黒川紀章の名建築「中銀カプセルタワービル」で、快適なテレワーク生活を。
1972年に竣工し、建築家黒川紀章の代表作とも言える中銀カプセルタワービル。60年代のムーブメント「メタボリズム」が具現化された貴重な建築のひとつでもあり、いまや建築関係者のみならず世界中の観光客が見学に来るほどの人気の建築だ。
その理由は、まるで映画『2021年宇宙の旅』に登場するような円形の窓、建物手前の首都高と相まったSF感あふれる造形美が、とにかく“映える”こと。さらに実際に行われたことはないものの、約10㎡の部屋(カプセル)が交換できると言った、未来に向けた挑戦的な提案を実際に建築化したからと言えるだろう。
そんな中銀カプセルを使う人たちを取材した書籍『中銀カプセルスタイル: 20人の物語で見る誰も知らないカプセルタワー』の編集者である吉田和弘さんが2カ月間部屋を借りてテレワークをしていると聞き、早速見学に行ってみた。
中銀カプセルはA棟とB棟のふたつの棟に分かれているが、今回お邪魔した部屋はA棟の首都高に面した5階の部屋。当時はどの部屋にもユニットバス、テレビや冷蔵庫、ラジオなどが備え付けられていた。しかし現在はほとんどの部屋の設備は老朽化によりところどころ撤去されているようだ。この部屋は比較的当時の面影が残っており、吉田さんは平日は自宅に帰らずここで寝泊まりしながらテレワークをしている。
吉田さんは『中銀カプセルスタイル』の取材で全140部屋のうちの20部屋を訪ね、事務所として使っている人から住んでいる人まで、このでのさまざまなスタイルの暮らしぶりを知った。しかし実際に過ごしてみると「思っていた以上に快適に暮らせる」と言う。
風呂はユニットバスだが、近くの銭湯「金春湯」も使えるし、最寄りが新橋駅という立地なので飲食店もたくさんある。しかも一般的な建築と違い、部屋(カプセル)が隣の部屋と接していないので、音が響かず「籠っている感」もあり、快適だと言う。
黒川はコロナ禍でテレワークが一般的になる前、まだインターネットもない時代から「ホモ・モーベンス」と呼ばれる移動し生活する人たちの登場を予見していた。実際に中銀カプセルタワービルは地方に住む人が都内で仕事をする際に使うことも想定し設計されたこともあり、やっと黒川が見据えていた時代が到来したとも言える。
しかし皮肉にも、来年で築50年を迎える中銀カプセルタワービルは、老朽化が激しく建て替えが検討されていると言う。数年前に建て替えのニュースを知ったが壊されていないので、この話は頓挫したのかと思っていたが、まだ検討されていると言う。名作と呼ばれる建築はいくつもあるが、あまりにも有名で「殿堂入り」していると思っていただけに、正直驚いた。
実は、このカプセルと同じシステムで1973年に黒川自身の別荘として建てられた「カプセルハウスK」が軽井沢にあるのだが、今年6月から民泊を使って誰でも泊まれるようになると言う。また、今回取材した部屋は保存運動をされている前田達之さんによって1カ月単位で貸し出しされている(今後の貸し出しは未定)。活用のシステムさえあれば、多拠点居住やミニマリストに注目が集まるいまこそ、この建築が多くの人に求められるはずだ。
もしくは、1961年に竣工した篠原一男設計の住宅「から傘の家」をヴィトラが購入し移築されることになったように、違う場所で作品として保存されるということもあるかもしれない。
いずれにせよ、もはや(私が思うに)“日本の宝”とも言える貴重な建築がこのまま壊されてしまうのは、あまりにも残念で仕方がない。「我こそは」と思う方、ぜひ買っていただけないでしょうか?(編集MI)
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