ジル・ロマンの特別出演も楽しみな、オリジナリティあふれるベジャールの「くるみ割り人形」

  • 文:並木浩一
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東京バレエ団は創立60周年シリーズの一環として『ベジャールの「くるみ割り人形」』公演(全2幕)を行う。偉大な業績を遺して2007年に没した巨匠、故・モーリス・ベジャールがチャイコフスキーの曲に振付した、もうひとつの『くるみ割り人形』。モーリス・ベジャール・バレエ団の前芸術監督ジル・ロマンの特別出演など、話題は盛り沢山だ。

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大きくそびえる、ベジャールの母親とも面影が重なる聖母像は、作品のキーファクターだ。ビムは亡き母にすがるように、一生懸命によじ登ろうとする。 photo: Kiyonori Hasegawa

物語も登場人物も異なる、大人の「くるみ割り人形」

東京バレエ団が連続公演を行っている「創立60周年記念シリーズ」の第12弾は『ベジャールの「くるみ割り人形」』。実は直前の第11弾も「くるみ割り人形」なのだ。なんとシリーズで2連続、「くるみ」を舞台にかけるのである。今回の上演スケジュールは、バレエ好きを唸らせる絶妙のラインアップである。

こんな離れ技が可能になるのも、ベジャールの作品の異質さゆえのことである。『ベジャールの「くるみ割り人形」』は、同じチャイコフスキーのバレエ組曲を使っているものの、内容は圧倒的に違っている。そもそも物語の主人公は女の子(版によってクララ、マーシャ、マリーなど名前は異なる)だが、ベジャール版には登場しない。魔法が解けて、くるみ割り人形から元の姿となった王子様も出てこない。

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ジル・ロマン●1979年にモーリス・ベジャールの20世紀バレエ団に入団。30年以上にわたってベジャール作品の主要な作品を踊る、ベジャールの後継者。2007年にベジャール自身によりベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBT)芸術監督に任命され、24年2月まで同ポストでベジャール作品の継承に努めてきた。

原作であるホフマンの物語にはネズミの王様と兵隊が登場するが、ベジャール版で重要な役柄は“猫のフェリックス”である(ベジャールは愛猫家で、夏目漱石『吾輩は猫である』が愛読書でもあった)。振付に関して言えばオリジナルのマリウス・プティパ版へのリスペクトが十分にあるにしても、これは完全にベジャール作品だ。

しかも決して子ども向きではなく、大人が楽しむに足るバレエである。クリスマス・シーズンの風物詩として日本中、世界中のバレエ団の「子どもが楽しめるくるみ割り人形」公演が一巡したいまだからこそ、観る意味と価値がある。

マーシャでもクララでもない主人公は、早くに母親を亡くした“ビム”という名の男の子。呼ばれ方も生い立ちも、モーリス・ベジャールその人と同じである。ベジャールは7歳の時に母親を病気で失っている。つまりはベジャールその人の子供時代を主人公とした物語なのではあるが、単なる回想ではなく、母を亡くした子供の夢想と空想を通した、切なく美しい一級のファンタジーである。

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猫のフェリックス(右下)が呪文を唱えると緑のマントを纏ったビムの妹が現れ、姿を消していた母もマリンルックで登場。ビムは母にすがり、M…(父)は手の甲にキスをする。 photo: Kiyonori Hasegawa
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M...が杖でリズムをとるのに合わせて次の場面に。ボーイスカウトの少年たちと踊ったビムが眠りにつくと、光の天使と妖精が舞う。 photo: Kiyonori Hasegawa

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芸術監督を務めたジル・ロマンも出演

登場人物はビムを中心に、亡くなった母、父でもありマリウス・プティパもしくは「ファウスト」のメフィストでもある“M...”、妹、飼い猫のフェリックス、光の天使、妖精ら。舞台上に登場するヴィーナス像が重要な役割を果たすことも含めて、古典バレエの「くるみ」とは異質の作品であり、まさに“ベジャールの”くるみ割り人形なのである。

大きな話題は、1年前までベジャール・バレエ・ローザンヌの芸術監督だったジル・ロマンの出演決定だ。サプライズな登場は、2022年に食道癌で亡くなった東京バレエ団団長・飯田宗孝へのオマージュとされている。ダンサーであり、現職の斎藤友佳理の前に芸術監督でもあった飯田は、ベジャール作品への貢献でよく知られている。東京バレエ団がこの作品を上演する時の、サンタクロースの衣装も“マジック・キューピー”役は、彼のためにつくられたと言われるものだ。

ジル・ロマンがどのようなかたちで登場するのかは公演まで定かではないが、ベジャールの正統な後継者と理解者の交感に興味が尽きない。そのジル・ロマンがベジャールとともに踊り続けてきた“M…”役は東京バレエ団の看板スター柄本弾、そして大塚卓が踊る。

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有名な「花のワルツ」にのせて踊る、白いドレスの母とビム、タキシードの男たち。M…はここではマリウス・プティパとして、グラン・パ・ド・ドゥの始まりを告げる。 photo: Kiyonori Hasegawa

物語はクリスマスの夜に始まる。クリスマスツリーの傍に座る寂しげな少年ビムのもとに、亡くなったはずの母が訪れる。猫のフェリックス、妹、M…(父親)、光の天使、妖精らを交えたダンスが交錯する中、姿を消しては現れる母親を追い求めるビム。その想いはやがて巨大なヴィーナス像となり、中から現れた母親とともにビムはパ・ド・ドゥを踊る。再会の喜びに浸り、皆に祝福されるまでが第1幕のドラマだ。

第2幕ではビムが、母親に一生懸命に伝えようとする“自分の興味のあるもの”が、各ダンサーによって披露される。「スペインの踊り」「中国の踊り」「アラビアの踊り」「ロシアの踊り」、そしてビムと母親も加わった「パリの踊り」。“M…”のダンスに魅せられ、バレエへの志に目覚めるビムは、まさにベジャール自身の少年期を語るもの。名高い「花のワルツ」に続き、見せ場のグラン・パ・ド・ドゥが踊られる。

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第1幕の見どころ、ビムと母親のパ・ド・ドゥ。物語の中でバレエに開眼していくビムの姿がベジャールに重なる。 photo: Kiyonori Hasegawa

エピローグは冒頭に戻り、ツリーのそばで眠っていたビムは目覚める。すべては夢であったはずのその場にはプレゼントが置かれており、包みの中の聖母像があり、再会の物語が終幕する。

聖母像はボッティチェリ作「ヴィーナス誕生」のポーズをとっているが、面差しは写真に遺るベジャールの母親ジェルメーヌそのものだ。ベジャールは母の死期が迫る頃に預けられていた叔母ジョルジェットから「お前のお母さんは聖女だったよ」と聞かされていたという。

ベジャールの思い入れが濃密に詰まった、魅惑のファンタジー。同バレエ団の2017年の公演(ベジャール没後10年記念企画)では冒頭に故・ベジャール自身が映像で登場し、日本語で「想い出すなぁ、クリスマス」と語るのだが、今回はどう演出するか。久々の上演に、期待が高まる。

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聖母像がぐるりと回転して現れた祠の聖母子像に見守られるように、探し求めていた母親を見出すビム。 photo: Kiyonori Hasegawa

 

ベジャールの「くるみ割り人形」

公演日:2月7日〜9日
会場:東京文化会館
TEL:03-3791-8888
www.nbs.or.jp