北海道から沖縄までの47都道府県すべてを巡る「DEFENDER EXPERIENCE NORTH SOUTH TOUR」。
DEFENDERの卓越した走行性能と快適性を堪能しながら、日本の歴史や文化、雄大な自然を体感する壮大なツアーだ。
そのフェーズ6は、広島を起点に、島根、山口、大分、宮崎の5県を、総距離1100kmを超えるロングドライブで結ぶ。瀬戸内の港町から神々の国、そして九州の温泉地まで、多彩な表情を見せる日本の魅力を、DEFENDERとともに味わった。
DAY1 瀬戸内の歴史が息づく港町を巡る
フェーズ6の旅は、瀬戸内海に面した歴史ある港町、広島県竹原からスタートした。
「安芸の小京都」と呼ばれるこの町は、平安時代に京都・下鴨神社の荘園「竹原庄」として開かれ、その後、塩田や酒造業で栄えた。特に江戸時代には良質な塩の産地として知られ、その富が町の発展を支えてきた。
やわらかな朝日に照らし出された町並み保存地区を散策すると、白壁と黒い格子窓が印象的な商家や酒蔵が立ち並び、江戸時代から明治にかけての建造物群が織りなす歴史的な景観を堪能できる。
なかでも「日本のウイスキーの父」として知られる竹鶴政孝の生家「竹鶴酒造」は、江戸時代から続く酒造りの伝統をいまに伝える重厚な木造建築だ。竹鶴政孝が幼少期に過ごしたこの場所は、日本のウイスキー産業にとって歴史の深みを感じさせるだろう。
竹原でゆったりとした時を過ごした後、DEFENDERは瀬戸内の海風を受けながら呉へと向かった。
呉で最初に訪れたのは、海上自衛隊の歴史と活動の展示施設「てつのくじら館」。
ここには、海上自衛隊の歴史と潜水艦「あきしお」艦内を模倣した展示があり、かつて日本海軍の軍港として発展し、いまは海上自衛隊の重要な拠点となっている呉ならではの博物館だ。
2004年3月まで海上自衛隊で活躍した潜水艦「あきしお」の艦内展示は、狭い艦内に効率的に配置された司令室や士官室を巡りながら、潜水艦という特殊な空間での任務の緊張感を疑似体験することができた。
場所を移して訪れた「大和ミュージアム」では、戦艦大和の精密で巨大な模型(全長26.3m)に圧倒される。
展示室には零式艦上戦闘機や特殊潜航艇「海龍」など、貴重な実物資料が並び、大和建造時に使用された世界最大級の工作機械やさまざまな艦船模型を通して、呉が誇る造船技術の歴史と進化を学んだ。
昼食は、大和ミュージアムにほど近い「呉ハイカラ食堂」を堪能する。
潜水艦内をモチーフにした店内で食した「そうりゅうカレー」は、海上自衛隊の調理員から直接指導を受けて忠実に再現されたという一皿だ。
艦長のお墨付きであるこのカレーは、桃をはじめとするフルーツをたっぷりと煮込むという手の込んだ逸品で、果実のあまみが溶け込んだ深い味わいに舌鼓を打った。
呉ハイカラ食堂
呉市宝町4-21マリンビル3号館2階
TEL:0823-32-3108
午後は「入船山記念館」を訪れた。
旧呉鎮守府司令長官官舎として使用されたこの歴史的建造物は、明治期の西洋建築の粋を集めており、日本の近代化の足跡をいまに伝えている。
木造でありながら、当時最先端だった西洋建築の技術を取り入れた建物からは、新しい時代を切り開こうとした明治の気概が感じられた。
その後、DEFENDERは出雲を目指して北上を開始。
瀬戸内から日本海側へと向かう約200kmの道のりでは、途中、激しい豪雨に見舞われた。しかし、DEFENDERの優れた走行安定性により、荒天の中でもゆるぎない安心感に包まれてドライブを楽しむことができた。
日が傾きはじめる頃、島根県出雲市に到着。竹原の町並みに残る江戸の面影、呉の近代化を物語る歴史的建造物、そして海の守りを担う自衛艦の世界に触れた充実のDAY1は、出雲の地で静かに幕を閉じた。
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DAY2 神々の国から日本海沿岸を駆け抜けて
朝の澄んだ空気のなか、DEFENDERは出雲大社へと向かう。
最初に訪れたのは、一畑電車の出雲大社前駅である。
昭和5年(1930年)に建てられ、現在も現役で活躍する鉄筋コンクリートの駅舎は、ふくらみのある半円形の緑の屋根が印象的だ。白く塗られた内壁とステンドグラスの窓、アーチ型の高い天井が織りなす優美な内装には、往時の旅情が色濃く漂う。静かな待合室の佇まいに、時が止まったかのような深い趣が感じられた。
杉木立の参道を進み、出雲大社へ。まず拝殿で丁重に拝礼を捧げ、本殿を参拝。さらに境内を進むと、神楽殿に掲げられた大しめ縄の圧倒的な存在感に目を奪われる。
日本最大級の規模を誇るこのしめ縄は、まさに神々の世界と地上とをつなぐ架け橋のようである。
この出雲の地では、旧暦10月になると全国の神々が集うとされる神在月(かみありつき)を迎える。その神聖な時期に訪れた境内で、古より伝わる神々の物語に想いを馳せる特別な時間となった。
その後、DEFENDERは日本海沿いを西へと走り出した。
約250kmにおよぶ海岸線ドライブでは、絶えまぬ波のうねりを間近に感じながら山口県へと向かう。荒々しい日本海の風景は、穏やかな瀬戸内海とは異なる表情を見せていた。
やがて昼時を迎え、萩の道の駅「萩しーまーと」に立ち寄る。隣接する萩漁港で水揚げされた新鮮な刺身と釜揚げしらすをたっぷりと載せた海鮮丼は、この地ならではの贅沢な味わいだった。
道の駅 萩しーまーと
山口県萩市椿東4160-61
TEL:0838-24-4937
午後、DEFENDERは次なる目的地、清澄な海に架かる角島大橋を目指した。
まずは、そのたもとの高台に佇むリゾートヴィラ「ヴィラ ミクリ ツノシマ」のカフェ「カドノウミ」で小休止。エメラルドグリーンの海と緑深い角島が織りなす絶景を眺めながら、旅の途中の心地よいひと時を過ごす。
無料橋としては国内屈指の長さを誇る角島大橋へ。
下関市と角島を結ぶ全長1780mの橋は、まるで青い水彩画の中に一本の白線を引いたかのように、白砂のビーチとコバルトブルーの海を優雅な曲線で結んでいた。DEFENDERでゆっくりと渡りながら360度に広がる絶景に魅了された。
角島を後にしたDEFENDERは、荒々しい日本海の波しぶきを右手に見ながら南下。夕暮れ時、この日の最後の目的地、下関へと到着した。
茜色に染まる空を背景に、関門海峡に架かる関門橋のシルエットが浮かび上がり、DAY2の旅は静かに幕を閉じた。
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DAY3 関門海峡を渡り、磯崎建築を巡る
朝の清々しい光に包まれる下関の街で、DEFENDERはDAY3の幕開けを迎えた。
最初に訪れた唐戸市場は、創業から100年もの歴史を刻む下関の台所である。
市場に足を踏み入れると、威勢のよい掛け声と新鮮な魚介類の香りが活気ある空間を演出している。ふぐの街・下関らしく、店先には大小さまざまなふぐが並び、市場の賑わいとともに訪れる人々の心を捉えて離さない。
市場での朝の喧騒を後にし、関門海峡のランドマーク「海峡ゆめタワー」へ。
153mの高さを誇るタワーを背景に、DEFENDERとの印象的な一枚をレンズに収めた。
いよいよ関門橋へ。山口県下関市と福岡県北九州市門司区を結ぶこの橋は、1973年の開通時には東洋一の長さを誇った。
全長1068mの吊り橋は、いまなお、雄大な姿で海峡に架かっている。この歴史的な橋を渡り、DEFENDERは九州の地を踏んだ。
関門橋を渡ったDEFENDERは、九州自動車道、東九州自動車道を快調に走り、大分へと向かう。目的は、「建築界のノーベル賞」と称されるプリツカー賞を受賞した大分出身の建築家、磯崎新の作品を巡るアーキテクチャー・ツアーである。
最初に訪れたのは、磯崎新の初期の代表作「アートプラザ 磯崎新記念館」である。かつての大分県立大分図書館を改修した建物には、1960年代のモダニズム建築の粋が凝縮されている。
続く大分県立図書館では、まるで宇宙船のような未来的な空間デザインが施されたエントランスに圧倒される。
天井に設置された巨大な円盤と、屋根から差し込む自然光が描き出す光と影のコントラストは、見る者を異次元の空間へと誘うかのような幻想的な雰囲気を醸成している。
別府に移動し、別府国際コンベンションセンター/ビーコンプラザを訪問。
施設のシンボル「グローバルタワー」は、2本の支柱とそれを支える弧状の柱が描く大胆な曲線が特徴的である。地上100mに位置する展望台は、まるでガラスの箱を空中に浮かべたかのような斬新な空間となっている。
その開放感あふれる場所からは、温泉街に立ち上る湯煙、穏やかな別府湾、そして鶴見岳までもが一望でき、建築と自然が織りなす壮大な眺望に息をのんだ。
この日最後の訪問地は、昭和13年(1938年)築の木造建築、竹瓦温泉である。
レトロな建物は、当時の建築美と入浴文化をいまに伝える貴重な登録有形文化財だ。
情緒豊かな浴室で温泉につかりながら、建築と温泉文化が織りなす別府の魅力に浸った。
DEFENDERとともにたどった建築と温泉の街は、日が暮れるころ、湯煙たなびく風情ある街へと表情を変えていった。
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DAY4 元ラグビー日本代表 福岡堅樹さんと巡る思い出の地
DAY4には、ラグビー日本代表として活躍し、現在は医師を目指して順天堂大学医学部に在籍する福岡堅樹さんが同行する。DEFENDERのアンバサダーとして、故郷・福岡に隣接する大分の地を巡った。
大分は福岡さんにとって、幾重にも思い出が重なる特別な場所である。幼少期には家族で別府温泉へのドライブを楽しみ、日本代表時代には別府での強化合宿を経験。さらに「ラグビーワールドカップ2019」では「昭和電工ドーム大分」で自身のベストプレーのひとつと語るトライを決めた思い出の地でもある。
朝いちばんに訪れた由布岳南山麓自然パークで、福岡さんは幼少期の記憶を語った。
「由布岳の頂上がカニのハサミのようなかたちをしており、子どもの頃は『チョキチョキ山』と呼んでいました」
その言葉通り、DEFENDERが進むにつれて、特徴的な山容が目前に広がっていく。山肌を這うように延びる道を、DEFENDERは余裕の走りで駆け抜けた。
約60kmのドライブを経て到着したのは、豊後大野市の原尻の滝。
日本の滝100選に数えられるこの名瀑は、幅120m、高さ20mという壮大な規模を誇る。9万年前の阿蘇山大噴火による火砕流が生み出した自然の芸術に、初めて訪れた福岡さんも深く見入っていた。
穏やかな田園風景の中に忽然と現れる水のカーテンは、その迫力で訪れる人々を魅了してやまない。
夕刻、別府の「ANAインターコンチネンタル別府リゾート&スパ」に投宿した。ロビーでチェックインを済ませると、別府湾を一望できる広々とした客室に案内された。
ディナーは、シグネチャーレストラン「アトリエ」にて、地元食材をふんだんに用いた「おおいたフレンチ」の味わい深い料理を堪能。
食事の後、テラスに佇むと、別府湾を取り囲むように煌めく街の灯りと無数の湯煙が織りなす幻想的な夜景が広がっていた。心地よい夜風に身を委ねながら、福岡さんは静かに語り始めた。
「この大分という土地は、私にとって特別な意味を持っています。子どもの頃は温泉地として、休日に家族で訪れる癒やしの場所でした。その後、日本代表として合宿で訪れることになり、確かにハードな練習もありましたが、試合での思い出も含めて、すべてがポジティブな記憶として残っています。気づけば、人生のさまざまな場面で深い縁のある土地となっていたのです」
DEFENDERとともに巡る旅は、福岡さんの記憶の中の大分と、新たな発見の大分とを優しく結びつけていった。
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DAY5 別府から宮崎へ、フェニックスの地への旅路
最終日となるDAY5の朝、DEFENDERは別府を出発した。
東九州自動車道を南下すること約200km、爽やかな朝の光を浴びながら宮崎を目指す。DEFENDERの確かな足取りが、最終日の旅路に安心感を与えてくれる。
高速道路を下りると、宮崎県中部を流れる一ツ瀬川の河口に広がる静かな砂浜に立ち寄る。
青い海と空が溶け合う日向灘の眺めを楽しみながら、これまでの旅路を振り返った。
穏やかな波音に耳を傾けつつ、DEFENDERとともに巡った1100kmの記憶が次々と蘇る。
うなぎのやまぐち
宮崎県宮崎市島之内1601-1TEL:0985-39-5530
昼食には宮崎の誇る名物「宮崎うなぎ」で英気を養い、最終目的地「フェニックス・シーガイア・リゾート」へと向かう。
ここでは翌日に「ジャガー ランドローバー オーナーズ ゴルフトーナメント2024」の開催が控えており、全国のジャガー・ランドローバーディーラーでの予選を勝ち抜いた精鋭オーナーたちが集う。
大会を前にした高揚感が、既に場内を包んでいた。
広島発、島根、山口、大分を巡り、宮崎に至る約1100kmのフェーズ6の旅は、ここで幕を閉じる。
しかし、DEFENDERとともに紡ぐ47都道府県縦断の物語は、フェーズ7での沖縄を巡る旅へと、さらなる期待とともに続いていく。
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フェーズ7は沖縄県!琉球王国の歴史と新たな挑戦の島 琉球王国の歴史に触れ、3500人の挑戦者が集うスパルタンレースへ
ここからは、いよいよフェーズ7。日本の歴史や文化、そして圧倒的な自然美を体感するこのプロジェクトは、DEFENDERがサポートする「SPARTAN RACE 沖縄」(12月14日)の開催に合わせ、沖縄本島へ。
琉球王国の悠久の歴史から、美しい自然、そして新たな挑戦の物語まで、豊かな表情を見せる島を巡る。
DAY1 琉球王国の歴史と美しい自然を巡る
南国の青空の下、まずDEFENDERが向かったのは「豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチ」。
那覇空港からほど近い、全長700mにおよぶこの白砂の海岸は、まさに「空港からいちばん近い楽園」の名にふさわしい。
翌日には世界40カ国で開催されている障害物レース「スパルタンレース沖縄」の会場となるこの場所で、白砂とエメラルドグリーンの海が織りなす南国の絶景を背景に、力強く佇むDEFENDERの姿をカメラに収めた。
続いて目指したのは、那覇空港の南約1.5kmに浮かぶ瀬長島。
本島と橋で結ばれたこの小さな島には、"日本のアマルフィ"の愛称で親しまれる複合リゾート施設「瀬長島ウミカジテラス」が立つ。白壁の建物群が青い海に映える姿は、まるで地中海沿岸の景観を思わせる絶景だ。
瀬長島を後にし、北へ15kmほど進むと、琉球王国の栄華をいまに伝える「首里城」に到着する。
1429年の築城から1879年まで、琉球王国の王たちが居を構えたこの城は、沖縄の歴史と文化を象徴する存在だ。
1945年の沖縄戦で灰燼に帰し、その後琉球大学のキャンパスとなった首里城は、1992年、沖縄の本土復帰20周年を機に正殿を中心に復元。世界遺産にも登録されている威風堂々たる姿を取り戻した。
しかし2019年10月、突如として起きた火災により、正殿をはじめとする9つの建造物が焼損。だが、沖縄の人々の復興への意志は、「見せる復興」というかたちで結実している。
現在、正殿の建っていた御庭には、木材を加工する「木材倉庫」、原寸大の設計図を描く「原寸場」、建築中の正殿を雨風や埃から守る「素屋根」が建てられ、併設された見学エリアからガラス越しに復元の様子を見学することができる。
2026年の完成を目指し、一歩一歩、着実に復興への歩みを進めている。
首里城に隣接するエリアには、もうひとつの歴史的建造物が、静かに佇んでいる。琉球王家の陵墓「玉陵(たまうどぅん)」だ。
1501年、琉球王国第二尚氏王統の第3代国王、尚真王が父である尚円王の遺骨を納めるために築いて以来、歴代の国王たちの眠りの場となってきた。
3つの墓室からなる荘厳な石造建築は、2000年の世界遺産登録、そして2018年には沖縄県の建造物で初めての国宝指定という栄誉を受けている。
歴史の息づく首里を後にしたDEFENDERは、沖縄自動車道を北上。約30分のドライブで、一転してモダンでポップな雰囲気あふれる北谷(ちゃたん)町美浜の「アメリカンビレッジ」へ。かつての米軍ハンビー飛行場跡地に誕生した大型複合施設だ。
アメリカンポップカルチャーを体感できるエンターテインメントスポットとして、日本人のみならず在日米軍関係者や海外からのツーリストにも人気を集めている。
鮮やかな原色でペイントされたカリフォルニア風の建物が立ち並び、ショッピング、グルメ、レジャーを楽しむ多くの人で賑わう。青空の下、カラフルな建物とヤシの木がつくり出すリゾート感あふれる風景は、まさにアメリカ西海岸を思わせる。
その後、一気に沖縄自動車道を北上し、本島北部の今帰仁(なきじん)村へと向かった。
周囲8kmの小さな楽園、古宇利島を目指す途中、「DRIVE IN リカリカワルミ」に立ち寄りランチタイム。
コバルトブルーの海と古宇利大橋を一望できるウッドデッキで味わう特製バーガーは、沖縄県産豚肉の極上パティと黒糖しょうがソースが絶妙なハーモニーを奏でる逸品だ。
DRIVE IN リカリカワルミ
沖縄県国頭郡今帰仁村天底1124-5TEL: 0980-56-1223
バーガーでおなかもふくれたら、いよいよ全長1960mの古宇利大橋へ。
名護市の屋我地島から古宇利島へと架かるこの橋は、まるで海上を走るかのような感覚を味わえる絶景スポット。
両側に広がる青い海原と、心地よい波音をBGMに、DEFENDERは島へと向かう。
古宇利島では、時計回りに島を巡り、北側のティーヌ浜へ。
ここには何千万年もの波の営みが生んだ「ハートロック」と呼ばれる自然のアートが待っていた。
ハート型に浸食されたこの岩は、島の魅力を象徴する写真スポットとして人気を集めている。
DAY1の旅の終わりは、本部半島の備瀬地区へ。
およそ250戸の民家のほとんどが、フクギの屋敷林に囲まれたこの集落は、沖縄の暮らしの知恵が息づく場所だ。
台風常襲地帯での生活を守るため、古くから防風林として育てられてきたフクギは、樹齢300年を超えるものも。
DEFENDERをパーキングに停め、2万本ものフクギの群生がつくり出す約1kmの緑のトンネルをゆっくりと歩く。
フクギ並木を抜けると、そこには備瀬海岸の広大なビーチが広がり、遠く水平線上には「伊江島タッチュー」の愛称で親しまれる特徴的な山容を持つ伊江島が悠然と浮かぶ。
西に傾いた陽が海面に煌めきをちりばめる中、沖縄の歴史と自然に触れた充実の一日が静かに暮れていく。
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DAY2 白砂のビーチで3500人が挑む、限界への挑戦
前日の穏やかな天候から一転、厚い雲が空を覆い、強い風が吹き付ける豊崎海浜公園豊崎美らSUNビーチに、笑顔の中に挑戦への意気込みを秘めた参加者たちが次々と集まってくる。
40カ国以上で年間170回以上開催される障害物レース「スパルタンレース」の沖縄大会の参加者たちだ。前回2021年の1000人から大きく規模を拡大し、今回は3500人もの挑戦者を集めて開催された。
スパルタンレースは、障害物を乗り越えながらコースを走破するアドベンチャーレース。参加者は自身の体力と技術に合わせて、異なる難度のカテゴリーに挑戦することができる。
最も本格的な「スーパー」は10kmのコースで25の障害物に挑み、中距離の「スプリント」は5kmで20の障害物をクリア。
さらに、次世代のスパルタンを育成する「キッズ」カテゴリーでは、4歳から14歳を対象に1-3kmで10-20個の障害物に挑戦する。各カテゴリーには、記録を競う「コンペティティブ」と、参加すること自体を楽しむ「オープン」クラスが用意されている。
朝8時、DEFENDERの先導で大会の幕が開く。まずは「スーパー」の「コンペティティブ」クラスから。
鍛え上げられた身体を持つアスリートたちが、風を切ってコースを駆け抜けていく。
続いて「オープン」クラス、「キッズ」の部と続き、午後からは「スプリント」の参加者たちが次々とコースへと飛び出していく。
「スパルタンレースは筋力と持久力のバランスのよさが求められる競技です。その点で、日本人アスリートは世界でも十分戦える素質を持っています」と、主催者代表の手代木達氏は語る。
会場に設置されたDEFENDERのブースには、「DEFENDER EXPERIENCE NORTH SOUTH TOUR」で日本列島縦断の旅を続けるDEFENDER 90とDEFENDER 110が展示され、レース参加者や観客の注目を集めていた。
「この競技の魅力は、エンターテインメント性の高さにあります」と手代木氏は続ける。
「マラソンブームの中で感じていた、日本のスポーツイベントにおけるエンターテインメント要素の不足。海外では競技以外にもさまざまなコンテンツが用意され、一日中楽しめる空間がつくられています。単にタイムを競うだけでなく、チームで協力しながら障害物をクリアしていく、そんな新しいスポーツ文化を日本に根付かせたいと考えたんです」
実際、参加者の約半数が5人以上のチームでエントリー。なかには70人規模のチームも存在する。
「マラソンやトライアスロンは個人競技ですが、スパルタンレースならではの特徴は、終わった後のチームの絆の深まり。プライベートで組むチームもあれば、会社の同僚と挑戦するケースもあります」と手代木氏は笑顔を見せる。
参加者の年齢層は4歳から70代まで幅広い。
「特にキッズカテゴリーでは、サッカーや野球など、さまざまなスポーツに取り組む子どもたちが参加しています。スポーツ経験の有無に関係なく参加でき、その経験は他の競技にも活かすことができる。なにより、子どもたち自身がなにかを成し遂げようとする気持ちが育まれていく。それを見守る親御さんたちの熱心な様子も印象的です」と手代木氏は語る。
日本でのスパルタンレースは、2024年は年間5回の開催で2万人以上が参加し、コミュニティは5万人規模に成長。今年は、6回の開催を予定している。
2024年6月の千葉での大会では6000人から7000人を集めた。この規模はアジアでは中国に次ぐ。
手代木氏によれば、今後はアジア・太平洋地域のチャンピオンシップ大会の誘致も視野に入れているという。
会場には沖縄ならではの魅力も満載だ。豊見城市の伝統芸能ステージ、ローカルアーティストのライブ、オリオンビールの提供など、地域色豊かなコンテンツが用意された。在日米軍関係者の参加も多く、国際色豊かな雰囲気が漂う。
「レースだけでなく、その土地の魅力も伝えていきたい。特に沖縄のような遠方からの参加者が多い場所では、滞在時間も長いのでさまざまな楽しみ方を提案しています」と手代木氏。
「平日は仕事に励み、週末は自分の趣味に没頭する。そんな自己管理のできる人々をターゲットにしている点で、DEFENDERのブランド世界観との親和性を感じています。流行の一歩先を行く人々、自ら挑戦する精神を持つ人々、そういったアドベンチャラスなマインドを持つ方々と、DEFENDERというブランドは共鳴すると考えています」
手代木氏の言葉通り、白砂のビーチを舞台に、参加者たちは自らの限界に挑み続けた。
時に笑顔を、時に真剣な表情を見せながら、すべての参加者が競技を終え、互いの健闘をたたえ合う。沖縄の地で繰り広げられた挑戦と感動の物語は、確実に参加者たちの心に深く刻まれたに違いない。
次なるPhase8では、豊かな自然と文化が息づく九州の大地を、福岡から鹿児島へと南下する旅が始まる。47都道府県を結ぶ壮大なツアーは、新たな物語を紡ぎながら、まだ続いていく。
ディフェンダーコール
TEL:0120-18-5568(土・日・祝除く 9:00-18:00 フリーダイヤル)
www.landrover.co.jp