陽光発電式LEDランプ「リトルサン」を用いた参加型作品『サンライト・グラフィティ』を経て、『人間を超えたレゾネーター』『おそれてる?』と、光を用いた展示が続く。「リトルサン」は電力供給が整備されていない地域で暮らす人々に、クリーンで手ごろな価格の明かりを提供するために生まれたもので、エリアソンはそれを「小さな発電所」と呼ぶ。
「オラファーはエチオピアから二人の養子を迎えていて、そこから『リトルサン』が生まれました。ヒマワリだと思われていますが、エチオピアの国花(マスカルフラワー)をモチーフにしています。彼は国連の文化親善大使として、気候変動対策やサステイナブルなエネルギー支援の必要性を啓発しています。『おそれてる?』は彼の色彩理論の探求から生まれたものです」
長谷川さんが以前より気に入っている作品の1つだという『おそれてる?』。天井から吊られた3つの円形ガラス板がゆっくりと回転し、特定の波長の光を反射し、補色の色を透過させるフィルターによって、壁に複数の円が浮かび上がるというもの。シアン、マゼンタ、イエローが重なる瞬間など、状況に応じてその一瞬だけの「作品」が浮かび上がる。
「モビールというシンプルな仕組みながら、光の豊かな表情で空間をダイナミックに表現しています。光の彫刻とでも言えるような……やはり天才だと嫉妬してしまいます」とスプツニ子!さんは感想を漏らす。
希望のメタファーである虹に、触れるという体験。
展覧会とタイトルをともにする新作『ときに川は橋となる』は、本展のために制作された世界初公開のインスタレーション作品だ。中央に置かれた水盤で起こるゆらぎやさざなみが、意思をもって自由に動くかのように上空のスクリーンに投射される。その名から意味は理解しにくく、禅の問いかけのようでもある。川があるから橋が必要であり、それは陸地を分かつ存在ではないか……。そんな思いは、あくまで私たち人類の視点でのみ地球を眺めている証左でもある。タイトルは長谷川さんが和訳したもので、「新しいものの見方を促す彼の思考を、詩的に表したもの。どこか禅的であり、俳句のような表現にしました」という。
「オラファーから、美術館で波をモチーフとする作品をつくりたいと希望が出ました。リフレクションの効果をよく知る彼らしい作品で、日本庭園の水の設えを意識しているようにも感じられます。私たちから大きな展示室での展開を持ちかけたのですが、今回、彼の来日が叶わなかったので、時間や波のゆらぎなどチューニングには非常に苦労しました。オンラインでスタジオに繋ぎ、設置作業のなかで私たちは時に口論しながら進めたんです。最後はいままで一緒にやってきた私を信じて!と(笑)。結果、彼も満足しています。グラフィカルな強さと美しさ、すべてが同じではない多様性がある。見ていて飽きないでしょう?」と長谷川さんはスプツニ子さんに問いかける。
「自然と向き合う作品はシンプルだけど強いですね。波を通じて、時間が形になるのを感じます。ここでも最も身近な水の存在を通じて、私たちにサステイナブルの可能性を見つめ直させる。彼はアクティビストではなく、禅のような精神でそれを訴えかける存在ですね。私はここにメディテーションのような感覚を得ました。必要なことではあったけれど、新型コロナウイルス感染拡大防止のなかで私たちは内省を強いられることになり、孤独のなかで人の気配を求めました。それを経たいま、この作品は私の心に強く訴えかけるものがあります」と答える。
そうした意味で、より人の存在を通じて希望のメタファーとして虹を見せる作品が『ビューティー』だ。「本来、私たちが触れることのできない虹。それはある意味で希望の象徴と言っていいでしょう。その希望に触れられるのが、この作品です」と長谷川さんは言う。スプツニ子!さんに、ゆっくりと霧のなかを歩くよう促す。するとそこには自分を取り囲む虹が見える。それは、「あなただけの虹」だと長谷川さんは言う。
「子どもや大人、身長の高さでもまったく違う。あなただけの虹が出てくる。そもそもビューティーというタイトルは不届きなもの(笑)。アーティストが自作に『美』と名付けることはなかなかできない。それを付けてしまうオラファーの豪胆さもすばらしい。これもまた、私が初期から愛する作品の1つなんです」
そして展示は、エリアソンの足跡をたどるアーカイヴ的な内容で締められる。なかでも圧巻は『溶ける氷河のシリーズ 1999/2019』だ。エリアソンは初期からアイスランドの自然を記録し続けており、この作品は20年間にどれだけ氷河が後退したかを伝える。スプツニ子!さん作品を見て、「ショッキング」と漏らす。
「この展覧会は氷に始まり、氷に終わります。コロナ禍もこうした環境の変化のなかで、いままでは氷に潜んでいたたウイルスが出てきてしまったのかもしれない。私たちには大変なことですが、すべては繋がっています。一方で、もともとブレイクダンサーをしていたりと、オラファーは楽しい人物。やんちゃでマジシャンのような彼の遊び心とチャレンジを初期作品の記録も見ることができます」
展示を見終えたスプツニ子!さんは、作品の感想をこう語ってくれた。
「サイエンティフィック・マインドが裏付けにあり、作品に豊かな社会性があります。アーティストの枠を超えて活動を行い、そこに収まらない表現を取る。社会との向き合い方、スタジオの運営手法も含めて、アーティストとして憧れを抱く存在です。リサーチの中身がチームに行き渡るから、作品がやはり彼の顔をもつ。自然と向き合い、時に現代的な手法でバランス感覚に優れながら、その強い思想を含め、アートを追いかける者として改めて尊敬します」
新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期された会期も、残すところわずかとなった。エリアソンが問いかける自然との向き合い方を、作品から感じ、考えてみよう。
『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』
開催期間:2020年6月9日(火)〜9月27日(日)
開催場所:東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10時〜18時 ※入場は閉館の30分前まで
休館日:月(9月21日は開館)、9月23日
入場料:一般 ¥1,400、大学・専門学校生・65 歳以上 ¥1,000、高校・中学生 ¥500、小学生以下無料