職人の姿を通して、江戸の町の「空気感」を描く。漫画家・坂上暁仁が追求する物語の解像度

  • 写真:後藤武浩
  • 文:藤井亮一
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『神田ごくら町職人ばなし』(リイド社)で第28回手塚治虫文化賞「新生賞」を受賞した漫画家・坂上暁仁。桶職人や刀鍛冶など江戸の職人たちの姿を緻密に描いた同書は、「このマンガがすごい! 2024」オトコ編第3位や「出版社コミック担当が選んだおすすめコミック2024」第1位を獲得するなど、幅広い読者から支持を集めている。徹底したリサーチと圧倒的画力で人々の暮らしを描き出す坂上の創作の源泉を聞いた。

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少年時代、そして大学生の頃に遡る漫画家としての原点

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坂上暁仁(さかうえ・あきひと) 漫画家

1994年生まれ。2017年、武蔵野美術大学の卒業制作で描いた漫画『死に神』で第71回ちばてつや賞入選。24年『神田ごくら町職人ばなし』(リイド社)で第28回手塚治虫文化賞「新生賞」受賞。

――美大在学中から同人活動をスタートし、卒業制作として描いた『死に神』では「ちばてつや賞」に入選しています。漫画家を志したきっかけはなんだったのでしょうか?

漫画を描き始めたのは小学2年生くらいです。当時は『ドラえもん』や手塚治虫作品ばかり読んでいました。高校生の時に一度だけ、集英社の『少年ジャンプ』編集部に持ち込みをしたこともあります。当時はゲームの「メタルギアソリッド」が大好きで、特殊部隊が活躍する少年漫画を描いていました。

それから美大進学を決めて、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科に入りました。周りにはデザイナーを目指している学生が多かったですね。そうした中で、友人たちと「なにか形のあるモノをつくろう」ということで、漫画雑誌をつくることになりました。同人誌として「すいかとかのたね」の第1号をつくったのが大学2年生の時です。

――2014年に第1号を刊行し、現在も「すいかとかのたね」で同人活動をしていますね。

スローペースですが、当時のメンバーや新しい仲間が集まって続けています。2024年5月に第8号が出ました。この場がなかったら、自分は漫画を描き続けられたかどうかわかりません。一時期は「すいかとかのたね」のメンバーと一緒にシェアハウスで暮らしていました。家のリビングを自由に使える作業空間にして、みんなで手伝いながら制作したこともあります。

――江戸時代を舞台にした漫画を描くようになった経緯は。

ずっと落語が好きで、気晴らしによくCDなどを聴いていました。特に立川談志が好きで。それで、談志の「死神」を題材に漫画を描いたんです。それが「ちばてつや賞」に入選した縁から連載を目指すことになり、その時に描こうとしたのが江戸の町火消しが主人公の漫画でした。江戸を舞台にしたヒーロー漫画を考えてみて、当時の花形の職業だった町火消しや鳶職人を描いてみたいと思ったんです。

ただ、その時はリサーチの沼にハマってしまって、連載には至りませんでした。江戸時代といっても年代はいつ頃なのか、どんな職業があってどんな暮らしをしていたのかと調べはじめたらキリがなく……。調査を一区切りさせるためにも個人制作として『火消しの鳶』という漫画を描きました。これを読んでくれたリイド社で編集をされている中川さんから「画力に振り切った作品を描いてみたら」と言われたことが、『神田ごくら町職人ばなし』の1話目にあたる「桶職人」を描いたきっかけです。

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徹底したリサーチで描き出す、職人の生きざま

_DSC9803.jpg_DSC9761.jpg漫画制作のリサーチに使う専門的な書籍や資料。伝統的な建築物の工事報告書なども紐解く。

――漫画のテーマを「職人」にしたのはなぜでしょうか。

ぼくは風雨にさらされて削れた木目なんかが好きなので、そういう緻密な絵を描く仕事ができたらいいなと思っていたんです。そんな時に、伝統工芸を受け継ぐ若者を紹介している『明日への扉』という番組で桶職人の動画を観て、「これを描いてみよう」と思いました。

――「桶職人」は、雑誌『コミック乱』(リイド社)でページの空きが出た際の「代理原稿」として制作したそうですね。

連載するつもりも単行本になる予定もない代理原稿だったから、実験的なことができたんです。自分の画力を信じて、被写体の手元にカメラをできるだけ寄せて撮るように描いてみようという挑戦でした。

――『神田ごくら町職人ばなし』にはセリフや効果音のない場面も多いですが、職人が黙々と作業をする音が伝わってくるようです。広角レンズや望遠レンズなどを使い分けて描いているようにも感じます。

映画の撮影技術には関心があって、「もし自分が江戸時代にいたら、どんな映像を撮影するだろう」という観点から絵の構図を決めています。主人公に女性の職人が多いのも同じ理由で、いまのぼくがその場にいたら彼女たちにカメラを向けるはずだからです。

――1話を制作するのに、どのくらいの期間をかけているのでしょうか。

リサーチを含めて、短くても3ヶ月くらい、長ければ半年以上です。どの職業を題材にするか決めてから、YouTubeの動画などでおおまかな作業工程を把握します。それから専門的な資料などを熟読して、自分用にノートにまとめ直したりしながら「興味の種」を少しずつ育てていきます。

そうやって自分の中に知識が定着してから、実際に職人さんのところへ行って取材させてもらっています。なにも知らない状態で話を聞いても「これはなんですか?」「どんな作業をしてるんですか?」だけで終わってしまうので。取材をする時は写真や映像で記録しています。話を聞いている時はとても楽しいんですが、たくさん取材をするので帰ってから撮影資料を整理する時間はなかなか苦しい時間です。正直なところ、こんなにリサーチをやりたくないと思ってしまうくらいです(笑)

――取材先はどのようなところに行くのですか。

たとえば「刀鍛冶」の話を描いた時は、東京に工房を持つ有名な刀鍛冶である吉原義人さんにお話を聞きました。それから、金沢市にある金沢職人大学校という職人を養成するような施設にも取材させてもらっています。職人大学校ではPR漫画の執筆を依頼いただき、仕事の機会も得ながらじっくり取材できるのでありがたいです。

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資料から得られた情報を、抽出・再レイアウトして自身の知識として蓄える。

 

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空気感や職人の言葉を、解像度を上げて描く

――現場で見たり感じたりしたリアルな経験を、坂上さんのフィルターを通して漫画に結実させているんですね。

実際に見ないとわからないことは多いですね。刀鍛冶の現場は想像していたよりもずっと暗くて、いたるところにサビが飛び跳ねて黒ずんでいます。そういう場が持つ「空気感」のようなものまで表現するつもりで描かないと、自分の絵に魅力を感じられないんです。職人さんの喋り方の特徴なども漫画に取り入れることで、作品のリアリティを底上げしようとしています。「畳刺し」という収録作に出てくる遊郭での1コマも、取材で畳職人さんが話してくれたエピソードをもとにアレンジして描きました。

2.jpg資料として使うカンナやノミなどの大工道具。職人の手足となる道具も、質感にこだわり細部まで描く。

――木桶や建具などの木目の描写にも非常にこだわりを感じます。

あらためて「自分は木目が好きなんだな」と気付いたのは、文京区にある護国寺の門を見たときですね。木目というのは年輪です。硬く詰まった黒い線は冬に育った部分、太く白いところは夏に膨張して育った部分。護国寺の門は夏の部分が削れて冬の部分だけが残っている状態で、建てられてから現在までの長い時間を感じます。触り心地も楽しく、チルアウトする感覚でしょうか、ずっと眺めていられます。

――自身の表現手法において影響を受けた作品はありますか? また、手塚治虫文化賞「新生賞」を受賞しましたが、どういった部分が評価されたと考えていますか。

山田芳裕さんの『へうげもの』からは大きなインスピレーションを得ています。井上雄彦さんの『バガボンド』もすごく好きな作品です。スタジオジブリのアニメーション作品や、杉浦日向子さんの作品からも影響を受けていると思います。

新生賞については、テーマ設定と描き込みや構図などの見せ方でしょうか。職人をテーマに漫画を描くことはとても時間がかかります。特にリサーチを重ねて緻密に書き込むとなおさらです。でも、生活費を稼げないリスクを背負ってでも制作に時間をかけることで、作品の「解像度」を上げていっています。他に期待を受けている部分としては、世の中的にも職人の技に興味を持つ人が増えているんだと思います。ある意味、ロストテクノロジーを描いたファンタジーとしても読まれているのかもしれませんね。

――今後はどんな漫画を描いてみたいですか。

もともと王道の少年漫画が好きで、本当は『ONE PIECE』みたいなものを描きたかったんです。『ロード・オブ・ザ・リング』のような時代のうねりや人間模様を描いた物語にも興味がありますが、細かい部分の考証に時間を掛けてしまう性質なので、なかなか大変でしょうね。『神田ごくら町職人ばなし』では庶民の衣食住に根付いた職人の姿を通して、江戸の町の世界を表現していきたいと思っています。江戸をすべて描ききることができたら、他の作品にもチャレンジしたいですね。