細野晴臣が変えた、80年代アイドルポップス

  • 文:門間雄介
Share:

幅広く多様な音楽性、多くの人を惹きつけてやまない存在感。デビューから半世紀伊集を数える細野晴臣の音楽活動を追うと、さまざまなキーワードが浮かんでくる。今回、取り上げるキーワードは「トップアイドル」。 細野晴臣はバンド活動やソロ作品を通して自身の音楽を世に放ってきたが、それだけでは彼の全貌を理解できない。作曲家として、ポップミュージックとどう関わってきたのか?

音楽の地平を切り拓いてきた細野晴臣は、2024年に活動55周年を迎えた。ミュージシャンやクリエイターとの共作、共演、プロデュースといったこれまでの細野晴臣のコラボレーションに着目。さらに細野自身の独占インタビュー、菅田将暉とのスペシャル対談も収録。本人、そして影響を与え合った人々によって紡がれる言葉から、音楽の巨人の足跡をたどり、常に時代を刺激するクリエイションの核心に迫ろう。

『細野晴臣と仲間たち』
Pen 2024年1月号 ¥990(税込)
Amazonでの購入はこちら
楽天での購入はこちら

056-057_TKS螟画鋤逕サ蜒・蟾ョDMA-sashikae4_moritaka (1).jpg

アンビエント期の90年代後半に、細野は森高千里への曲提供とプロデュースを行い、アルバム『今年の夏はモア・ベター』を制作した。森高が作詞、細野が作編曲した「ミラクルライト」は、のちに細野がアルバム『FLYING SAUCER 1947』でセルフカバーしている。photo: Kenji Miura

中森明菜、松田聖子、薬師丸ひろ子など、作詞・松本、作曲・細野のゴールデンコンビ

1970年代の細野は、小坂忠のアルバム『ほうろう』などに優れた楽曲を提供した。だがこの時期の活動は、ティン・パン・アレーによるプロデュースワークの一環としても捉えることができる。たとえばいしだあゆみに曲を書いた『アワー・コネクション』は、「いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー」の名義でリリースされた作品であり、ティン・パン・アレーと切り離して聴くことが難しい。

やはり細野の作曲家としての顔をよく理解できるのは、80年代以降のアイドルポップスを通してだろう。YMOで多忙を極めていた頃、彼にアイドルへの曲提供を持ちかけたのは、はっぴいえんどの盟友である松本隆だった。その頃、歌謡曲の世界でヒットメーカーの地位を確立していた松本は、作詞家として再び細野と共作することを画策した。手始めはイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」。YMOを思わせる、このテクノ歌謡曲がオリコンチャートで1位を獲得したことから、「作詞=松本、作曲=細野」のソングライターチームが復活する。

松本はこの頃を振り返って、「歌謡曲が変わったよね、確実に」と語っている。「歌謡曲だけじゃなく、日本の音楽を変えたと思う」。トロピカル3部作、それからYMOと、細野は歌謡曲とは無関係なところで独自の音楽づくりに邁進してきた。そんな細野の力を借りて、日本の音楽界に変化を起こすことが、松本のひとつの狙いだったようだ。なにしろふたりは、はっぴいえんどで日本語のロックを打ち立てたコンビなのだから。

続けて彼らが取り組んだのは、松田聖子の楽曲だった。松田聖子はその時点において、10曲連続でシングルチャートの1位を獲得するトップアイドルだった。そのため連続記録を途絶えさせてはいけないという重圧が細野にはかかった。彼が彼女に書いたメロディーは、のっけから転調を繰り返す、アイドルポップスとしては難度の高いもの。それでも彼女は難なく歌いこなし、この「天国のキッス」は11曲連続のチャート1位を記録する。松本は、こんな曲がヒットチャートに入ることは珍しいと言う。「明るくて、爽やかで、いっさいウェットさがない。そういうものをつくれる細野晴臣は本当に超一流なんだよね」

細野は松本とのコンビで、引き続き「ガラスの林檎」や「ピンクのモーツァルト」といった松田聖子の曲をつくり、また同名映画のテーマソングである「風の谷のナウシカ」を手掛けた。「風の谷のナウシカ」も、かなり難しいコード進行でつくられた、一筋縄ではいかない曲だ。この時期の楽曲提供では、レコーディングスタジオに到着してから曲づくりを行うような、常人には決してできない芸当を細野はたびたび見せた。

だがそういった作曲の仕事は、実は自身のために曲づくりをするより束縛がなく、楽しいものだった。アイドルや、他のミュージシャンへの楽曲提供を通して、細野が具現化させたのはメロディーへの愛着だ。彼は古き良き時代のアメリカのポップスや、幼い頃に聴いていた日本の唱歌の影響を、自身のつくるメロディーに反映した。薬師丸ひろ子のアルバム『花図鑑』に収録した「紅い花、青い花」や、裕木奈江のアルバム『旬』に収録した「青空挽歌」などは、そのメロディーが普遍性を持っている。それは常に革新的だった、細野の音楽活動とは対照的に感じられるかもしれない。しかし彼はこう話している。「もともとメロディー好きですから(笑)」

アイドルとの関わりとして、楽曲提供以外にも注目したいのはボーカル参加だ。中川翔子に曲を書き、なおかつデュエットした「ネコブギー」や、原田知世のアルバム『恋愛小説3~You & Me』で彼女とデュエットした「A Doodlin' Song」は、ボーカリストとして円熟した、いまの彼でなければできない唯一無二のコラボレーションのかたちだろう。

056-057_TKS螟画鋤逕サ蜒・蟾ョDMA-sashikae3_image0.jpg
今年の夏はモア・ベター』森高千里 1998年 アップフロントエージェンシー
「東京ラッシュ」「風来坊」などのカバーを含む、細野プロデュース作。「カリプソの娘」では森高がスティールパンの演奏も披露。

 

Symbolic Works

『EATING PLEASURE』(サンディー)
1980年 アルファミュージック/ソニー・ミュージックレーベルズ
プロデュースも手掛けたニューウェイヴ作。アイドルポップスを前夜の、YMOに連なるテクノアルバム。

『ハイスクールララバイ』(イモ欽トリオ)
1981年 フォーライフミュージックエンタテイメント
細野に初めてオリコンチャート1位をもたらした大ヒットシングル。ドラムを高橋幸宏が叩いている。

『天国のキッス』(松田聖子)
1983年 ソニー・ミュージックレーベルズ
コマーシャル用に制作したインスト曲がモチーフ。そこにメロディーを加え、松田聖子の代表曲が完成した。

『禁区』(中森明菜)
1983年 ワーナーミュージック・ジャパン
売野雅勇が作詞し、チャート1位を記録したシングル6枚目。彼女へのボツ曲がその後YMO「過激な淑女」に。

『風の谷のナウシカ』(安田成美)
1984年 徳間ジャパンコミュニケーションズ
映画の主題歌として発注されながら、なぜかテーマソングに。安田成美は同作のイメージガールだった。

『花図鑑』(薬師丸ひろ子)
1986年 ユニバーサル ミュージック
松本隆がプロデュースした薬師丸ひろ子のアルバムに細野は2曲を提供。日本の唱歌からの影響が強い。

『旬』(裕木奈江)
1993年 ソニー・ミュージックレーベルズ
松本隆の作詞で本アルバムには2曲を提供。なかでも「青空挽歌」を細野は自身の歌謡曲の完成形と称する。

『恋愛小説3〜You & Me』(原田知世)

2020年 ユニバーサル ミュージック
原田知世によるカバーアルバム。デュエット以外にも、細野作曲による「ユー・メイ・ドリーム」をカバーする。

Pen1128売_表紙_RGBa.jpg

『細野晴臣と仲間たち』
Pen 2024年1月号 ¥990(税込)
Amazonでの購入はこちら
楽天での購入はこちら