柔道家・村尾三四郎「大舞台での悔しさを糧に、次なる勝利と高みを目指す」【創造の挑戦者たち#95】

  • 文:松原孝臣
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村尾三四郎●2000年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。19年、東海大学1年の時、世界選手権団体戦代表に選出。21年、グランドスラム・カザンでワールド柔道ツアー初優勝。24年、パリ五輪に出場し男子90kg級と混合団体で銀メダル。ジャパンエレベーターサービスホールディングス所属。

今夏、さまざまなドラマが生まれたパリ五輪柔道競技において、村尾三四郎は鮮烈な印象と余韻を残した。初めて立った大舞台にも臆することなく、最も世界の層が厚いと言われる男子90㎏級で東京五輪金メダリストをあと一歩のところまで追いつめ、銀メダルを獲得。混合団体戦では、フランスとの決勝をはじめ3試合に出場してすべて勝利し、日本の銀メダルに貢献した。なによりも、組み手争いに終始しがちな現代柔道において、しっかり組んで切れ味鋭い技で投げる柔道を展開し、加えて勝敗に感情を露わにすることなく敗者をたたえるさまは風格を感じさせ、見る者を惹きつけた。まさに日本の柔道が理想とする姿を体現したことで強烈な光を放ったが、村尾本人はどれだけ称賛されても満足とはほど遠い境地にある。

「大会への仕上がりはよかったですし、いままでやってきたなかでもいい試合内容だったと思います。でも求めていたことは勝ちだったので、結果がついてこなかったことに、自分にがっかりしています。僕はオリンピックで優勝する人間だと思っていましたし、あの場、あの瞬間に達成できなかった悔しさだったり、やってしまったなという思いがあります」

「優勝する人間だと思っていた」。それは大言壮語ではない。そう言い切るだけの努力を重ねてきた。

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柔道を始めたのは5歳の時。小学生の頃には「世界一になる」と誓った。漠然とした思いではなく、明確な目標として描いた。

「小学校高学年の時には、もうみんなで楽しく柔道をやるという感覚はなく、強くなるためにと考えて練習していました。ひとりでトレーニングをしたり走ったりする日も多かったですし、なんのためにやっているんだろうと自分と対話するというか、自分と向き合いながら取り組んできました」

強くなるために、という思いは変わることはなかった。中学、高校、大学と、どこに入れば自分がいちばん強くなれるのかを考えて進路を選び、日々怠ることなく、柔道に懸けて生きてきた。

「自分に妥協しない、自分の決め事をしっかり守ることは大事にしてきました。たとえば、この時間にやると決めていたことがなんらかの理由でできなかったとしても、その日の夜にやるなど必ず補ったりします。性格の部分もありますが、それ以上に勝ちたい意志で動いているような感じです」

こうした努力を重ねてたどり着いたのが、パリでの大舞台だった。

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再び誓う金メダル獲得、でも、それはゴールではない

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パリで子どもの頃からの夢を叶えることはできなかった。しかし世界一になるという思いが変わることはない。敗れたことで、より強まっている。

「帰国して、本当はひと月くらい休むつもりでした。でも1週間くらい経っても決勝で負けた光景がずっと頭にこびりついていて、もやもやした感じが取れなかったので早めに練習を再開させました」

いまは2028年に行われるロサンゼルス五輪での金メダル獲得を目標に置く。ただ、それはゴールではない。

「僕は柔道家として高みを目指すことと強さを追い求めることを大事にしています。試合に勝つことももちろん重要ですが、それを飛び越えて、『あの選手がいま確実に世界でいちばん強いよね』と思ってもらえるような、誰もたどり着けない領域の選手になるのが僕の追い求めている理想です。そこに到達するために、黙々とやっていくだけかなと思っています。なのでロサンゼルスで金メダルを獲ったとしても、そこで終わるつもりはないですし、その先もやれることはきっとまだまだあるだろうと思います。オリンピックで言えば2032年のブリスベン、そしてそこでも柔道家としての貪欲さが残っていれば36歳で迎えるその次も目指したいです」

村尾が高校時代から大切にしている「Be Real」という言葉がある。

「マイク・タイソンというボクサーが試合の時などに着ているシャツに書かれていた言葉です。『本物になる』という意味を僕なりに解釈して、見ている人たちに生きざまだったり、なにかを感じ取ってもらえるような選手になりたいと思ってやってきました。ただ試合に出て勝つのではなく、なにを思って試合に出て、なにを準備して勝ったのかに価値があると思って、いまも大事にしています。試合での立ち居振る舞いを大切にしているのも、そこにつながっているのかなと思います」

理想の姿を追い求め、本物を目指し、村尾は邁進する。 

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WORKS
パリ2024オリンピック

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写真:YUTAKA/アフロスポーツ

個人・団体戦ともに銀メダルを獲得。個人戦では準々決勝で反則勝ちをおさめ、準決勝で合わせ技一本勝ち。決勝では東京五輪金メダリストのラシャ・ベカウリ(ジョージア)と対戦。終盤まで互角に競り合ったが最後に技ありを奪われ、惜しくも敗れた。

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グランドスラム東京2023

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写真:アフロスポーツ

2023年8月にパリ五輪代表に内定し、迎えたその年の12月に実施された同大会。勝ち進むと、決勝で同年の世界選手権王者ルカ・マイスラゼ(ジョージア)と対戦。延長戦の末、得意の内股で破り、オール一本勝ちで優勝。成長のあとを示した。

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2022年度全日本学生柔道優勝大会

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写真:アフロスポーツ

団体戦の同大会に東海大学主将として臨んだ。国士舘大学との決勝は代表戦にもつれ込み、村尾はのちのパリ五輪100kg超級代表になった斉藤立と対戦。「僕自身、ひと皮むけた試合」と、80kg以上重い相手に一本勝ちをおさめ、優勝をもたらした。

※この記事はPen 2024年12月号より再編集した記事です。