幅広く多様な音楽性、多くの人を惹きつけてやまない存在感。デビューから半世紀伊集を数える細野晴臣の音楽活動を追うと、様々なキーワードが浮かんでくる。今回、取り上げるキーワードは『電子音楽』。伝説の音楽グループであるイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が生み出した電子音楽の世界を伝える。
音楽の地平を切り拓いてきた細野晴臣は、2024年に活動55周年を迎えた。ミュージシャンやクリエイターとの共作、共演、プロデュースといったこれまでの細野晴臣のコラボレーションに着目。さらに細野自身の独占インタビュー、菅田将暉とのスペシャル対談も収録。本人、そして影響を与え合った人々によって紡がれる言葉から、音楽の巨人の足跡をたどり、常に時代を刺激するクリエイションの核心に迫ろう。
『細野晴臣と仲間たち』
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固定観念にとらわれず、とにかく前へ進み、誰もつくり上げたことのない音楽を生み出す
1978年2月、細野晴臣は坂本龍一と高橋幸宏を自宅に招き、マーティン・デニーの曲をシンセサイザーによってディスコ調にアレンジする、「エレクトリック・チャンキー・ディスコ」を新バンドの方向性として示した。YMO結成の瞬間である。
デニーのカバー「ファイアークラッカー」を収録する1枚目『イエロー・マジック・オーケストラ』は、電子音楽の先駆けだった。それは既に、十分に先進的だったが、彼らのサウンドはアルバム1枚ごとにさらなる進化を見せる。2枚目『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は、イギリスで流行していたニューウェイヴの要素を加味し、よりシャープに。ライブアルバムを挟んだ4枚目『増殖』は、なおいっそうニューウェイヴ色を強める一方で、スネークマンショーのコントとコラボレートした。
そもそも1枚目の時、細野はYMOをインストバンドだと捉えていた。ところが高橋のボーカルを聴き、その考えをあっさりと捨てた。固定観念にとらわれず、とにかく前へ進み、誰もつくり上げたことのない音楽を生み出す。それは坂本や高橋も同様に目指していたことなのだろう。
5枚目『BGM』と6枚目『テクノデリック』は、熱狂的なYMOブームに疲弊し、メンバー間に緊張関係が走る中でつくられた。最悪な状況だったが、にもかかわらずリズムマシンやサンプラーなど新たに開発された機材が、彼らの創作意欲に火を付けた。重く内省的で、ミニマルな現代音楽に接近したこれらのアルバムは、その革新性でリスナーを圧倒した。
細野のソロ作品『フィルハーモニー』も、サンプラーなどを駆使して即興的につくられたアルバムで、細野が高橋と設立した\ENレーベルからリリースされた。バンド結成とともにソロ作品の制作を封印してきた細野が、それを解禁したということは、ほとんどバンドの終結宣言に近かったのかもしれない。実際、松本隆作詞のテクノ歌謡「君に、胸キュン。」などを収録した、YMOの7枚目『浮気なぼくら』には1枚目の面影などなく、狂い咲きのような気配すら漂っていた。83年10月、彼らは“散開”を表明。8枚目『サーヴィス』が第1期YMOの最後のスタジオアルバムになった。
細野と坂本、高橋の3人は、その後も93年のYMO再生や、2002年始動のスケッチ・ショウを通した活動で顔を合わせ、07年か\は再びYMOを名乗って活動した。ライブを中心としたこの時期の演奏で、彼らが追求したのは、かつての電子音楽からコンピューターを一掃した、新しいテクノサウンド。それはやはり、過去のイメージにとらわれることなく、ひたすら前へ進もうとする、YMOらしい音楽との向き合い方だったといえる。
Symbolic Works
『イエロー・マジック・オーケストラ』(YMO)
1978年 アルファミュージック/ソニー・ミュージックレーベルズ
画期的なサウンドを実現した1枚目は、実はセールス的に不調だった。火が付くのはワールドツアーを経て。
『フィルハーモニー』(細野晴臣)
1982年 アルファミュージック/ソニー・ミュージックレーベルズ
細野のソロ作品の中でも海外で人気の高い一作。代表曲「スポーツマン」は、その後カントリーなどにアレンジ。
『サーヴィス』(YMO)
1983年 アルファミュージック/ソニー・ミュージックレーベルズ
第1期YMOの最終章となる作品。3人が共作した「以心電信」は、2000年代以降の再結集ライブで定番曲となった。
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