BEV版AE86は、スポーツカーカルチャーの語り部でした。

  • 写真:筒井義昭
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群馬県榛名湖で行われた試乗会。AE86を世界に発信した『イニシャルD』の聖地でもある。

クルマのレストアにはあるジレンマがあります。手に入れた往年の愛車。20年も30年も昔のクルマならたとえ状態がよくても多少の不具合があるでしょう。希少なパーツを見つけて修理をし、ボディを再塗装したり磨いたりする。くたびれた内装も布地の張り替えなど、お金と時間を費やせば、新車のような状態になるはずです。

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トヨタ自動車の車内でコンバートされたBEV版AE86。ナンバーは「わ」を取得しており、多くの人が試乗できる状態になっているものの、オーバーフェンダーや車高調整式サスペンション、ロールケージなどスパルタンな仕様。

でもこうしてレストアが終わったクルマは、また経年劣化をし、乗るほどにやれていきます。クルマが工業製品であるように、新車の状態は永遠ではないのです。

昨年末、群馬県の榛名湖で行われたレクサスの試乗会でそんなジレンマを解消するような一台に乗ることができました。それは往年の名車、AE86(トヨタ・カローラ・レビン)です。ただしBEV(電気自動車)にコンバートされており、フルバケットシートや車高調整に装備されたいわゆる「走り屋仕様」。

このクルマ、もちろんエンジンはなく、給油口が充電ポートになっていてトランク部分には黒くてレクサスの文字が入ったバッテリーが搭載されています。

外にいると当時のラジエーターファンの音が聞こえてきます。でもエンジン音は一切しない不思議な状態。いわゆるエンストしてイグニッションがオンになっているような状態です。クルマの中を覗き込むと運転席のシート横にギアシフトの存在に気づきます。床には、アクセル、ブレーキに加えてクラッチもあるのです。そう、このクルマはBEVでありながらマニュアル変速機を備えているということです。

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インパネまわりは当時のママ。ロールケージにバケットシートが装着された走り屋仕様。

タイトなバケットシートにお尻を滑り込ませ、当時の鍵でエンジン(電源)をかけるとエンジン音が聞こえてきます。これはスピーカーによって再現されたもの。AE86のエンジン音を忠実に再現したものです。アクセルを踏めばエンジン音もリアルに追従されます。車内では走り屋仕様のワイルドなAE86のエンジン音がしますが、外からはまったく聞こえません。強化クラッチの重いクラッチを踏み、ゆっくり離しながら走りだすと、チューニングされたAE86そのものの感覚が蘇ってきます。タイヤが跳ね飛ばす小石の音や、固められた足回り、そしてクラッチをミートするときにエンジン回転が少し落ちる感じなど、まさに30年以上前のクルマそのものです。走りだしてアクセルを踏んでもまさに走り屋仕様のAE86。その高揚感と操縦感覚は名車そのものです。あまりにも楽しくてそのまま峠やサーキットに行きたくなるほどでした。

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フロントボンネットの下にはモーターとインバーター。電動ファンは当時と同じものを採用しその音が懐かしい。「LEVIN」のEVが緑になっている。

 

降りて説明を聞くとさらにこのクルマの凄さがわかります。エンジン音をはじめ、モーターのトルク特性は忠実に当時のAE86を再現。インバーターの調整などでノーマルからハイパワーの改造モデルの状態まで自在に変更できるそうです。ミッションやクラッチはオリジナル。そしてリアのトランクにつまれている電池の重さを含めてほぼ当時の重量と同じなのだそうです(重量配分はBEVのほうがいい)。BEV技術の懐の深さに感心します。

レストアはされた往年の内燃機関は、エンジンの劣化や部品の破損が心配で限られた人が限られた時間しか乗ることができません。これが今回のAE86のように最新BEVパーツやテクノロジーで補完されるとクルマの信頼性が高くなり、当時のパーツやガソリン、オイルに依存することなく「最高に楽しかったあの瞬間」を再現することができるのです。クルマにとってベストな状態が長く続き、パーツに困らない状態にあることで多くの人が名車の感覚を享受できます。

「名車の感覚がもつ移動する楽しみを忠実に再現する」

BEV版AE86はスポーツカーカルチャーを次世代に伝える語り部のような存在でもあるのです。

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レクサスNXのPHEV用バッテリーをリアに搭載。このバッテリーを積んでも車両重量は当時と同じ。むしろ前後重量配分は均等になっているそう。

 

多田 潤

『Pen』所属のエディター、クルマ担当

1970年、東京都生まれ。日本大学卒業後、出版社へ。モノ系雑誌に関わり、『Pen』の編集者に。20年ほど前からイタリアの小さなスポーツカーに目覚め、アルファロメオやランチア、アバルトの60年代モデルを所有し、自分でメンテナンスまで手がける。2019年、CCCカーライフラボよりクラシックカー専門誌『Vマガジン』の創刊に携わった。

多田 潤

『Pen』所属のエディター、クルマ担当

1970年、東京都生まれ。日本大学卒業後、出版社へ。モノ系雑誌に関わり、『Pen』の編集者に。20年ほど前からイタリアの小さなスポーツカーに目覚め、アルファロメオやランチア、アバルトの60年代モデルを所有し、自分でメンテナンスまで手がける。2019年、CCCカーライフラボよりクラシックカー専門誌『Vマガジン』の創刊に携わった。