ベルギー、ゲント(ヘント)の聖バーフ大聖堂にあるヤン・ファン・エイクの『ゲント(ヘント)の祭壇画』。この名画の一部が修復されたのを機に、ゲント美術館と聖バーフ大聖堂で大規模なヤン・ファン・エイクの展覧会が開催されている。前編は聖バーフ大聖堂、中編はゲント美術館、後編ではゆかりの地であるブリュージュとメッヘレンの地へ。3つの街を巡って、ファン・エイクの足跡をたどる。
ヤン・ファン・エイクが描いたとされる絵は、現存するものでわずか20点程度。さらに移動が難しい板絵が多く、日本ではなかなか見る機会がない。その彼の最大の作品がゲントの聖バーフ大聖堂に設置されている『ゲント(ヘント)の祭壇画』だ。表裏20枚のパネルのうち表面4枚の修復が完了したのを機に、ヤン・ファン・エイクの作品に加えて『ゲントの祭壇画』にインスパイアされた現代美術作品がゲント美術館に集結。『ファン・エイク オプティカル・レボリューション』展が2020年4月30日まで開催されている。現代美術と祭壇画の展示は聖バーフ大聖堂でも10月まで行われており、前編ではこの聖バーフ大聖堂を紹介していく。
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ヤン・ファン・エイクは15世紀のブルゴーニュ公国(現在のベルギーを中心としたエリア)で活躍した、フランドルを代表する画家。1419年から1467年という長期間にわたって国を治め、領土を拡大するといった功績があったフィリップ善良公の宮廷画家を務めた。当時のブルゴーニュ公国はゲントやブルージュを首都とし、海洋貿易や工芸などで栄えた大国だ。特にゲントは当時、パリに次いでヨーロッパでは第二の都市として繁栄していた。
ヤン・ファン・エイクの生涯については不明なことも多数ある。1390年頃、マースエイクという町で生まれたと推測されているが、正確なことはわかっていない。1419年から1425年までデン・ハーグの地でホラント伯のもとで働き、1425年から1441年に没するまでフィリップ善良公に仕えていた。
『ゲントの祭壇画』は1432年に完成し、聖バーフ大聖堂に奉納されたと記録されている。この祭壇画の額には兄のヒューベルト・ファン・エイクが関わったとも書かれているが、2人の役割分担ははっきりしない。ヒューベルトは1426年に没しており、この祭壇画の他に彼の作品と明快に言えるものは残っていないのだ。
この祭壇画は縦3.75m、横5.7mもある大きなもの。その大画面に、さまざまな人物やものがびっしりと描き込まれている。普段は閉じられており、祝日やクリスマスなどに開かれることになっていた。閉じた時に見える面は抑えた色調だが、開くと赤や金など鮮やかな画面が広がる。
2012年から行われた修復では、黄変したニスを取り除き、顔料の浮きを抑え、15〜16世紀の加筆を取り除いて、できるだけヤン・ファン・エイクが描いたオリジナルのものに近づけるようにしている。その結果、全体に色調が明るくなり、細部までくっきりと見えるようになったのだ。
修復後、最も話題を呼んだ子羊の顔。
今回修復されたのは、開いた時に見える表面の下半分、胸から血を流す子羊がいる場面を中心とした4枚のパネルだ。洗浄・修復された部分は4枚のパネル全体のおよそ70%にもおよぶ。下段の一番左のパネルは1934年に盗難に遭い、現在のものは模写なので修復の対象にはなっていない。現在、聖バーフ大聖堂にはこの下半分と上半分のうち。両脇のアダムとイヴを除くパネルが設置されている。
修復後、最も話題を呼んだのは子羊の顔だった。顔の脇についていた目が正面に移動し、耳の位置も下がって、目より低いところに描かれていたことがわかったのだ。羊の顔ではなく人間の顔のよう、不気味だ、という声が相次いだ。
子羊は、ヨハネによる福音書の「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」という一節からイエス・キリストの象徴と考えられている。血を流しながらも自らの足でしっかりと立つその姿は、十字架での死と復活を暗示している。
この子羊はイエス・キリストの象徴なのだから、人間の顔をしていていも不思議ではない。現代の私たちから見ると奇妙な感じがするが、聖書の記述を忠実に表現した結果がこの顔なのだ。
議論の的となった、中央に描かれる男性の正体とは。
祭壇画の上半分は2021年から修復が始まることになっているが、この中央に描かれた男性像も議論の的となってきた。向かって右側は毛皮を着ているので洗礼者ヨハネ、左側は冠を飾る百合やバラなどの花から聖母マリアであることがわかる。
洗礼者ヨハネと聖母マリアの間には、イエス・キリストが描かれるのが普通だ。しかし、中央の男性は教皇の冠をかぶっていることから父なる神だとする見方もある。さらには父と子と聖霊の三位一体の象徴だという説も。現在は、右側の洗礼者ヨハネが彼を指さしているので救世主キリストだという説が一般的だが、修復を終えたら新事実が明らかになるかもしれない。修復は下半分と同様、数年がかりの作業になると思われるが、結果がいまから楽しみだ。
聖バーフ大聖堂では、『ゲントの祭壇画』の修復を記念して、現代美術作家による作品も展示されている。聖堂前の広場に置かれているのはクリス・マーティンの『ALTER』。『ゲントの祭壇画』の枠だけを抽出したオブジェだ。この作品はこれまで各地で展示されてきたが、今回は初めて“本家”の祭壇画が設置されている大聖堂の前で展示されることになった。
聖堂内の柱に取り付けられているポートレイトはソフィー・クイケンの作品だ。レイヤーを重ねていくフランドル絵画伝統の技法で描かれているが、顔はインターネット上で集めた画像を合成してつくったもの。現代と過去のテクノロジーとが融合している。
リース・カイエラスの作品は、植物の種の顕微鏡写真をもとにした油彩画だ。取り上げた植物は『ゲントの祭壇画』に登場するもの。ヤン・ファン・エイクが描いた植物は極めて正確で、その多くは現代の植物学者が種類を同定できるほど。彼の絵のそんな側面から着想したアートだ。
“視覚の革命”を起こした、ヤン・ファンエイクの名画を訪ねてベルギーへ。【中編】に続く。
聖バーフ大聖堂
Sint-Baafsplein, 9000 Gent,Belgie
※現代美術の展示は2020年10月まで。詳細はHPで要確認
https://sintbaafskathedraal.be
『ファン・エイク オプティカル・レボリューション』
開催期間:2020年2月1日~2020年4月30日
開催場所:Museum voor Schone Kunsten Gent | MSK Gent
Fernand Scribedreef 1, 9000 Gent, Belgie
料金:一般28ユーロ
※開館時間、休館日はHPを要確認
https://www.mskgent.be/en
グルーニング美術館
https://www.visitbruges.be/en/groeningemuseum-groeninge-museum
メムリンク美術館
https://www.museabrugge.be/en/visit-our-museums/our-museums-and-monuments/groeningemuseum
グルートフーズ博物館
https://www.museabrugge.be/en/visit-our-museums/our-museums-and-monuments/gruuthusemuseum
ブスレイデン邸博物館
https://www.hofvanbusleyden.be
協力:
ベルギー・フランダース政府観光局 www.visitflanders.com/
ゲント市観光局 https://visit.gent.be/en
ブルージュ市観光局 www.visitbruges.be/en