歴史に敬意を払い、伝統を守りながらも自身の思いや技術を活かして挑戦を続ける現代のつくり手たち。彼らはどのように民藝を思い、対峙し、制作に活かしているのだろうか。
2025年は、「民藝」という言葉が誕生して100年目となる記念の年だ。そしていまもなお、世代を超えて多くの人が民藝に魅了されている。いま私たちが日常の中で出合う民藝の姿とは? 日々の暮らしに寄り添ってくれる、その魅力にフォーカスしたい。
『たのしい民藝』
Pen 2025年2月号 ¥880(税込)
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日用の道具に垣間見える、“人間らしさ”
細く長い柄の先にぷくりと丸みを帯びた匙が付いた、菊地流架のカトラリー。有機的なシルエットと表情豊かな曲面、ところどころに残るハンマーの槌目がていねいな手仕事の様子を映し出す。
「特に民藝の枠組みや思想を意識した仕事をしているわけではありません。でも、つくったものが民藝の仲間であると認めてもらえるのは素直にうれしいですね」
菊地の作品は、全国各地の民藝店で販売されると同時に、エッジの利いたコンテンポラリーデザインショップや人気のライフスタイルストアなど、幅広いジャンルの店舗で取り扱われている。
「無名の職人による普遍的な仕事、日常に寄り添う健康な美しさを宿す民藝の基本精神は好きです。でも『民藝はこうあるべきだ』と言われてしまうと、なんだか息苦しいし、つまらなくなってしまう。民藝の存在や価値は一部の許された専門家が決定づけることではなく、広く大衆に委ねられるもの。民藝の考えも時代によって変化しますが、根本的にはよし悪しの区別はなしに、モノの中に見え隠れする〝人間らしさ〞を微笑ましく、心穏やかに感じ取ることだと思っています」
手づくりでアクサリーを製造販売していた両親を、17歳の頃から手伝ってきた菊地。結婚して子どもが誕生したことをきっかけに独立を決めるが、学校で美術やデザインを学んだわけでも、工芸の特別な訓練を受けたわけでもない。両親と寄り添う中で自然と身についた金工の技に、料理好きの気持ちを乗せながらつくり始めたのが真鍮のカトラリーだった。そこからおよそ15年を経た現在でも、基本的なかたちは当初からほぼ変わらないのも興味深い。
「僕がつくっているスプーンは、独立する直前に父が『カトラリーをつくるならこうやってみれば?』と教えてくれたものから派生したかたち。初めてつくった時、先端と柄の部分をロウ付けして、横と上を順番に叩いて成形する工程が理にかなっており、均整の取れた美しいプロダクトだと感じました。その時の印象がずっと変わらないからこそ、同じものをつくり続けているんでしょうね」
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真鍮を叩いているうちに、ちょうどいいポイントが見えてくる
機能性をどう考えているかについて問うと、自分が使い勝手がいいと思うものは、世の中すべての人に共通する感覚ではないという言葉が返ってきた。
「カトラリーは食事のために使うものですから、道具として機能するのは当然のこと。でも、僕にとって機能的であることが第一優先ではありません。人それぞれにフォルムや大きさの好みがあるように、機能性にもいろんな見方が存在する。あえてこれが機能的なかたちだと断定すると、それ以外の感覚や意識を否定しているようで居心地が悪い」
できるだけ同じかたちに仕上げたい、きれいに整えてクオリティを維持しようという意識もかつてはあった。しかし、経験を重ねるほどに、自身がよいと判断するものを純粋に好きだと言ってくれる多くの人がいることに気づく。
「定尺の真鍮板からかたちを切り出し叩いているうちに、ここがちょうどいいというポイントが自ずと見えてくる。一律に整っていなくても、自分がよしと思い求めてもらえるのなら、それが正解なのだろうといまは感じています」
いまでは工房にスタッフも加わり、生産体制も比較的安定してきた。2024年の秋には、現在の瀬戸内市の田園地帯にある工房から少し離れた日生エリアの高台に、もうひとつのアトリエを開設。
「ひとりになって自分と向き合ってみると、これまでの、家族を養い日々を暮らしていくための仕事とはまた違った感覚で仕事をしてみたくなる。真鍮でやってみたいことがまだまだあるし、やれることも見えてくる。もっと仕事に集中して、新しいものができるような気がしています」
25年春には個展も開催する。さらに自由に、大らかな表現を楽しみにしたい。