かたい「建築」とかたちなき「暮らし」の折り合いを見出す、 建築家・山田紗子の眼差し

  • 写真:後藤武浩
  • 文:宮崎香菜
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斜め上に伸びるスチールの骨組みと生い茂る樹木。建築中に自然と生きものが棲みついたかのような不思議な佇まいをした代表作「daita2019」をはじめ、住人の個性や暮らしぶりから導かれた住宅設計を手掛け、注目を集めてきた建築家・山田紗子。近年は公共空間へと活動の幅を広げ、2025年は大阪・万博会場内施設の設計から大分県の観光牧場のリニューアルまで、大きな仕事が次々と公開予定だ。インスピレーションの源と、それを唯一無二の建築へと昇華させる山田の視点を探った。

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ランドスケープ、ダンス、両親……活動の原点

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山田紗子(やまだ・すずこ) 建築家

1984年、東京都生まれ。藤本壮介建築設計事務所に勤務後、東京藝術大学大学院を修了し、2013年独立。22年、日本建築学会作品選集新人賞。大阪・関西万博休憩施設(2025年公開)などを手掛ける。

――大学ではランドスケープデザインを専攻していたそうですが、建築の道へ進んだ経緯を教えてください。

母が野生動物を取材する映像作家で、世界各地の人間がいない場所にテントを張って撮影する仕事をしていました。私自身は都内の住宅地で育っていますが、本棚には自然や動物に関連する本や写真集があり、幼い頃からよく手に取っていたので、自然環境への憧れはずっともっていました。 

大学進学を考えた時、ランドスケープデザインを学べる学部があることを知り、自然環境とデザインという楽しそうな取り合わせに引かれました。いざ入ってみると、先生はほとんど建築家で、学生も建築に取り組んでいる人が多かったので、気づいたら建築を学ぶ学生のコミュニティにいました。

――在学中にカリフォルニア大学バークレー校にも留学したそうですね。

留学先でもランドスケープデザインを専攻しながら建築の授業も受講しました。意外な発見もあり、アメリカに行って外から見ることで、日本の建築界が面白いということを改めて気づきました。国土の大きさに比例せず、建築文化が凝縮していて密度が高いな、と。SANAA、隈研吾さん、坂茂さん……いまはレジェンド的な存在の方々が世界で有名になっていく時期で勢いがありました。 

その後、帰国して進路を考えているうちに大学を卒業してしまったので、まずはインターンでいいから建築設計事務所に居場所をつくろうと考えました。ちょうどその時に見た展覧会で、藤本壮介さんが手掛けた住宅模型の展示作品に心を引かれて、勢いもあって藤本さんの事務所に電話をしたら、運良く受け入れてもらえました。とても楽しい環境で、スタッフになってそのまま4年在籍しました。

――まず住宅に興味を持ったのですね。ランドスケープを学んでいたので、建築も大規模な空間を手掛けてみたいという気持ちはありませんでしたか?

当時、大きい空間を扱いたいかというと、そうでもなく、私にとっては住環境が理解しやすかったのだと思います。藤本さんはいま、大阪・関西万博の会場デザインプロデューサーですし、大きなプロジェクトに取り組んでいますが、私が在籍していた当時は住宅設計の仕事がほとんどでした。施主さんは個性的な方が多く、打ち合わせを重ねて、この一軒しかあり得ないという特殊な形状をそれぞれに提案していく過程が面白かったことを覚えています。藤本さんには建築のことを1から10まで教えていただきました。

――建築に出会う以前に、いまの活動の原点になるものはありますか?

空間づくりという点では、高校生や大学生のころにダンスをしていたことが関係あると思います。コンセプトを立ち上げて、衣装、音楽、振付も自分たちで考え、多いと30人くらいで踊る舞台の構成をしていました。父親が演劇やテレビの仕事をしていたので、皆で集中力を高めて、かたちにしていくという舞台裏の雰囲気にも憧れていたことも、実はいまの仕事とつながっているかもしれません。

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住宅街に出現した「ゴリラの森」

sy004.jpg「daita2019」竣工時(photo: Yurika Kono)

――藤本さんの事務所を退所したあとは、東京藝術大学大学院に進学されています。

真正面から建築の勉強をしたことがなかったなと思い、改めて学ぼうと考えました。大学院にいた時期は東日本大震災の直後だったこともあって、設計というよりも皆が「建築はいま何ができるか」という概念的な議論をしていました。理論ベースの学びの環境にいる一方で、具体的に何かをつくることは常に続けたいと思い、自主的に建築のコンペに応募するなどして過ごしていました。

――大学院を出てすぐ建築家として独立したのですか?

そうですね。でも「建築家になりました」と宣言したところで仕事は来ない。どうしようもないので、自分の家をつくることにしたのです。子どもが産まれて、家族が増えたというタイミングも重なりました。2019年に完成し、それを見て面白いと思ってくれた若い人たちが集まって事務所ができました。それでも明確に建築家として歩みだした“区切り”のような感覚はありませんでした。当時は新型コロナの影響で案件はほとんどなく、実際にはないプロジェクトを想定して、模型をつくって展示するというような活動を自由にしていました。翌年、リモートワークが浸透したことも関係したのか、移住を視野に入れた住宅の依頼などが徐々に増えていきました。

――区切りはなかったとはいえ、「daita2019」は、建築家としての意思表明であり、転機になっていますね。

当初は大変なものをつくろうという気持ちはありませんでした。私たち3人家族と両親を合わせた5人で住むので、仕事も生活習慣も価値観も違う人たちがストレスを抱えないようにというところから考え始め、一部屋に集まり家族でこたつを囲むのとは違うスタイルの建築をめざしました。

それから、父からは庭がほしいという希望もありました。土地は建ぺい率50%と定められていて、真ん中に建物を建てるとそれを囲うように狭いスペースができるだけなので、まず建物と庭を土地の長辺方向に二分割して、どの部屋も庭に接するようにしました。「daita2019」は家族の要望を少しずつ取り入れて出来上がっています。

057_ASA8711.jpg「daita2019」(photo: Kei Sasaki)
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「daita2019」(photo: Yurika Kono)

――事務所のウェブサイトでも「ゴリラの森」と紹介されていたのが印象的でした。

母は、ここ15年くらいはルワンダでマウンテンゴリラを撮りながら環境保護にも携っています。私も火山群に広がる森で移動しながら暮らすゴリラの群れを追って、一緒に登山をさせてもらったことがありました。お父さんゴリラが休憩すると決めると、「グフーッ!」という鳴き声で群れに合図をするんですね。すると、大人たちは薮の中にちょうどよいくぼみを見つけて各々腰をおろし、その周りで子どもたちは好きに遊んでいる。そんな風に、人間もそれぞれが落ち着ける居場所を見つけていく住まい方ができたらいいなと思いました。

――実際にはゴリラの森をどう再現していったのですか?

広くない敷地なので、壁はできるだけなくして、構造上必要な柱や筋交、それから階段、照明器具や棚など家具の配置によって大小の空間をつくることができれば、ゴリラがくつろいでいた森の密度に近くなると思ったんです。母は仕事で1年の半分は自宅にいないので、そういう時はゴリラの森にいるんだというイメージが自分の中にあったのも、この空間をつくる着想のきっかけになっています。

――そうした経緯で、「ゴリラ」や「森」というキーワードが出たのですね。実際に住んでみていかがですか?

ふと我に返るとすごい家だと思うことがあります。斜め上へと骨組みが伸びていて、水平垂直の箱のような一般的な空間ではないので。新型コロナで緊急事態宣言が出されていた時を振り返って、家族が「家に閉じ込められた感じがしなかった」と言っていたのが印象に残っています。家と庭の間に壁をつくらず窓のサッシや建具で組み立てたので、家と庭の中間に住んでいるような感覚があるのかもしれません。庭の樹木もどんどん育ちボリュームが出てきました。

036_ASA8618.jpg「daita2019」竣工5年後(photo: Kei Sasaki)

――「daita2019」のように、と住宅設計を依頼されることも多いですか?

そのままそっくりというご依頼よりも、「同じくらい自由につくってくれたら楽しめそう」とお話をいただくことが多いですね。これまで設計した住宅は限られた敷地に建てたものばかりで、平屋のワンルームや3階建てなどさまざまです。どれも柱や階段の配置を利用して、目線が斜め上に伸びるように意識しています。それと、空間の中で壁や梁などいわゆる構造と、ソファなどの家具がそれぞれ個性的に独立して存在していたり、さらにそれらが集まって関係性が生まれ、新たな場ができたりするのが面白いと思っています。

――近作ではどのような住宅を手掛けていますか?

2022年に竣工した「nakano」という50平米のコンクリート造の住宅があります。限られたスペースにギュッと凝縮した家が立つアンバランスさが面白いと感じています。コンクリート造は施主さんの希望で、床も壁も天井も冷蔵庫を覆うようなちょっとした壁もすべてコンクリートでつくり、それぞれの要素がシームレスにつながっています。

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「nakano」(photo: Naoki Takehisa)

――家を建てる時に施主に必ず聞くことはありますか?

なんでも聞きます。何時に帰宅し、誰がご飯をつくるのかなど徹底的に。片付けをどのくらいするのかも気になりますね。住む人の持ち物が入った状態を住宅のベストな状態にしたいので、住人の方々の暮らしのクセというか、生活スタイルに合わせた設計をしたいと思っています。物理的なかたちが無い「生活」と私たちがつくるかたい「建築」が、どう折り合いをつけていけるかを考えています。住宅は建築と人間の根源的な生活や行動が密接に触れ合う場所なので、建築の中でも重要な位置にあると感じています。

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万博から牧場のリニューアルまで、広がる仕事

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――商業施設など公共空間の仕事も増えており、2025年には大阪・関西万博にも参加しています。住宅とは違う難しさはありますか?

何もない場所につくることや、まわりに立つ予定の建物も全く想定できないなかで構想を練るのは難しかったです。万博会場には大きな森のエリアがあり、その中に建てる休憩施設の設計をしました。トイレ、応急手当て室、警備員の詰所などが集まる場所で、それぞれの機能に規定される異質なかたちが出会うことになります。それをどう横断的に繋ぐかを考えるのが工夫のしどころでした。

240430_休憩所③_立面図.jpg大阪・関西万博「休憩所」立面図

――2025年の初夏には、大分県の観光牧場のリニューアルも手掛けているそうですね。

「やまなみ牧場」というプロジェクトで、くじゅう連山の山々に囲まれたとても気持ちいい自然環境の観光牧場です。15ヘクタールある敷地のランドスケープ計画や畜舎の設計を担当しました。観光牧場で大事なのはまずエリア内での動物の区分けでした。ヒツジ、ヤギ、ウマなどがいて、動物の配置がそのまま牧場の風景になるからです。人工物と美しい自然がうまく響き合う場所にしたいと考えています。

いま具体的に進めている計画では、柵の中に押し込まれた動物を見るのではなく、彼らが自然に暮らすなかに人間も入っていくような場所にしたいと考えています。たとえば、これまでヒツジは柵に囲われていたのですが、メスは穏やかだから全エリアを自由に動くのはどうかと提案しました。また、庇をイメージした細長い畜舎は、動物が自由に通り抜けられるように全面にわたって開口部を設けています。休憩する時は庇の下へ、遊ぶ時は外へ、内と外を壁ではっきりと分けずに、動物が開放的に暮らせる場所として計画しています。

_DSC9146.jpg「やまなみ牧場」模型

――建築に進むきっかけとなったランドスケープデザインの要素を感じさせる作品ですね。今後もこうした仕事を手掛けてみたいですか? 展望を教えてください。

建築とランドスケープの問題は切り離せないので、ずっと考えていくことになると思います。そして、いまは大規模な公共空間のコンペにも挑戦しています。昔は自分が大きな建築を手掛けることは想像していなかったのですが、携わってみるととてもやりがいを感じています。これからも施主さんの言葉に耳を傾けながら、自分の中で強いコンセプトを携えた建築を実現していきたいです。