活用されず、怪しげな雰囲気が漂っていた新宿東口駅前広場。その空気を一新すべく、国内でも有数の大規模なパブリックアートが誕生した。手がけたのは、ニューヨークを拠点に活動を続ける松山智一だ。
2016年にバスターミナルビル「バスタ新宿」が開業するなど、新宿駅では南口から東口にかけて大規模な再開発事業が進められてきた。そして2020年夏、事業のハイライトとして東口駅前の広場がパブリックアートとなって生まれ変わった。『花尾Hanao-San』と題する鏡面仕上げのステンレス製の彫刻作品が中央にそびえ、自然をモチーフとした床面ペインティングが広場を彩る。手がけたアーティストの松山智一は次のように話す。
「東京はこれだけの国際都市なのだから、街から文化発信をしていくべきだと考えています。しかも新宿駅というのは、世界一の乗降者数を誇る駅です。ニューヨークであればグランドセントラル・ステーション、ロンドンであればヴィクトリア・ステーションというように、ハブとなる大きな駅には必ず憩いのスペースがあります。新宿にもそれが必要だと考え、このプランを2年半前に提案させていただきました」
独学でアートを学び、ニューヨークでキャリアをスタートした彼に話を聞くと、歩んできた経歴が今回のプロジェクトのコンセプトを方向付けたということがわかる。
有名になるために、ウィリアムズバーグで一番でかい絵を描いた。
上智大学経済学部在学中にはプロスノーボーダーとして活躍し、スノーボードのデザインなどにも携わっていた松山は、大学を卒業後、表現するスキルを身につけるために渡米。プラット・インスティチュートでデザインを学ぶ。しかし、「クライアントから相談を受けて、締め切りまでに処方箋を出してあげるという、受け身で待つことから始まる仕事の方法が向いていなかった」と振り返る。
「そこでアートに興味を持ったのは、アートが”問いかけ”だからです。作品を見る人に『?』が生まれ、いろいろなことを考えるきっかけを与えるのがアーティストの仕事だと思っています。ただ、自分は25歳でアメリカに行って、発表する場もなかったので街をキャンバスにするしかありませんでした。ニューヨークのストリートで絵を描いたり、小さなカフェなどでも発表しながら徐々に階段を上がって行こうとしました」
2002年に渡米し、ニューヨークで住み始めた場所がブルックリンのウィリアムズバーグ。「ニューヨークで成功すれば世界で成功できるから、国際的に活動するためにニューヨークは無視できない」という思いがあった。当時、KAWSはすでにアーティストとして評価されていて、バンクシーやブラジルのオスジェメオスらが街に絵を書き始めた時期で、ストリートアートが展開される場所としてブルックリンは注目されていた。そんな状況も、デザインへの気持ちが冷めていた松山の目をアートに向けさせるきっかけになった。
「すごく単純に、あのエリアで一番でかい絵を描いたら絶対に有名になれると思ったんです。ちょうどいいロケーションとして、新しくTriple Crownというバーがオープンすることを知ったので、『絵を描かせてほしい』と売り込みに行って、壁画の絵を描き、内装のデザインもやらせてもらえることになったんです」
Triple Crownのアート制作の協賛にVANSなどが加わったことで資金が集まり、壁紙のデザインやインテリアの装飾、DJブースの設置まで派手なプロジェクトとなった。ドリンクを置くコースターは表に松山のアートが、裏にはVANSのロゴがプリントされ、バーは楽しい時間を過ごしてさらに小さなアートを持ち帰れる場所としても人気を集めた。
東洋と西洋、古典と現代などさまざまな要素を徹底的にエディットする。
「VANSも喜んでくれて、それをきっかけにベットフォードという駅に彼らが持っていたビルボードにも絵を描かせてくれました。ところがしばらくすると、人々が行き交う日中にそのビルボードが盗まれちゃったんですよ。それが話題になって、自分のキャリアとしてもブレイクスルーになり、カバーストーリーとして雑誌で特集されてニューススタンドに並んだり、それを見たナイキからプロジェクトを頼まれたり、アーティストは発信することで初めてきっかけを作ることができるんだと確信できるようになりました」
1プロジェクトで4〜5ヶ月は暮らせる収入を得られるようになり、ストリート系のブランドからも多く声がかかった。大学時代にプロスノーボーダーとして活躍し、裏原宿などストリート系のファッションや音楽関係のコネクションがあったという背景も関わっていた。一方で、そうしたストリートの文脈から完全に離れ異なる場所で作品を発表しないと、アカデミックなコンテンポラリー・アートの世界で勝負していけないとも感じていた。
「自分の背景にあるカルチャーをどうやってアカデミックなアートの領域に持っていくかというときに、手法じゃなくてコンセプトだと思ったんですよ。今の時代のとらえどころのなさをどうやってアートで表現するかとなって、大学ぐらいでガラケーが出てきて情報化も進み、音楽もファッションもサンプリングの繰り返しで、楽器を弾けない人たちがヒップホップをつくったみたいに、僕もエディットを徹底することで絵画を生み出そうと考えるようになりました」
東洋と西洋や古典と現代といった対極の融合をしたいわけではない。狩野派から明治時代までの日本の絵画、中国や西洋の古典、現代のミュージシャンのレコードジャケットやインターネットで拾った1950年代のヴィンテージポスター、雑誌で見るようなスタイリングされたインテリア写真など、あらゆる要素をカット&ペーストし、出典元もそれぞれの境界も見えなくなるまでマッシュアップする。言語化しきれない現代性や、文化観や時代観のとらえどころのなさを表現するために、抽象概念を可視化するこの方法論に行き着いたのだという。そのリサーチ力は計り知れない。
「アートスクールでデッサンを学んだ経験もないし、25歳でアートを始めて、やっぱりファインアートの世界への憧れはとても強かったんです。MoMAやメトロポリタン美術館はアーティストにとって最高の墓場みたいな場所です。自分が生きた証として作品が残り、後生大事に保管してくれるわけですから。一方でその価値体系のなかだけで制作することに窮屈さも覚えます。美術史という神格化された重たいものがあって、実社会から距離を置かれたような世界だとも感じられるからです。そこで今ももちろんアート界での最高の墓場を目指しながらも、同時に社会に関わりを持つための方法としてパブリックアートに目を向けるようになりました」
最近はロサンゼルス近代美術館(LACMA)に作品が購入され、世界的に権威とされる美術館からも購入の予約を受けるなど、オーソドックスな美術界からの評価も高めている。その手応えを受けて、社会におけるアーティストの役割を考えるようになったのだ。そして、日本でも類を見ない規模のパブリックアートで新宿駅東口駅前を一新する計画は、松山の創作意欲を大きく刺激した。
新宿駅の延長として機能する、東口駅前広場のパブリックアート。
世界一の乗降客数を誇る駅前に未活用のスペースがある。そこを生まれ変わらせるために、新宿という街の特性をプラスし、その対極に位置する要素をアートの言語でクロスオーバーさせる。そうすることで新宿のアイコンとなり、ひいては世界に誇れる東京のランドマークになる。松山の構想プロセスだ。
「新宿の要素を書き出すと、都会、雑多、喧騒、人工的、そして文化もある。外国人観光客は北野武の映画を見て歌舞伎町を目指すし、ゴールデン街でアンダーグラウンドな日本の文化を感じようとする。LGBTの人たちは2丁目に行ってみたいし、ファッションが好きな人には伊勢丹もあって、インバウンドの旅行客にとって新宿はある意味で一番東京らしい街なんですよ。その対向軸にあるのは何かと言ったら、自然だと思ったんです。でもアスファルトの上にただグリーンを置いても仕方ないので、Metro-Bewilderというテーマで機能的なパブリックアートのスペースをつくることにしました」
都会を意味する「Metro」、自然を意味する「Wild」、当惑を意味する「Bewilder」。「Metro-Bewilder」という造語に都市と自然の融合を表現する。中心には、鏡面仕上げのステンレスで組み上げた高さ8メートルの彫刻作品『花尾 Hanao-San』が鎮座。板状の素材を組み合わせて透過性を持つことで、そのサイズにかかわらず軽快さが生まれ、また徹底した鏡面仕上げによって昼には空の青を、夜には周囲のネオンが映り込み、新宿の喧騒に埋もれることなく存在感を発揮する。台座部分には円形テーブルとスツールが設置されていて、待ち合わせ場所として、憩いの場として機能する。地面には自然をモチーフにしたペインティングが施され、都市空間で亜熱帯の森林を思わせるイメージが広がる。
「日本に古くから根差す美意識、自然意識、文化への尊敬をもって色鮮やかなカラーフィールドを描きました。花をあしらった空間で、花束を持って来客を待つ主人を現代アートの解釈から表現したのが、『花尾 Hanao-San』です。ここが新宿駅の延長として機能して、ベンチに座ってカップルが喧嘩していたり、約束までの時間潰しにスマホをいじっていたり、日常の光景がここに生まれてくれたら嬉しいですね」
新宿駅東口を出ると、駅前広場は明らかに風通しがよくなった。かつてヨーゼフ・ボイスが「社会彫刻」と表現したようにアーティストの視点から街にひと刺激を加え、社会をモデリングしていく。松山智一はブルックリンのアトリエで緻密に描き込まれた作品を継続的につくりながら、アメリカや中国各地から受けているパブリックアートの依頼に応じていく。徹底したリサーチから土地の文脈を読み取り、湧き上がる多様なアイデアを組み立てながら。
「アートをつくるって自分を痛めつける行為ですし、しんどくて決して楽しいものではありません。一つわかっているのは、結局つくっていない自分が一番不健康なんですよ。つくっていない自分に自己嫌悪になるからつくり続けるのかも知れません」