舞台は大正~昭和初期の京都と東京。実在した俳優・長谷川泰子、かの天才詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という才能あふれる3人の若者の恋愛と青春を描いた映画『ゆきてかへらぬ』。どこか虚勢を張りながら自身の夢と格闘し続ける泰子を演じたのは広瀬すず。泰子と惹かれ合い、青々しい熱情を迸らせる中也を演じたのは木戸大聖。そして、岡田将生が演じた小林は時に冷静に時に情熱的に泰子と中也に惹かれ、3人の関係性を唯一無二の複雑なものにする。
『ツィゴイネルワイゼン』や『セーラー服と機関銃』で知られる田中陽造が約40年前に執筆した『ゆきてかへらぬ』の脚本はこれまで多くの監督やプロデューサーが映画化を熱望してきたが、その度に頓挫してきた。幻の企画と言われてきた映画化を実現させたのは前作『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』で田中とタッグを組んだ名匠・根岸吉太郎。『ゆきてかへらぬ』は根岸にとって16年ぶりの長編映画となる。俳優デビュー19年目にして瑞々しい存在感を増大させている岡田将生に、豊かな文学性とひりついた緊張感を帯びた『ゆきてかへらぬ』のことをはじめ、さまざまなことを聞いた。
見えない心を演じる難しさと楽しさを感じた作品

――岡田さんは約40年前に書かれた『ゆきてかへらぬ』の脚本に一目ぼれしたそうですが、どんなところに惹かれたんでしょう?
まず、とても完成度が高くて読み応えがありました。泰子と中也と小林という登場人物3人の関係性を踏まえて緻密なお芝居ができる環境だということが伝わってきたので「是非やらせていただきたい」と思いました。根岸監督とご一緒したかったというのも大きいです。
――実際に根岸監督とご一緒してみていかがでしたか?
元々は怖い印象を持っていたのですが、僕の舞台を見に来てくださった時に初めてお会いして、その時に言ってくださった感想の言葉選びの一つひとつがとても紳士的で優しかったんです。『ゆきてかへらぬ』の撮影では落ち着いて俯瞰で見ている時と少年のように無邪気な時との落差が激しくて、その監督の姿を見ているだけでも一緒にモノづくりをしている感覚にワクワクしました。撮影中、どう小林を表現できるかということにおいて僕はとても緊張していたのですが、他にはない撮影現場の体験ができたのでご一緒できて本当によかったです。

©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
――小林を表現する上でどんなところが難しかったですか?
小林と泰子と中也の感情が軸にあって、人の感情は読めないので答えがないんですよね。小林がどういう人間なのかと聞かれても未だにはっきりと答えられないんです。泰子と中也の仲に入っていくことで彼は何を得ようとしていたのか、なぜ泰子に一目惚れしたのか、泰子を通して中也を見続けていたかったのかなど、いろいろな可能性があって。小林がなにを考えているのか悩みながら向き合いましたが、その時間がすごく楽しかったです。小林にとって中也はライバルでも親友でも家族でも恋人関係でもない。でも中也がいないと世界の均衡が崩れてしまうくらいの存在ではあるんです。中也がよい詩を書いた時に小林が『お前は天才だ』っていうセリフは心から言っているわけですし、同時に自分に向いているようなところもあって。監督がさまざまなことに対して明確な答えを出さなかったのも面白かったです。
3人のセッションの中で生まれてきた感情と脚本で描かれている動きを織り交ぜていくのはとても難しい作業で、監督と広瀬さんと木戸くんと一緒に慎重に作っていきました。すべてのシーンが3人の感情の動きに繋がっているので一つひとつのシーンを的確に演じていかなければいけない。僕がそれをちゃんとできたかどうかはわかりませんが、とても面白いチャレンジでした。台本を信じて演じ続けることで完成した時に何か見えてくるものがあるんだろうなとは思っていました。
――3人の緊張感のある関係性に刺激を受けたところや反面教師にしたいと思ったところはありますか?
泰子も中也も小林も常になにかに憑りつかれているんですよね。その憑りつかれているものが一緒にいる相手にも影響を与えていて、魅力にもなるし不快さを与えることもある。俳優という仕事も役や作品に集中的に向き合うので僕も気を付けなければいけないなと思いました。だけど、人生を棒に振ってでも取りつかれるものがあるのは羨ましくもあって。目の前のものから視点をずらさないことの強さを感じる一方で怖さも感じました。そういうエネルギーが出ている作品です。
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――岡田さん自身はどういう風に役や作品に没頭するタイプなのでしょう?
夢中になり過ぎるとなにかをないがしろにしてしまう怖さがあるので、そういうモードに入らないようにしているところがあります。そこに飛び込んでいっていいという安心材料があればいいんですけど。『ドライブ・マイ・カー』を撮っている時、あまりにも自分が没入していく感覚があって正直『怖い』と思ったんです。これ以上没入してしまうと自分がわからなくなっていく感覚っていうか。視点がぶれなくなってしまって、周りの人の話が入ってこなくなって。それだけ集中できているということなので幸福感もあるんですが、そういう体験は初めてで撮影後かなりの脱力感がありました。当時はその感覚が整理できていなかったので取材ではそのことは言わなかったんですけど。今回、広瀬さんの泰子と木戸くんの中也というふたりには僕が『ドライブ・マイ・カー』の時に感じていたような視点のぶれなさに通じるものを感じたんです。だからこそ目が離せなかったし、ふたりを外側から優しく包んであげたいという気持ちがありました。

©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
――泰子と中也に対して特に心が動いた瞬間とは具体的にどのシーンでしょうか?
いっぱいありますね。3人でボートに乗っているシーンでの並びはとても象徴的で。小林と中也の位置が違ったらボートが沈んでしまうぐらいの絶妙なバランス感だなと思いながら撮っていました。それがまさに『ゆきてかへらぬ』なんだと思ったんですよね。あと、泰子と中也の喧嘩のシーンが多かったですが、30代の僕にとっては考えられない熱量が放たれていて。その愛の交歓に対して、小林が抱いていたであろう羨ましさに通じる感情が生まれていました。ふたりからは撮影後、僕のことを『親戚のおじさんが優しい雰囲気で見ているみたいだった』って言われましたけど(笑)。嫉妬もありながら「とことんぶつかり合いなさい」という気持ちもあっていろいろな感情が渦巻いていましたね。
―木戸さんとはプライベートでもよく会うそうですが、どんなところが気が合うのでしょう?
僕はこれまであまり年下の方と交流がなかったんですが、僕がクランクインする前に木戸くんは既に京都で撮影をしていて、僕がクラインクインした時には完全に中也になっていました。そこから日に日に中也にしか見えなくなっていきました。木戸くんの役への入り込み方や現場に必死に喰らいついていく姿に惚れたんですよね。撮影後は一緒に食事をする仲になり、いつの間にか密に連絡を取り合うようになっていました。とても素敵な俳優ですし尊敬しています。
――泰子が自立していく様には女性の社会進出という現代に通じるテーマを内包していると思います。それについて思うことはありましたか?
『ゆきてかへらぬ』の後に『虎に翼』の撮影に入ったんです。なので、よりそうあるべきだと感じました。『ゆきてかへらぬ』の脚本が40年前に書かれているのはやっぱりすごいですよね。『虎に翼』の放送の後に『ゆきてかへらぬ』が公開されることにも意味があると思いますし、両作品に関わらせていただけたことに感謝しています。
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今後は国内外問わず、色々な作品にチャレンジしていきたい

――2024年は『虎に翼』もありましたが、2024年はたくさん働く年にすると決めていたそうですね。それはどうしてだったんでしょう?
これまでで一番忙しかったのは23年で、そこで撮影した作品が24年に公開されたケースが多かったんですよね。その流れで24年はもっとお仕事を増やしたいと思いました。良い機会をいただくことがたまたま重なったところもあって、ちょっとギアを変えて頑張ってみようと思ったんです。結果、昨年はすごく充実した年になりましたね。多くの方々に作品を見ていただけましたし、自分がいまできることはやり遂げられた気がしています。
―2025年はどんな年にしたいと思っていますか?
少し休もうと思ってます。でも、そう思っている時に限ってやりたいと思うお仕事をいただけたりするので、バランスを考えながら向き合いたいですね。人との繋がりは大切にしたいので、求めてくださるのであれば頑張りたいという気持ちはあります。ただやはりここ2年は自分の時間があまりなかったので、自分の時間を大切にする年にしたいとは思っています。
―以前「お仕事の原動力は自分への怒りだ」とおっしゃっていましたが、最近ご自身に怒りを感じたことは?
たくさんありますね。本当できないことだらけですし。『ゆきてかへらぬ』のこともうまく言葉にできないですし。面白い作品が世間にあまり届かないことに対しても怒りを感じます。これまで自分はあまり幅広いジャンルの作品を見ていなかったんですが、そういう自分に対して怒りを感じて、ひとつ例を挙げるとすると韓国の恋愛ドラマを見るようになったんですよね。見てみたらすごく面白くて。特に『ソンジェ背負って走れ』がめちゃくちゃ面白かったです。『素晴らしい本と素晴らしいチームは世の中にはたくさん存在しているんだな』って思いました。だから今年は面白いと言われている作品はしっかり観て、どういった作品が世間から求められているかをちゃんと認識していこうと思っています。
―よくご自身のことを「複雑な人間だ」とおっしゃっていますが、どのあたりがそう思うのでしょう?
素直じゃないですし、自分の考えていることをそのまま言いたくないっていう気持ちがあります。基本的にちょっと嘘ついてるんですよね(笑)。あまり自分の素顔や本音が知られたくなくてずっとSNS系をやってこなかったんですが、いざ始めてからは意外といいものなんだなということが知れました。人のことは好きなのですが、人見知りということもあってすぐに心が開けないんですよね。
―その複雑さは俳優をやる上で活きていると思いますか?
多くの人がそうかもしれませんが、初対面の人に対して慎重になるところがあって、注意深く人を見るんです。その人の一つひとつの行動を見ることで情報を得ていくところはお芝居にものすごく活きていると思います。人間って一つひとつの行動にすごく意味があって、そこを自分でもコントロールできるようになると芝居にとても役立つんですよね。
―デビューしてから19年経ちますが、続けてこられた一番の理由は何だと思いますか?
「もう一度一緒に仕事をしたい」と思ってもらえる人でありたいと思っているので、皆さんに対して誠実に向き合ってこれまでのご縁を大事にしたいという気持ちはありながら、まだ出会っていない方たちに会いたいという気持ちが強くあります。まだ演出を受けていない監督はたくさんいますし、共演していない方もたくさんいます。配信作品も含めて海外への広がりがどんどん生まれている時代でもあるので出会いは膨大にあると思うんですよね。新たな出会いを求めているからこそ続けているんだと思います。
―今後、ご一緒したいと思っている監督やキャストは?
おこがましいので言い辛いんですけど(笑)。でも、国内外問わずチャレンジができる機会があるのであればもちろん飛び込みます。何かに繋がるよう一つひとつ頑張っていきたいですよね。もし海外作品に出演できる機会があるなら新人になった気でチャレンジしたいです。
―『ドライブ・マイ・カー』の岡田さんのお芝居は海外でもとても評判が高かったですよね。
そうだと嬉しいですね。日本の作品が映画祭に出品されたり、海外の方にも見ていただけることはとても大事なことだと思います。日本人としてそういう機会はこれからも大切にしていきたいですね。
『ゆきてかへらぬ』
監督/根岸吉太郎
脚本/田中陽造
出演/広瀬すず、木戸大聖、岡田将生
www.yukitekaheranu.jp
2月21日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開