景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の...

景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の展覧会で考える。

景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の展覧会で考える。

小林清親『従箱根山中冨嶽眺望』明治13年(1880)大判錦絵 千葉市美術館蔵

街の中にある建築の写真を出版物に載せる際、手前に写っている電線や電柱を画像修正ソフトで消すという作業を行うことがある。電線や電柱は“邪魔なもの”とされているのである。けれども、そんな電線や電柱を絵画として描いた作品が、実はたくさんある。それらを集めたユニークな展覧会が練馬区立美術館で開催中だ。

展示室には、幕末の紙本墨画から現代美術までが揃う。まず興味を惹くのが、明治期に描かれた錦絵の数々である。小林清親『従箱根山中冨嶽眺望』では、雪を被った雄大な富士山が中央に位置し、その手前に電柱と電線、そしてテレビの時代劇に出てくるような旅装束の人たち(ひとりは駕籠に乗っている)が描かれている。水戸黄門を見ていて電柱が写り込んだら絶対にヘンだと思うはずだが、これは実際の風景を写生したものだ。

景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の展覧会で考える。

岸田劉生『代々木附近(代々木附近の赤土風景)』大正4年(1915)油彩、キャンバス 豊田市美術館蔵

景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の展覧会で考える。

川瀬巴水『東京十二題 木場の夕暮』大正9年(1920)木版画 渡邊木版美術画舗蔵

都市を描いた数々の錦絵でも、電線や電柱は画面に中に大きく配されている。明治初期の画家たちが、近代化を果たした新しい都市の象徴としてポジティブに電線や電柱をとらえていたことがわかる。SFマンガに描かれた未来都市のように見えるものすらある。これが大正期になると様子が変わり、見えているはずの電線や電柱を描かないという画家が現れる。東京の同じ場所を同時期に描いた絵でも、一方には電柱があるのに対し、もう一方には電柱がない。洋画家の岸田劉生も、よく知られる切り通しの風景画に電柱を描き入れたが、その追従者は同じ切り通しの絵でも電柱を省いているのだ。電線や電柱を景観のうえで不要なものとする見方が、この頃に確立したということがうかがえる。

景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の展覧会で考える。

朝井閑右衛門『電線風景』昭和25年(1950)頃 油彩、キャンバス 横須賀美術館蔵

景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の展覧会で考える。

山口晃『演説電柱』平成24年(2012)ペン、水彩、紙 個人蔵 ©️YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

しかし、電線絵画はなくならなかった。朝井閑右衛門、岡鹿之助、山口晃など、電線・電柱を積極的に描く画家は途切れずに現れている。絵画に描かれた電線や電柱は、画面に明快なパースペクティブを与えたり、ダイナミックな横断線をもたらしたりする重要な要素である。展示室には葛飾北斎『富嶽三十六景』の絵に、電線・電柱のシルエットを重ねた図が小さく添えられていた。これは電線の地中化を推進する団体が、電柱・電線が景観悪化の元凶であることをPRするためのイラストなのだが、この展覧会を見てしまうと完全にカッコいい風景画としてしか受け取れない。そして美術館を出てリアルな都市を見ても、電線・電線がある風景を少し魅力的に感じてしまう自分に気づく。とても面白い展覧会だった。

景観悪化の元凶とされる電線だが、それは果たして本当か? 「電線絵画」の展覧会で考える。

松風陶器合資会社『高圧碍子』明治39年(1906)磁器 東京工業大学博物館蔵

この展覧会ではもうひとつ、おすすめの展示品がある。それは碍子(がいし)だ。電柱と電線の間を絶縁しながらつなぐ工業製品なのだが、それを国宝や重要文化財の陶磁器を見せるように、ガラスのケースに展示している。碍子はもともとは有田焼の技術でつくられたものであり、こうして改めて見直すと、色ツヤといい、造形といい、本当に美しい。見逃すことがないよう、念を押しておく。

『電線絵画展-小林清親から山口晃まで-』
開催期間:開催中〜4月18日
開催場所:練馬区立美術館
東京都練馬区貫井1-36-16
開館時間:10時~18時
休館日:月曜日
入場料:¥1000
www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202012111607684505