「大人の名品図鑑」山形のニット編 #2
寒い冬に日常着として活躍するニット。山形県は日本のニット生産の“聖地”と呼ばれ、この地で生産された本格的で良質なニット製品が注目されている。近年ではオリジナルブランドが生まれたり、ショップの展開も見られ、今後の発展が大いに期待される。今回はそんな山形生まれのニットを集めてみた。
元ニットデザイナーの水野信子さんが書いた『ニット探訪』(K&Kプレス)によれば、ニットのルーツは紀元前1000年頃、エジプトの古跡から発見された手編みに似た織物だそうで、その織物は「長方形の枠に多くの縦糸を並べ、その両端を固定し、一本の長い糸を通した針で縦糸に巻きつけていく方法をとっていた」とある。そして、これがやがて棒針を使った手編みに移行したのではないかと解説する。また、同書には日本におけるニットの歴史も書かれており、江戸時代にポルトガルやスペイン人によって、靴下がメリヤスという名で渡来したのがはじまりと書く。
1617年の記録に、土佐に漂着した呂宋(ルソン)船の荷物明細取調書に「めりやす三足」と書かれていたとも書かれている。メリヤスの語源はスペイン語のメディアス、ポルトガル語のメイアスで、どちらも靴下を意味する。日本で初めて靴下を履いたのが水戸藩主の徳川光圀という話は有名だ。当初、「目利安」「女利安」と書かれていたメリヤスが「莫大小」と書くようになったのは江戸時代の幕末で、意味は「大も小もなく、体に合う衣服」。いかにもニットに相応しい当て字ではないか。
---fadeinPager---
流行り廃り流されない自社ブランド、バトナー
そんなメリヤスを社名の一部に持つ奥山メリヤスが山形県の寒河江市で創業されたのは1951年。2021年に発行された雑誌『サライ』の記事で、3代目の奥山幸平さんは「創業者の祖父が戦争から戻って始めた会社です。山形は軍需産業のひとつとして手袋の生産で発展した地域です。手袋も編物ですから」と語る。
16年に公開されたユナイテッドアローズが展開するウェブサイトの「ヒトとモノとウツワ」でも同社が取材されていて「戦前に盛んに行われていた軍手や靴下の製造がベースになっている」と書かれている。また同サイトでは、「天然林がなだらかな山容を描き、最上川をはじめとする数多くの清流を有するなど、繊維業に欠かせない、自然と取り合わせの地理条件も大きな影響を与えました」と書かれ、豊かな自然を持った山形でニットなどの繊維業が栄えた理由を書く。
『サライ』での記事で奥山さんは、「糸の紡績から、編立、染色までニットづくりに関するすべての工程をひとつの地域で行える日本で唯一の産地です」と力説する。新潟、福島、栃木、群馬などは現在でもニットの産地があるが、山形がニットの“聖地”と呼ばれる理由は奥山さんの言う通り、ニット生産のすべてがここ山形に揃っていることが大きいのだろう。
数多くのファッションブランドのニット製品を請け負ってきた奥山メリヤスの名前が一般の人に広く知られるようになったのは、2013年に自社ブランドのバトナーを立ち上げてからに違いない。ブランドを始めるときに目指したのは、流行り廃りに左右されることなく、シンプルで、年齢を問わず着られるようなニット製品をつくることだ。「代々着続けられるような良質で完成度が高いものを提供したい」と、「バトンを受け継ぐ」からの造語で「バトナー」をブランド名にした。
前述のユナイテッドアローズのサイトには「いつの間に省かれてしまった本来の製法にこだわり、自分たちにとっての、きちんとしたセーターをつくろう」と書かれている。本来の製法とは「成形編み」と呼ばれる手法で、胴体や袖などをそれぞれ編み立て、「リンキング」という縫い合わせを行う製法。作業には各パーツを繋ぎ合わせていく職人技が必要だ。しかしその分、縫い代がないためスッキリと見え、伸縮性に優れ、ストレスのない着心地が味わえる。今回紹介する同ブランドを代表する「シグネチャー」シリーズのニットは、無駄を削ぎ落とした美しい畦編みのニットながら、温かみを感じるニット製品の良さが滲み出ている。これも長い伝統と卓越した技術、そして山形で培われた職人技が宿っているからだろう。
---fadeinPager---
---fadeinPager---
---fadeinPager---
---fadeinPager---
バトナー
TEL:03-6434-7007
www.batoner.com/factory/about
---fadeinPager---