ヴァン クリーフ&アーペルが2020年に立ち上げた「ダンス リフレクションズ」。世界屈指のハイジュエリーメゾンが主催するダンスフェスティバルは、企業メセナの枠を超え、さまざまな示唆を投げかけるものであった。プログラムを指揮するディレクターのインタビューとともに、日本初上陸となったフェスティバルを振り返る。
2024年の10〜11月まで京都と埼玉を舞台に、ダンスシーンの最先端に触れる刺激的なフェスティバルとなった「ダンス リフレクションズ」。長年にわたるダンスとの蜜月関係を築いてきたヴァン クリーフ&アーペルのメセナとしてスタートしたこのイニシアチブは、アーティストの創作支援や劇場と連携して作品の普及に努めるとともに、22年からは世界各地でフェスティバルを開催してきた。
日本ではこれまでパートナーシップを組んできた劇場や芸術祭と協働し、日本初演となる8作品を上演。プロジェクトを指揮するセルジュ・ローランが日本の状況を考慮に入れて選択、構成したという。
「キュレーターとしてのヴィジョンは変化しませんが、開催地の文脈は常に考慮しています。日本では最新の作品と過去の作品でプログラムを組みました。コンテンポラリーダンスの歴史を示した上で、先端的な表現を見せるのが有効だと考えたからです。また、オープニングでは京都芸術センターでの親密なデュオ『ラストダンスは私に』、ロームシアター京都の大舞台で19人が踊る『ルーム・ウィズ・ア・ヴュー』を同日に上演しようと決めていました。現代のダンスの多様性を示したかったのです」
(ラ)オルドのような新鋭から、ダンス界の重鎮であるマチルド・モニエやクリスチャン・リゾーまで、ひと口にコンテンポラリーダンスといっても振付家の視点も方法論もきわめて多様だ。それが「わかりづらさ」と捉えられることもあるが、ローラン自身はダンスの魅力をどこに見ているのだろう?
「芸術は多層的です。ダンスであれば表層に身体表現があり、その下に物語がある。観客はダンスの動きに注目しても物語を読み解いてもいい。自分の興味のあるところに入り込めるのが面白いですね」
フェスティバルでは振付家も全員来日し、公演後のトークや、経験者も未経験者も振付を学べるワークショップが開催された。「ダンス リフレクションズ」の理念である「創造」「継承」「教育」の価値が立体的に展開し、あらゆるレベルの観客にコンテンポラリーダンスに対する気づきと考察の機会を提供した点も独創的だった。
過去3回のフェスティバルを撮影した写真展を同時開催し、ダンスと写真の新たな連携の可能性を示したのも日本で初めて実現した企画だ。
「アーティストは旅をし、フェスティバルを通して新しい観客に出会い、新たな世界を開いていきます。今日のグローバルな社会で、文化が出会い、混ざり合うことのインパクトはさらに大きくなっている。作品を上演するだけではなく、コミュニティを醸成することも私たちの仕事だと考えています」
今回蒔かれた種が、日本のダンス界でどのように育っていくのか、興味は尽きない。
---fadeinPager---
さまざま試みが実施された、日本でのフェスティバル
01. Photo Exhibition
ロンドンを皮切りに、香港、ニューヨークで開催されてきた「ダンス リフレクションズ by ヴァン クリーフ&アーペル」フェスティバル。今回初の試みとして取り入れられたのが、写真展との同時開催だ。「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」と共同で、過去3度のフェスティバルを撮り続けてきたオリヴィア・ビーの作品を展示した。
02. Workshop &Talk Session
「ダンス リフレクションズ」が3つの柱としている理念が「創造」「継承」「教育」。“内省”を意味するその名の通り、観客にさまざまな気づきを与えるべく、振付家や出演者によるワークショップやポストパフォーマンストークのほか、KYOTOGRAPHIE共同ディレクターとセルジュ・ローランとのトークセッションも開催された。
03. Shows
「ダンス リフレクションズ」がパートナーシップを結んできた、ロームシアター京都と彩の国さいたま芸術劇場、そしてKEXの愛称でも知られる「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」。この三者と協働し、新進気鋭の振付家からダンス界の重鎮まで、ヨーロッパの第一線で活躍するアーティストやカンパニーを招聘した。
---fadeinPager---
ダンスの専門家が紐解く、作品ごとの魅力とキュレーションの妙味
世界でもまれな、ダンスに特化したヴァン クリーフ&アーペルのメセナ活動が私たちに伝えたことはなにか──。フェスティバルの全作品を鑑賞したダンス専門家が語り合う。
富田 今回、京都と埼玉の二都市で開催された「ダンス リフレクションズ」フェスティバルには、フランスを拠点とするアーティストを中心に、若手からベテランまで有名どころが集まりました。ダンスのスタイルの変遷を垣間見ることもでき、日本初紹介となる新世代の代表格もラインアップされました。3人組で新しいつくり方をしている(ラ)オルドや、他とはバックグランドを違えるマルコ・ダ・シウヴァ・フェレイラなど。
岡見 (ラ)オルドはマドンナのツアーの振付監督を務めていたりもして、時代の寵児ですね。フランスではチケットもなかなか取れないと聞きます。ただ、『ルーム・ウィズ・ア・ヴュー』に関しては、少し辛口に言うと、パワーもあるしエネルギーもある、構成力もある、しかし肝心の「なにに怒っているのか」がオブラートに包まれたままでした。最大公約数に伝わるグローバルな表現にしようとするとこうなるのかもしれませんね。
富田 舞台作品というよりライブショー、ライブパフォーマンスといったふうでしたね。創作のテーマとしては、グレタ・トゥーンベリの活動にも見られる、環境問題への反応が鈍い大人たちへの怒りのようなものがあったそうですが、確かに舞台は霞がかかっている印象でした。特に前半はリアル感覚の「ゲーム画面」を見ているようで。終盤にそのフィクショナルな世界から生身の肉体が飛び出してくる、つまり叫びを上げる時が勝負だったのかもしれません。終演後の会場では興奮した観客と冷めた観客に分かれていましたね。
岡見 ダ・シウヴァ・フェレイラはどうでしたか? 彼もいまヨーロッパで新風を巻き起こしているアーティストのひとりです。
富田 『カルカサ』を見た知人の社会学者が、ポルトガル革命のことを思ったと言っていました。そして革命で終わらない、闘う意志を、ダンサーたちが愚直に前進し続ける身振りで伝えていたことに震えたと。社会の底からの声を身体感覚で観客にぶつけてくるのはさすがですね。
ビジュアルアートとダンスのコラボレーション
富田 趣向は違いますが、彼らと同年代でもうひとり新進気鋭の振付家がいます。オラ・マチェイェフスカです。「ダンス リフレクションズ」フェスティバルのディレクター、セルジュ・ローランが、日本での開催のポイントに美術と振付の関係を挙げていました。彼女の仕事はまさにそうですね。
岡見 今回、フェスティバルのオープニングを写真展で始めることからも、ビジュアルアートとダンスのコラボレーションはひとつの特徴と言えそうです。ロイ・フラーは、大きな布を旋回させて「ダンス」を生み出しました。マチェイェフスカはそのロイ・フラーのワークをじっくり時間をかけて研究し、創作したように思います。
富田 『ロイ・フラー:リサーチ』にしろ『ボンビックス・モリ』にしろ、布を扱うダンサーの手つきは職人的でしたね。特に冒頭の、ダンサーたちがていねいに布で造形してゆく時間は息をのみました。またこれらの作品では、そうした繊細で甘美な時もさることながら、優れてクリティカルな瞬間が示されてもいました。マチェイェフスカは、ロイ・フラーの功績を現代的な観点で批判的に、つまり生産的に継いでいます。フラーが、ダンスをダンサーの身体から切り離すため、布で自分の体を見せないようにしていたのに対し、マチェイェフスカは布の合間に、汗をかき昂揚する表情を伴った顔や体を見せるようにしました。布のダンスを生み出しているのは誰か、ダンサーなのだと。
岡見 研究と創作の織りなす秀作でしたね。マチルド・モニエの『ソープオペラ、インスタレーション』も、美術から動きが立ち上がるワークでした。ドミニク・フィガレラによる「泡」の舞台美術が素晴らしかった。舞台空間があれほど大きな泡の雲になるとは! そしてその中でダンサーたちが動き続け、踊る。私は抽象的なアートが好きなこともあり、こうしたダンサーの踊る動機が外側にある表現に惹かれます。空気の圧力など、環境から動かされるダンサーの身体、踊りもあるわけです。
富田 この作品では、ダンサーの動く理由が、泡の粒と触れ合う身体の感覚にある。泡に触発され続ける身体=踊りみたいな。泡は消えてなくなってしまうのですが、ずっと見ていたかったです。
---fadeinPager---
人と人とがつながる、信頼や思いやりをベースに
富田 ヴァン クリーフ&アーペルの「ダンス リフレクションズ」では、創造・継承・教育を活動の柱にしています。日本で開催されたこのフェスティバルにおいては、参加アーティストたちのワークショップやトークが多くなされました。その中にはアレッサンドロ・シャッローニのダンサーたちによる、イタリアの古き踊り「ポルカ・キナータ」を参加者に教える、ユニークな試みもありました。
岡見 ボローニャにいまわずかに踊り手がいるこの求愛・誘惑のダンスは、100年前までイタリアでよく踊られていたそうです。でも、その後廃れて60年代には踊り手がいなくなってしまい、90年代にあるダンス教師の努力によって甦りました。ワークショップでは、継ぐことを目的とするのではなく、気軽に習ってもらい、知ってもらうというものですよね。
富田 その点についてシャッローニが面白いことを言っていました。踊りは一度消滅しても、種の絶滅とは違い、誰かが知っているなら再生するのだと。ポルカ・キナータは、もともと男たちによる女性へのアピールダンスです。シャッローニは、その価値を反転させ、ペアである踊り手同士の関係のうちに置き直しました。
岡見 面白いですよね。踊り手の動き自体は100年前とほぼ一緒なのに、それを行う人の志向性などが変わると雰囲気も変わる。社会の気質の変化ってそういうところとつながっているのかもしれません。男から女へのアピールだった踊りが、ゲイカルチャーの文脈で読めるようにも見えてくる。
富田 あれほどの高速回転で何度も踊るとなれば、息も切れるし、疲れる。観客は時間とともに動き以上のもの、ふたりの親密さや信頼感のようなものを感じ取るようになる。むろんそれはシャッローニのドラマトゥルギーでもあります。彼の作品に多く共通するように、シャッローニは反復にこだわりのある人なので、音楽もミニマルミュージックに変えた。そういうチェンジを好ましく思わない人もいますが、私はここに新たなエートスが醸されているように感じました。カーテンコールの後に伝統的な音楽で踊ったオリジナルのポルカ・キナータも素敵でしたけど。
岡見 クリスチャン・リゾーの作品も、少しそれに近いものがありますね。私は今回、リゾーにインタビューをする機会があって、その時彼はこの作品で「男性の脆さを表したい」と言っていました。富田さんはそれを感じましたか?
富田 脆さというより、優しさ?
岡見 サンシビリテ? フランス語でいう感受する力というか。
富田 そうですね。ダンサーたちが互いに手を取り合う時の手の出し方、肩に手を掛ける時の掛け方、腰に手を添える時の添え方、そうした一つひとつのふるまいに思いやりのような……。
岡見 さりげない身ぶりから、内面の大きな感情があふれ出す感覚ですね。
富田 そう、いいもの見たなって。それをラシッド・ウランダンの『身体の極限で』にも感じたんです。出演者たちは、危ない技を可能にするそのベース、信頼感を共有していて、その動き方の内に相手を大切に思うことも含ませている。私たちが彼らの舞台に愛おしさを覚えるのはそのためでしょう。
岡見 プログラムのキュレーションが効いていますよね。このフェスティバルは私たちに、目の前で踊る人の肌のやわらかさを感じさせたり、遥か昔にあった動きを知らせて考えさせたり、見えないものが見えてくる時間があることを教えてくれます。そうした体験は現代では特に貴重です。また日本で開催してほしいですね。
富田 ぜひ!
ヴァン クリーフ&アーペル ル デスク
TEL:0120-10-1906
www.vancleefarpels.com