Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第23回のキーワードは「絶妙なたとえ」。
文章を書く時に「これで伝わるだろうか」とよく考える。どんな読者にでもわかりやすく伝えることと、それなりに文脈を知っている人がうんざりしないように伝えることは、ある程度までは両立するのだけれど、どこかの地点で両立することができなくなる。たとえば少ない予算と人員で大企業のプロジェクトよりも優れた実績を出した場面において「まさに桶狭間の戦いですね」と口にしたとする。その後に「『桶狭間の戦い』というのは永禄3年に織田信長が二千人程度の戦力で二万五千人もの軍勢を抱える今川義元に対して夜襲を仕掛け、勝利を収めた戦いのことで、少数精鋭で実績を出した私たちの成果をこの戦いと重ね合わせたわけです」と説明を付け足したら、「わかりやすい」を超えて「蛇足」になることが多いだろう。「わかりやすさ」は常に「蛇足」や「興醒め」のリスクを抱えている。「桶狭間の戦い」であればおそらく補足説明は必要ないのだけれど、「赤壁の戦い」だとどうだろう。「河越城の戦い」だとどうだろう。「カンナエの戦い」くらいまでくると、説明しなければなにを意味しているのかわからない人がほとんどになってくる。
とはいえ、説明が必要かどうかの基準は「誰に向けて話すか(書くか)」という問題と密接に結びついている。第二次ポエニ戦争に関する学会発表の場では、「少数精鋭による優れた実績」に対て、一切の補足説明もなく「カンナエの戦い」をたとえ話として使用していい――というか、適切に使うことができれば上々のたとえ話になるだろう。もっと極端な話をすれば、僕の高校の同級生に向けて話す際は「山田が田村先生のところへ単身乗り込み、シーカヤック復活の交渉をした」と説明すれば理解してもらえる。いったいなんの話かわからないと思うが、同級生にしか伝わらない内輪の話なんてそんなものだろう。
僕の実感として、優れた説明のポイントのひとつは、自分が話をする相手(自分の文章を読む相手)が、理解できるギリギリの表現をすることにあると思う。「自分以外にこの説明を理解できる人は少ないだろう」という思いが強くなれば強くなるほど、「これは自分に向けた表現だ」という感覚が強くなる。説明が少なければ少ないほど心地よいし、内輪であれば内輪であるほどユーモアの質が上がっていく。とはいえ、そもそも伝わらなければ意味がないばかりか、場合によっては疎外感を与えてしまうこともある。「まさにカンナエの戦いですね」と自信満々に口にしても、空気の読めない人間だと見なされてしまうかもしれない。
つまり、説明の上手さやユーモアのセンスとは「相手のことをどれだけ知っているか」という能力に強く依存していると思う(正確には「相手がなにを知っているかをどれだけ知っているか」)。だからこそ僕は、読者の感想をよく調べている。どの表現が伝わっていて、どの描写が伝わっていないか。その割合はどれくらいだろうか。僕の本を読む人は、どういう目的で、どれくらいの年代で、なにに興味を持っているのだろうか。本を出版するということは不特定多数に向けて表現をするということで、どうやっても限界がある(誰かを置き去りにしてしまう)のだけれど、そうやって「相手のことを知る」ことで、自分の表現をより洗練させることができると考えている。
表現を磨くために誰かの話術をまねしたり、気に入ったフレーズをメモしたりするのも悪くはないけれど、最も大切なのは「誰に向けて話をするのか」という点と、「相手のことをどれだけ知っているか」という点にあると思っている。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。※この記事はPen 2024年11月号より再編集した記事です。