2005年に『土の中の子供』で27歳の若さで芥川賞を受賞し、人間の暗部に迫る小説を描き続けてきた作家・中村文則。ノワール小説に貢献した作家に贈られるディヴィッド・グーディス賞を日本人で初めて受賞するなど、国内外で高く評価されている。
「人間を描く以上、綺麗事を排除するならば、悪は避けては通れない。役者さんから演じてみたいと時々言われますが、僕が描くのは凄い悪いヤツだったり、特徴的な人物が多いからかもしれない」
今冬公開された映画『奇麗な、悪』は中村の短編『火』が原作だ。ひとりの女が精神科医に自分の過去を告白する。幼い頃カーテンに火を放ったあの時、なにが起きたのか。実は桃井かおりの監督・脚本・主演で『火 Hee』として2016年にも映画化された。
「今回は瀧内公美さんのひとり語りの芝居で、このご時世にチャレンジングな企画だなと。実際に観たら本当に素晴らしくて、自分が原作ということも忘れて惹き込まれました。『火』の彼女はやってはいけないことをしているんだけど、悪だけと言い切れるのか。集団の中でよしとされていること、世間的な正義みたいなものも彼女は破壊してるわけで、善悪を突き抜けた領域に人間の真実がある」
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既存のモラルから外れた世界で、人間とはなにかを問う
人間嫌いで孤独だった学生時代、本を読むことで救われた。
「本当は暗いのに表面的には明るくふるまうという生活をしていたんですけど、高校生の時、太宰治を読んだら自分と同じような人間が出てきて、あ、こんなこと思っててもいいんだって許された気がしたんです」
大学の卒論では、神戸児童連続殺傷事件も取りあげた。
「犯人のA氏は自分の神をつくって、大人になるための儀式としてあれをやったという報道があって、僕も幼い頃、自分の神をつくっていたので、もしそれが悪い神だったら逸脱していたかもしれないと思ったんです。僕の場合は好きな子ができて、その人と関わる努力を始めたりしていたら、その神もいつの間にかいなくなっていた。なにかの加減で、人はどんな風にでもなるものだと思います」
デビュー作『銃』は大学生の西川が死体のかたわらに落ちていた銃を手に入れるところから始まる。
「読む時は1行目からぐっとその世界に入ってほしい」という言葉通り、中村の小説は読者をいきなり既存の常識やモラルの通用しない世界に連れ去る。『何もかも憂鬱な夜に』では死刑制度、『教団X』では新興宗教と、手ごわいテーマを真正面から描き続けてきた。
作家生活22年。「スランプに陥ったことは1度もない」と言い切る。書き上げるまでの仕込みに時間をかける。膨大な資料を読み込み、取材には身銭を切り、編集者は連れず、ひとりで赴く創作スタイルを貫いてきた。
「『その先の道に消える』で緊縛を描いた時も、SMバーで縛られる側の女性に取材をし、原稿も読んでもらい行為の最中の気持ちはこれで合ってますかと聞いて、ここだけちょっと違うと言われたら直すというところまでやってますから。実際にやっている人が読んで納得いくものしか描きたくないという意識が常にあります」
最新作『列』は寓話のような語り口の異色作。長い列に並ぶ人たちはなぜ並んでいるかを知らず、列を出られるかもわからない。
「ちょうどコロナ禍で閉塞感を感じていたこともあって浮かんだんでしょうね。誰もが誰かと比べ合わざるを得ないこの社会を描こうと。コロナ禍で古典や名作を改めてすごく読んだんですよ。25歳でデビューして初めて長く立ち止まって考えたことは非常に大きかった。『列』はベケットの『ゴドーを待ちながら』やカフカの『城』、安部公房の『砂の女』の系統。あいったものを現代で僕なりの着眼点で更新しようと」
新境地を切り開いた『列』で野間文芸賞を受賞し、お祝いにはチョコレートをリクエスト。煙草をやめて、コーヒーとチョコレートが創作のエンジンとなっている。
「人には言えない気持ちを抱えている時に、みんながみんな、健全に幸せにって言われても、そんなのなれねえよって逆に辛くなるじゃないですか。特にいまはちょっとでも暗いことを言うと中二病って言われたりして、若い人たちもしんどいと思う。本があることはそんな時救いになる。僕も読者から言われたことがあるんです。こういう小説が広がっていることが救いだと」
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WORKS
映画『奇麗な、悪』

短編『火』を、卓越した演技力で注目を集める瀧内公美を主演に迎え『RAMPO』以来30年ぶりに自らメガホンをとる奥山和由監督で映画化。幼少の頃カーテンに放った火で始まる数奇な半生を告白する女。圧巻のひとり語りに惹き込まれる。全国順次公開中。
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『銃』
河出書房新社(河出文庫)
大学生の西川は雨の降りしきる河原で倒れていた男の死体のかたわらに落ちていた銃をアパートに持ち帰る。次第に銃の危険な魅力に魅入られていく心理を緊迫感あふれる描写で描き切った衝撃のデビュー作『銃』のほか、今回の映画の原作となった『火』を収録。
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『列』
講談社
男はいつの間にか奇妙な列に並んでいた。先も見えず最後尾も見えない。誰もが自分がなぜ並んでいるのかもわからずにいた。男は猿の研究者で、猿と列というモチーフが、競い合い比べ合う人間の不条理な縮図を浮かび上がらせる。野間文芸賞受賞の最新作。
※この記事はPen 2025年4月号より再編集した記事です。