デザインの真髄を追求し続けた8年間 - Google ハードウェアデザイン責任者 アイビー・ロスインタビュー

  • 文:林信行
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写真は、Google Pixel 9 Pro XLと、Google Pixel 9 Pro

Google Pixelの最新シリーズである Pixel 9シリーズ 。今回、最も新しくなった点は、デザイン。象徴的なカメラバーが進化し、カメラを前面中央に配置した洗練された新しいデザインを採用された。Google Pixel 8と比較して2倍の耐久性を実現し、彫刻のような美しい輪郭が手にフィットしている。このデザインを手がけたのは、Googleでハードデザイン責任者を務めるアイビー・ロスだ。最新機種のデザインに込められたGoogleの持つ原則と、サステナビリティな取り組みとはどんなものか?10月に来日した彼女へのインタビューをお送りしよう。

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Ivy Ross デザイナー●2016年に正式に設立された Google のハードウェア製品グループのコンシューマーデバイス担当最高デザイン責任者。Google に入社する前は、フォーチュン500企業の小売、デジタル、製造などのブランド分野で務め、2017年以降スマートフォンからスマートスピーカーに至る消費者向けハードウェア製品群を立ち上げ、250を超える世界的なデザイン賞を受賞。革新的な金属加工を施したジュエリーを生み出すアーティストとしても広く知られており、手掛けた作品は、世界12カ国の美術館に常設展示されている。また、全米芸術基金(National Endowment for the Arts)の助成金対象にも選ばれたほか、FastCompany社の「2019年ビジネス界で最もクリエイティブな100人」で9位入賞するなど、幅広く活躍している。

「これまでGoogleで手がけたプロジェクトの中で、最も満足している成果です」

2024年秋、Google ハードウェアデザイン担当バイスプレジデントのアイビー・ロスは、最新の Pixel 9シリーズ についてそう語った。その声には、8年に及ぶ試行錯誤と進化の確かな手応えが込められていた。

「スマートフォンという製品カテゴリーは、一見するとデザインの可能性が限られているように思えます」とロスは語る。「しかし、私たちは細部にこだわることで、まだまだ革新の余地があることを証明してきました」

Calvin Klein、COACH、THE GAPなどファッション業界の大手で幹部を歴任してきたロスは、自身の仕事について「デザインとマーケティングが交差する地点」にあると説明してきた。その豊富な経験を買われ、2014年、Googleは革新的なウェアラブルデバイス「Google Glass」のデザインを任せるために彼女を招聘した。

2016年、Googleが自らもスマートフォンのPixelシリーズを開発すると発表した時、スマートフォン市場では既に確固たる地位を築いているブランドがいくつか存在しており、ロスは「既存のデザインとは異なる、Googleならではの価値をどのように提供できるのか」と自問自答を繰り返していたという。

その答えの一つが、独自のデザイン言語の確立だった。例えば、初期のGoogle Home Mini(現Nest Mini)では、外装をプラスチックにせずファブリックを使用するという当時としては大胆な選択を行った。「小さな挑戦の積み重ねが、今日の成果につながっています」

こうしたGoogleの挑戦の成果は次第に数字にも表れてきた。当初、Googleのスマートフォンの購入者の80%がブラックモデルを選択していた。しかし、最近ではカラーバリエーションの選択率が上昇しているという。

「現在ではブラック以外のカラーの合計がブラックを上回るようになった。」とロス。この変化は、Googleのデザイン哲学が消費者に受け入れられていることを示す一つの指標だとロスは考えている。

「私たちは常に、2年先を見据えてデザインを行っています」

すでにPixel 11のデザインにも着手しているという。しかし、ロスにとって現在のPixel 9シリーズは特別な意味を持つ。「スマートフォンというカテゴリーで、私たちらしさを確立するまでに8年を要しました。その道のりは決して平坦ではありませんでしたが、一歩一歩、目指す方向に近づいてきました。Pixel 9は、その集大成と言えます」

それでは、Googleの目指すデザインとは何か。その核心に迫るため、まずはGoogleのデザイン原則から紐解いていこう。

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Googleのデザイン原則とPixel 9における具現化

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プラスチックフリーのパッケージ 

「デザインの原則を定める際、私たちは多くの時間を費やしました」とロスは語る。チームは創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの過去の社内スピーチの内容を分析し、Googleの企業文化や価値観を深く掘り下げた。そこで最も頻繁に登場したのが「for everybody(すべての人のために)」という言葉だった。

この発見から、3つの核となる原則が導き出された。「Human(人間的)」「Optimistic(楽観的)」「Bold(大胆)」。それぞれの原則は、Pixel 9においてどのように具現化されているのだろうか。


Human(人間味) - 人間の感覚を主軸に

「人間は無意識のうちに、形状から意味を読み取ります」とロスは説明を始める。「自然界では、鋭い角は危険を意味します。例えば動物の角がそうです。一方で、私たちの祖先が安心できる場所として選んだ洞窟は、常に曲線的な形状をしていました。人間は曲線に安心感を覚えるのです」

この洞察は、Pixel 9のデザインに直接反映されている。「製品の角をもう少し丸みを帯びたものにしました」とロス。しかし、これはデザイン部門の独断でできる変更ではなかった。「ベースとなる曲率を変更することで、Androidのソフトウェアの表示にも影響が出ます。そのため、Androidチームと緊密な協議を重ね、彼らを説得する必要がありました」。結果として実現したこの変更は、より自然で心地よい印象を生み出すことに成功している。

「私たちは人間の感覚により深く寄り添おうとしています」とロスは続ける。「人間は視覚だけでなく、触覚や聴覚など、あらゆる感覚を通じて世界を認識しています」。この考えは、後に詳しく見ていくカメラバーのデザインにも大きな影響を与えることになる。


Optimistic(楽観性) - 予想外の喜びを提供

2つ目の「Optimistic」は、Googleのブランドイメージから進化したものだ。「Googleといえば、カラフルなロゴに象徴される『楽しさ』がありますが、それをそのままハードウェアに適用することはできません」とロスは説明する。「そこで私たちは『楽観的』という言葉を選びました。これは『楽しさ』をより成熟した形で表現したものです」

Pixel 9では、この「楽観的」な要素が随所に散りばめられている。最も象徴的なのは横長のカメラバーだ。「実は、この形状が検索バーに似ているのは、まったくの偶然でした」とロスは笑顔で明かす。「デザインチームは純粋に機能的な必要性からこの形状を考案しました。図面を見た時、私が『これはまるでGoogleの検索バーじゃないか!』と叫んだのです」

各カラーバリエーションにも予想外の喜びを込めている。「Hazelカラーでは本体と同系色のメタルフレームを採用しましたが、Porcelainモデルではあえてジュエリーのような金色を選びました」。各モデルに異なる個性を与えることで、選ぶ楽しさも提供している。さらに、Googleロゴの「G」も大きくなった。「私たちはより自信を持てるようになった。その自信を、デザインでも表現したかったのです」


Bold(果敢さ) - 制約を創造の源泉に

3つ目の「Bold」は、Googleのイノベーションへの姿勢を表現している。「私の父は工業デザイナーでした。彼は『アーティストは自分の魂の一部を台座の上に置き、誰かがそれに共鳴してくれることを願う。しかしデザイナーは、何百万人もの人々が求める問題を解決するのだ』と教えてくれました」とロスは父親の言葉を引用する。

Pixel 9の開発では、この大胆さが試される場面が多々あった。「多くのメーカーは大きくなるカメラを隠そうとしますが、私たちは逆のアプローチを選びました」とロスは語る。「むしろカメラの存在を誇らしげに表現し、デザインの中心的な要素として取り入れることにしたのです」

より大きなバッテリーとカメラの搭載という要請に応えるため、本体構造を従来の3パーツから2パーツへと劇的に簡略化。「結果として、製造効率の向上だけでなく、修理のしやすさも改善されました」。画面の縁(ベゼル)もより薄く改良された。

 市場の成熟に応じた製品展開も、大胆な決断の一つだ。「多くのユーザーから、ベースモデルサイズでプロの機能が欲しいという要望がありました」。その声に応え、Proモデルのサイズバリエーションを拡大。「市場が成熟してきたからこそ、可能になった選択です」

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1つのディテールの裏に膨大なディスカッション

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これらの原則は、日々のデザインレビューでも重要な役割を果たしている。「私はよくチームに『これのどこが人間的なのか?』『楽観的な要素はどこにあるのか?』『もっと大胆な解決策はないのか?』と問いかけます」とロスは説明する。

デザイン原則は、時として交差し、より深い意味を持つことがある。Pixel 9のカメラバーは、その好例だ。

敢えて目立たせることにしたカメラバーは「Bold」なデザインの象徴でもあるが、そこにはちょっとした「Optimisitc」な遊び心もある。実はあのカメラバーの形状はライカのカメラディテールからインスピレーションを受けたものだという。

「ライカのカメラディテール、特にそのレンズ周りの美しく真っ直ぐなリムの処理を参考にしました」とロスは言う。「カメラがPixelでとても重要な要素として称賛されるようになった今、その美学を取り入れることは自然でした」

同時に、「Human」の原則も忘れてはいなかった。

「当初は、カメラバーのエッジをスロープ状にしようと考えていた」と言うロス。「しかし、ガラスでそれを実現するのは技術的に困難」だったという。

その結果、最終的なカメラバーはエッジの立った指で触感を楽しめるデザインになったが、ロスのチームはできるだけ角をなくすという「Human」の側面をあきらめず、Google製専用のシリコンケースでそれを実現することにした。ケースを装着すると切り立ったエッジを覆い隠すようにカメラバーの頂点までなだらかなスロープを持つシルエットになるのだ。

結果として、製品はケースの有無で2つの異なる表情を持つことになった。「ケースを外した状態では、とても誇らしく力強い印象です。そしてケースを付けると、より柔らかな印象になります」とRは説明する。一つの製品で、大胆さと人間的な優しさという、一見相反する要素の共存を実現したのである。

「これは制約が新しいデザインの可能性を開いた好例です」とロス。

「時には、理想とする形を直接実現できないことがあります。しかし、別の角度から考えることで、むしろより豊かな解決策に到達することができるのです」

「デザインとは問題解決です」とロスは父からも聞いていた言葉を繰り返す。「私たちはいつも、ユーザーの声に耳を傾けています。例えば、バッテリーの持続時間は常に上位の要望です。技術的な制約の中で、いかにそれを実現するか。それがデザインの本質です」

Pixel 9シリーズは、これらの原則に基づき、技術的な制約をむしろ創造の源泉として活用することで、使いやすさ、耐久性、そして美しさを高いレベルで統合することに成功している。8年に及ぶ試行錯誤の集大成と言えるだろう。

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サステナビリティへの挑戦 - パッケージから始まる変革

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プラスチックフリーのパッケージの中身。すべてが紙でできている。

「デザインとは問題解決ですが、サステナビリティは私たちの時代が直面する最大の課題の一つです。デザイナーは製品が生まれる最初の段階に関わる存在として、この課題に真摯に向き合う責任があります」。アイビー・ロスはそう語り、Googleのサステナビリティへの取り組みについて説明を始めた。

サステナビリティ向上のためにデザイン以外の部門とも話し合って、サステナビリティ向上の取り組みとしてどれが実現可能で効果が高く、プリオリティが高いかを話し合った。

その結果、Pixel 9本体では、リサイクルアルミの使用や接着剤利用の回避、製品をより頑丈で修理しやすくすること、素材の利用や製造工程の効率化といった様々な取り組みをすることになった。それはそれで評価すべきことだが、今回、それ以上に凄いのが製品パッケージの進化だ。

Googleは以前からパッケージで使用するプラスチックを2025年までに無くすことを宣言していた。今日、多くのスマートフォンやタブレットのパッケージは白いボックスに写真を印刷し、その印刷を保護するためにプラスチックコーティングを使用している。

「プラスチックが広く使用されている理由は明確です。それは最も効率的で使いやすい素材だからです。プラスチックに代わる素材を見つけることは、想像以上に困難な課題でした。私たちはこれまでとは全く異なるアプローチを模索する必要がありました。」。

そんな中、これまでのような光沢のある白い箱を廃止しクラフト紙でパッケージを作るというアイディアに辿り着く。

「クラフト紙は、消費者にとってリサイクル可能であることを示す最も明確な視覚的シグナルだということがわかりました」とロスは説明する。「クラフト紙を見ると人々は『これはリサイクル材だ』と直感的に理解してくれるのです。」

ただ、そこからも大変なチャレンジがあった。最も大きな課題は、清潔で高品質な仕上がりを実現することだった。「多くの再生紙は、表面に目立ちすぎる模様ができてしまうのです。私たちが求めたのは、リサイクル可能でありながら、清潔で洗練された印象を与える素材でした」

工夫したのは素材だけではない。例えばパッケージの構成や開封の機構にもさまざまな配慮が施されている。製品は少しざらつきのあるクラフト紙のボックスに入っているが、そのボックスはきれいなコーティングが側面が開いたスリーブに入っている。

スリーブの背面には2つシールが貼られていて、これを剥がせば中のボックスを側面から取り出せる、という機構だ。

「二つの穴の位置は、何度も試行錯誤を重ねて決定しました」とロスは語る。「製品を返品する必要が生じた場合でも、パッケージを破損することなく元の状態に戻せるよう考慮」してこのデザインになったという。

ロスのチームは、製品開発の各段階で「サステナビリティ・フォーム」と呼ばれる文書を作成している。これは、より環境に配慮したデザイン選択が可能であったにもかかわらず、それを採用できなかった理由を明確に記録するものだ。

「コスト、時間、材料の供給量など、採用を妨げる要因を明確にすることで、将来的な改善の可能性を探ることができます」とロスは説明する。「完璧を求めるのではなく、着実に前進することが重要です」

膨大な試行錯誤を経て開発した新しい製品パッケージだが、特筆すべきは、ロスのチームは試行錯誤して開発したパッケージデザインを、他の企業の環境改善にも役立つと信じてオープンソースとして公開したのだ。

「私たちの開発過程で得られた知見は、PDFとして公開されています。どの企業でもアクセスし、参照することができます」

極めてGoogleらしさを感じる大胆で好感の持てる取り組みだ。

ロスは、サステナビリティは競争の対象ではなく、業界全体で取り組むべき課題だという。「パッケージの具体的なデザインは各社で異なっていても構いません。しかし、環境への配慮は共通の目標であるべきです」

そして、この取り組みは、既に他社からも高い評価を受けている。実際、パッケージング関連の会議や展示会で、Googleのチームは頻繁に登壇を依頼されているという。「チームメンバーにとって、自分たちの苦労が業界全体の進歩につながっているという実感は、大きな誇りとなっています」

「持続可能性は、もはやオプションではありません」とロスは力強く語る。「それは、私たちの時代のデザイナーに課せられた使命です。その使命を果たすために、私たちは一歩一歩、着実に前進していきます」

AI時代のスマートフォンとして大きな飛躍を遂げたPixel 9シリーズだが、ぜひとも製品の外観やカラーバリエーションだけでなく、パッケージにも注目をしてもらいたい。

[コラム]感覚を解き放つ実験室 - Googleデザインチームの創造的挑戦

2024年のミラノデザインウィークで、Googleは「Making Sense of Color(色彩の意味を理解する)」という挑戦的な展示を行った。一見、テクノロジー企業らしからぬテーマに思えるかもしれない。しかし、これこそがGoogleデザインチームの本質に迫る取り組みだった。「色彩も音も、本質的には波長なのです」とロスは説明する。展示では、色彩の波長を音に変換する革新的な体験を用意。ベニスを拠点とするChromasonic社との協働により、建築家や音楽家など多分野の専門家たちが、色彩と音の新しい関係性を探求した。

来場者は「色彩はどのような音を奏でるのか」「色彩はどのように感じられるのか」「色彩はどのような香りがするのか」「色彩はどのような味がするのか」という問いかけを通じて、五感による新しい色彩体験へと誘われた。

Googleはその前年にもミラノデザインウィークに出展し「Shaped by Water」という展覧会を催している。展覧会ではさまざまな体験展示の後、丸い容器に水滴を少しずつたらしていく展示があった。表面張力の限界ギリギリまで水を垂らした時に生まれる美しい曲線は、実はそのままGoogle社のスマートウォッチ、Pixel Watch 3のデザインとなっており、日本では未発売のサーモスタット製品Nest Learning Thermostatの最新版も、この水滴の形になっている。

 コロナ禍でリモートワークを余儀なくされた時期、デザインチームは自然界、特に「水」からインスピレーションを得ていた。「水は最も適応力の高い要素です。固体にも液体にもなれる。形を変えながら、本質は保ち続けます」とロスは語る。「人間の体の70%は水でできています」とロスは続ける。「母胎の中で、私たちは音の海の中で9ヶ月を過ごします。母親の心臓の鼓動は太鼓のように響き、血液の循環は豊かな音の風景を作り出します。私たちは文字通り、音の中で育つのです」こうした実験的な取り組みは、確実に製品開発にも活かされている。1年半前には音とハプティクスの研究チームが加わり、より豊かな触覚体験の創出に取り組んでいる。

「AIと機械が私たちの生活により深く入り込めば入り込むほど、物理的な接点における感覚的な要素はより重要になっていきます」とロスは力強く語る。それは、デジタルか感覚か、という二者択一ではない。両者の調和こそが、これからのデザインに求められているのだ。

Google Pixel 9

www.store.google.com

 

林 信行

ITジャーナリスト

1990年から最先端の未来を取材・発信するジャーナリストとして活動を開始。アップルやグーグルなどIT大手に関する著書を多数執筆。最近は未来をつくるのはテクノロジー企業ではないと良いデザインやコンテンポラリーアートの取材に注力。リボルバー社社外取締役。金沢美術工芸大学客員教授。

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1990年から最先端の未来を取材・発信するジャーナリストとして活動を開始。アップルやグーグルなどIT大手に関する著書を多数執筆。最近は未来をつくるのはテクノロジー企業ではないと良いデザインやコンテンポラリーアートの取材に注力。リボルバー社社外取締役。金沢美術工芸大学客員教授。

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