2025年3月30日まで、東京都現代美術館で坂本龍一の個展『坂本龍一|音を視る 時を聴く』が開催中だ。この企画展は、2023年にこの世を去った坂本が東京都現代美術館のために遺した展覧会の構想を軸にしたもので、“音と時間”を切り口に、未発表の新作とこれまでの代表作から成る没入型/体感型サウンドインスタレーション作品10点あまりが館屋内外の空間に展開される。坂本が取り組んできた大型インスタレーションを包括的に紹介する日本初の個展となり、氏の先駆的・実験的な表現活動の多様さが濃縮された内容だ。また、坂本が遺したイメージや構想をベースに、カールステン・ニコライ、高谷史郎、真鍋大度ら坂本とつながりが深いクリエイターたちが完成させた本企画展用の“新作”も数多く展示されていることでも話題となっている。この大規模な展覧会の見どころを、内覧会に訪れた☆Taku Takahashi(m-flo)と、長嶋りかこに尋ねた。
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☆Taku「あちこちから“教授らしさ”を感じました」
m-floの活動で坂本と音楽を共作した経験がある☆Takuは、本展示会を通して「流れてくる音のコード進行や、環境音を音楽的に解釈する作品など、あちこちから“教授らしさ”を感じました」と切り出した。
「なかでも、教授の未刊行資料や刊行物を展示するコーナーを見ていると、“ゴダールについて”などいろいろメモが書いてあったんです。そういう部分がいちばん“教授っぽいな”と感じました。教授は結構情熱的な方ではありましたが、しっかりとロジックを集めてそれをアートにするタイプの作家だということが伝わってくる。作品そのものだけではなく、それらをつくるプロセスなどを受け手が想像できるように可視化されてるなと感じました」
そんな☆Takuが、とりわけ興味深く感じた作品はふたつあったそうだ。ひとつは、地下2階の屋外にあるサンクンガーデンで体験できる、中谷芙二子の『霧の彫刻』とのスペシャルコラボレーション《LIFE-WELL TOKYO》霧の彫刻 ♯47662だ。1970年の大阪万博での発表を皮切りに、中谷が50年以上にわたり世界各国で展示してきた『霧の彫刻』は、人工の霧を大量に発生させる作品。発生した濃厚な霧の中に実際に入り込むことで、自然への敬愛や畏怖の念に似た感覚を疑似体験することができる。今回の『坂本龍一|音を視る 時を聴く』では、濃霧とともに音や光を発生させることで、幻想的な雰囲気がサンクンガーデンを満たす。
「霧の中にいる時、本当に2歩先も見えませんでした。そんな状態で歩いていたら、急に足元に階段が現れたんです。これは作品の意図するものではなく、普通に階段があったというだけかもしれませんが、実際、全然想像していないものが現れて驚いた。考えてみれば、作品をつくっている時も同じ感覚なんですよね。クリエイターって楽しみながら作品づくりをしているように思われることもありますが、実際は先が見えない中で、不安を抱えながら歩き続けている。教授もそうやって制作に取り組んでいたのかなって。そんなことを考えてしまいました」
もうひとつは、企画展示室地下2階に特別展示されたアーカイブ作品『坂本龍一×岩井俊雄《Music Plays Images X Images Play Music》だったそう。この作品は、1996年に水戸芸術館で初演された坂本と岩井俊雄による音楽と映像の作品を、本企画展用にアップデートさせたものだ。世界大規模のアート祭『アルスエレクトロニカ1997』での坂本のピアノ演奏をMIDIデータ化して坂本愛用のMIDIピアノで鳴らし、さらに映像も投影することで、演奏の様子を展示室内に再現させるという趣向だ。
「皆さんにぜひ体験してほしいと思いました。僕らって、基本的に音楽をスピーカーやイヤホンで聴くことに慣れているじゃないですか。コンサートでもPAを経由してスピーカーから出力しています。この展示では、MIDIという電子信号に変換したデータとはいえ、会場で鳴っているのはピアノからの直の音。教授の演奏を記録したデータが生のピアノで聴ける……スピーカーを通さない生ピアノの音が出てる。 つまり、教授が部屋の中で弾いているピアノを聴くのとかなり近い体験ができるんですね」
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長嶋「自然を敬い、自然に抗う、人間の矛盾のたゆたいの中にいるよう」
続いては、坂本のさまざまなプロジェクトのアートディレクションを担ってきた長嶋りかこに尋ねていく。まず、坂本との思い出を聞けば、「かつて私が大きく転んで傷を負い、窮地に追い込まれた時、たくさんの人々が無言で去っていった中、情けない私に手を差し伸べたのは坂本さんでした。そういう器のスケールの人で、もっと尋常でなく、とんでもない痛みを知っている人なのだと感じさせられた出来事でした。私はあんな器とスケールを持ち合わせていない。もう若くはない私は、その恩を返す側になりつつあり、あんな心でありたいと思うのはその出来事があるからです。優しさと厳しさ、自由と責任、そういう緩急がものすごく強いコントラストで中心に据えてあって、その振れ幅にいつも励まされたり、背筋が伸びたり、温まったり漲ったりしていました」と振り返ってくれた。
坂本への思い入れの深さをうかがわせる長嶋に、本展を体験した感想について水を向けたところ、「自然を敬い、自然に抗う、人間の矛盾のたゆたいの中にいるような感じでした」と表現する。
「いくつかの部屋にあった水鏡は、無機的で硬質な空間や構造や社会をゆらゆらと有機的に歪ませ、硬結した箱の中で秩序を生きる自分もまた、ゆらぎをもたらす混沌とした水が自分の中にあるという両義性を感じさせました。無機と有機。秩序と混沌。都市と自然。光と影。こっち側とあっち側。そのどちらも、内包している存在であること。坂本さんはその矛盾をひりひりと痛いほどに感じながら生きていたのだろうかと想像して、音とかたちを慈しむような時間でした」
特に印象深く感じた作品を具体的に尋ねたところ、カールステン・ニコライによる映像作品《PHOSPHENES》《ENDO EXO》と、☆Takuへのインタビューでも話題が上がった《Music Plays Images X Images Play Music》について語られた。カールステン・ニコライの作品は、ジュール・ ヴェルヌの空想科学小説『海底二万里』から着想を得た初の長編映画 『20000』のためにニコライが書いた脚本全24章のうち、《PHOSPHENES》と 《ENDO EXO》を映像化したもの。坂本の最後のアルバム『12』から、「20210310」 と「20220207」というトラックを用いている。
「カールステン・ニコライの作品も、人間が内包する矛盾を差し出しているようでした。剥製が示すものは、自然の造形の奇跡的な美しさと、支配する人間の強欲さの対比のよう。たどり着くことのできない自然の美しさを、人間がコントロールし、自らの手で“つくる”という行為に潜む野蛮さ。そしてそれをする人間もまた、人間という自然である、という矛盾を感じました。そして岩井俊雄さんとの作品にあった、本人があたかもそこにいるかのような視覚情報は、反比例するかのように、“不在”が強調されていく感覚になったことが興味深かったです。人間が生きること自体もそうですが、人間の創造というものも自然の流れへの抗いの一種なんだなと感じさせる作品でした。一方で、かたちのない聴覚情報は自ずと能動的に存在を感じ取っていくかのような体験がありました。見えないはずの筋肉、知らないはずの思想、聴こえないはずの言葉が見えてくる。ないのにあると感じられること、あるのにないと感じられること、それらはいずれにしても、“創造性とはなにか”と考える体験となりました」
最後に長嶋に、「坂本龍一とは、あなたにとってどんな存在だったか?」と聞いた。
「自分という人間を成す要素がなんであるかを因数分解したら必ず出てくるであろう人。ともに過ごした時間が人生の時間の中のほんの一握りであっても、その存在の大きさにより、私の中ではともにした時間がその時々で伸び縮みし、残された作品もそうですが、同じく坂本さんというその存在は、時を経て意味合いが変わったり、自分の状況によって別の理解になったり、解釈が変化していくものだと感じています。そして多分、ずっといつまで経っても、また会いたいなあと、想いを馳せ続ける人です」
『坂本龍一 | 音を視る 時を聴く』
開催期間:開催中〜2025年3月30日(日)
開催場所:東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1
TEL:050-5541-8600 (ハローダイヤル)
www.mot-art-museum.jp/exhibitions/RS