四半世紀以上にわたりスイスでの取材を続けるなど、これまで数多くの時計を見てきた時計ジャーナリストたち。そんな彼らが近年で思わずうなった珠玉の一本をそれぞれ挙げてもらった。
Pen 2024年12月号の第1特集は『100人が語る、100の腕時計』。腕時計は人生を映す鏡である。そして腕時計ほど持ち主の想いが、魂が宿るものはない。そんな“特別な一本”について、ビジネスの成功者や第一線で活躍するクリエイターに語ってもらうとともに、目利きに“推しの一本”を挙げてもらった。腕時計の多様性を愉しみ、自分だけの一本を見つけてほしい。
1. 広田雅将
ルイ・ヴィトン「タンブール オトマティック」
ルイ・ヴィトンがつくり上げた、まったく予想外の時計
2023年に発表されたルイ・ヴィトンの「タンブール」は、そう言って差し支えなければ、予想もできないような時計だった。前作に比べて文字盤はぐっとシンプルになり、売りになるはずのインターチェンジャブルストラップは廃され、ムーブメントはマイクロローター式の自動巻きに改められた。つまりはいきなり「ツウ好み」になったわけだ。
時計としてのあり方をガラッと変えられたのは、パッケージングに自信があればこそ、だろう。そもそも樽形のケースを持つタンブールは時計部分の重心が低い。加えてケースが薄くなり、適切な重さのブレスレットを合わせることで、装着感はより改善された。またブレスレットのコマは、現行品としては珍しく、左右にあえて遊びを持たせたものだ。
正直、よいブレスレットをつくるにはかなりの知見がいる。遊びの少ないブレスは一見高級そうだが、装着感はよくないし、長く使うとガタも出る。対してルイ・ヴィトンは、あえて遊びを持たせることで、きわめて優れた着け心地をもたらした。褒めすぎかもしれないが、今風の硬い着け心地を好まない人ならば、間違いなく気に入るはずだ。
文字盤の仕上げも良好である。同じ色を使い、しかし下地の処理だけで色を変えてみせるテクニックは、文字盤にノウハウを持つルイ・ヴィトンならではだ。もっと強い色も似合いそうだが、あえてトーンを抑えたのは、普通の人にも手に取ってほしいためか。
ルイ・ヴィトンという名前がなくとも、名だたる傑作と勝負できる新型「タンブール」。ルイ・ヴィトンなんてと思う人にこそ、触ってほしい時計だ。
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2. 髙木教雄
パルミジャーニ・フルリエ「トリック プティ・セコンド」
古の技法を蘇らせ、新たなる余白の美を極める
このモデルの登場には、布石があった。2021年に登場した「トンダPF」である。この新コレクションを初めて目にした時、時計関係者は戸惑ったはずだ。私も、その例外ではない。なぜなら、植字のアワーインデックスが極端に短く、時針から遠く離れ、大きな隙間が生じていたからだ。これは既存の時計デザインの定石から逸脱している。視認性を高めるためには、針とインデックスを極力近づけるのが常識。しかし「トンダPF」は、短い時インデックスによって大きく広がった余白を、ローズエンジンによる複雑なバーリーコーンギョーシェの美しさを主役とするステージとしてみせたのだ。
そしてこの「トリック プティ・セコンド」も、同じく極端に短い植字インデックスを用い、余白を広げている。そのステージを華やぐのは、酒石英と塩、銀を脱塩水に混ぜたペーストをブラシでていねいに撫でつけた古式ゆかしき本物のグレイン仕上げ。その上質なマット感は、ダイヤルの主役としてまさにふさわしい。「なるほど、次はこう来たか」と初見で思わずうなった。
搭載するのは、新開発の手巻きというのも、このダイヤルにマッチする。そのブリッジと地板は18金製。そして地板はブラスト仕上げとし、ブリッジには菱形の凹凸が連なるコート・ド・フルリエを施し、あでやかなコントラストを織り成してみせたのも見事である。
さらにヌバック調に加工したアリゲーターを、縫い目を飛ばしたサルトリアルステッチで仕立てたストラップも、カラーリングも含め実にスタイリッシュだ。
一分の隙もない新たなクラシックウォッチの名作を、パルミジャーニ・フルリエはつくり上げた。
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3. 並木浩一
ヴァン クリーフ&アーペル「レディ アーペル ユール フローラル スリジエ ウォッチ」
桜の開花数が時を伝える、風雅な超絶技巧
この腕時計の文字盤上に針はない。その代わりそれぞれ5弁の花びらを持つつぼみが1時間ごとに開いては閉じていく数で、時(アワー)を示す。それも単純に増減するのではなく、閉じる花と開く花を変え、正しい数が咲く。位置は一定ではなく、今日の午前5時と午後5時、明日の午前5時では花が咲く場所は異なるのである。
誰も思いつかなかった、“超・花時計” では、独自に開発したモジュールにより12の花々それぞれが独立して開閉するメカニズムに連結している。分もケースサイドの小窓に表示される正確な腕時計は、腕時計であること遥かに超越した存在意義がある。
一つひとつ手作業でミニアチュールペインティングされた花は美しい。すべて微細な筆先で仕上げていき、同じものは存在しないその花々を文字盤上でローズゴールド、ホワイトゴールド、イエローゴールド、ピンクサファイア、イエロー&ホワイトのダイヤモンド、ホワイトマザー・オブ・パールが彩る。そのまま美術館が展示していいレベルのアートピースであるから、着けた人間は“ ウォーキング・ミュージアム” なのだ。ヴァン クリーフ&アーペルの「ポエティック コンプリケーション」を完璧に体現した、まさに複雑機構で描いた詩情である。
「レディ」と冠してはいるが、男女を問うレベルを完全超越した傑作腕時計であるし、18Kローズゴールドケースの直径も38㎜あり、ジェンダーを問う理由がない。
モデル名の「スリジエ」というのは桜のことだ。その花で一年を想い、その花の散るさまに生涯を重ねる国民の感性に刺さる、決して散らない“桜時計” でもある。
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4. 篠田哲生
オリス「プロパイロット X カーミット エディション」
ハイスペックを備えた、時間を軽やかに乗りこなすモデル
我々の人生は、原子の周波数を使った超高精度時計で定められた「標準時」に支配されている。たいていの場合、腕時計を見るのは時間に追われる状況であり、それは楽しい気分とは言い難い。
そもそも時間は太陽の動きから導き出されたもの。ある種の自然現象でもあり、生活に優しく寄り添うものであったはず。であるなら腕時計を眺める時ぐらいは、せめて笑顔でいたい。
オリス「プロパイロットX カーミット エディション」は、時間や腕時計との付き合い方を変えてくれる。ダイヤルカラーはディズニーマペッツで人気のカエル「カーミット」の体色である黄緑色。これだけ華やかで遊び心のあるコンセプトの時計に、しかめっ面は似合わない。そしてカレンダーディスクにはカーミットが潜んでおり、なにかと憂鬱な月始まりである1日になると、笑顔のカーミットが表れる。そんな時計を見て、タイトなスケジュールにカリカリすることなどできないだろう。「プロパイロットX カーミット エディション」は、流れていく時間を楽しむためのものなのだ。
しかしその一方で、時計そのものは非常にまじめにつくられている。ケースやブレスレットは加工が難しいチタン製で、エッジをきれいに出すことで39㎜径のコンパクトなケースながら存在感がある。そして搭載する自社開発ムーブメント「Cal.400」は、高精度、高耐磁、5日間のパワーリザーブというハイスペックを備える。
非常に優れた実用性をもちつつも、カラーやコンセプトで腕時計を遊ぶ。時間との付き合い方に対するオリスの軽やかな姿勢は、ぜひ見習いたいものだ。
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5. 柴田 充
ユリス・ナルダン「マリーン トルピユール COMMON TIME限定モデル」
歴史ある港町の名時計店と、船舶時計名門の共鳴
ファッションに限らず、別注モデルは時計でも人気が高い。こだわりが込められたレアな限定仕様に加え、そこにはブランド側も気づかなかったような魅力や価値の再発見がある。横浜の時計専門店「コモンタイム」が創業60周年を記念してユリス・ナルダンに別注した限定モデルもそんな一本だ。
ユリス・ナルダンを代表するモデル「マリーン トルピユール」をベースに、グラン・フー・エナメル文字盤を採用。しかも文字盤、パワーリザーブ、スモールセコンドの3枚をそれぞれ別に焼成する手の込んだ古典的技法はエナメルの名門ドンツェ・カドラン謹製だ。
美しい白艶の文字盤を際立たせるため、無粋な日付表示の小窓を省き、文字もロゴ程度にとどめている。さらにこうした別注モデルにありがちなWネームの記載もなく、ただ60周年の歴史をスモールセコンドのブルーの60の数字に込めているのみ。そんな横浜らしい粋も好ましい。
通常の別注モデルではここまでつくり込むのはきわめてまれだ。だがそれが実現したのも両者の思いが合致したからに違いない。
横浜は日本におけるスイス時計発祥の地であり、かつて外国船が寄航した際にマリンクロノメーターの修理やメンテナンスを行ってきた宇津木計器ではいまもユリス・ナルダンの船舶用マリンクロノメーターが多く所蔵されている。こうした歴史ある港町に根ざすコモンタイムにふさわしい時計であり、同時にユリス・ナルダンにとっても幸甚といえるだろう。
個人的にも横浜とは縁があり、20年以上になる。その愛着とともに、航海を支えたロマンチシズムをいつか腕にしたい。
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6. 渋谷ヤスヒト
ショパール「L.U.C XPS フォレスト グリーン」
「L.U.C」の原点を継承・発展させた、究極のシンプルモデル
1995年から時計フェアなどスイス時計の現地取材に行き始めて、気がつくと30年間が経った。それだけ通っていると「極上の幸運」に何度か恵まれることがある。
そのひとつが、ここで採り上げたショパールの機械式時計「L.U.C」のシンプルモデル。そのプロトタイプを発表1年前の96年に、当時はまだ「バーゼル96」という名前だった、のちの「バーゼルワールド」のショパールのブースで目撃したこと。しかも、当時としてはまだ珍しかったマニュファクチュール(完全自社開発製造)ムーブメントを搭載したこのコレクションを、偶然にも、幸運にも父の大反対を押し切って立ち上げたショパールの現・共同社長、当時は副社長だったカール- フリードリッヒ・ショイフレ氏自身の案内で見せてもらったことだ。
いまならあり得ないが、ライターの菅原茂さんとふたりでブースに偶然に足を踏み入れた時、ショパールのブースに居たのは、当時38歳のショイフレ氏たったひとり。その奥にひっそり飾られていた「L.U.C」のプロトタイプモデルに興味を示すと、氏はとてもうれしそうに微笑んだ。その笑顔をいまも鮮明に覚えている。薄型ケース、スモールセコンドタイプの文字盤に、センターローター式より薄くできるマイクロローター式の巻き上げ機構を備えた高精度ムーブメントを搭載し、時計の本質的な美しさをシンプルに追求したドレスウォッチ。
この最新モデルには、ショイフレ氏が見せてくれたあのプロトタイプモデル、翌97年発表の第1号モデルのこの精神が見事に受け継がれている。これぞ「L.U.C」の神髄。最高のシンプルウォッチだ。
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