京都・両足院でエリザベス・ペイトンの個展が開催。瑞々しいタッチと京都の古刹が共鳴

  • 文:小長谷奈都子
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日中の暑さが和らぎはじめ、少しずつ秋の気配が深まっていく。この時季を表す二十四節気の「白露(はくろ)」をタイトルの一部に冠した展覧会が京都の両足院で開催中だ。

作家はエリザベス・ペイトン。ニューヨークとパリを拠点に活動する現代アーティストで、日本では2017年に原美術館で開催された『エリザベス・ペイトン:Still life 静/生』展以来、約7年ぶりの個展となる。彼女自身が厳選した絵画のほか、インクによる作品やドローイング、版画など23点を展示。親しい友人やアーティスト、ロックスターなどのポートレートで知られるペイトンだが、本展でもさまざまなテクスチャーのポートレートがメインとなる。

京都最古の禅宗寺院の塔頭寺院、両足院を会場とした理由を、「3月に訪ね、たちまちこれこそがわたしが探していた超越的空間であるだけでなく、わたしが信ずる世界で交流を行う好機であると感じた」と語るペイトン。展示に使われている什器やフレームは、両足院に保管されていた長持を解体して制作されたもので、掛け軸の表装には両足院に伝わる袈裟が使われた。掛軸や襖作品の原画は寺院に溶け込むようにそこに存在する。まさに、寺院の歴史や景観と共鳴し合うような展示となっており、ペイトンの作品により近しく向き合うことができる。また、フィギュアスケーター、羽生結弦のポートレートが床の間を飾る茶室・臨池亭では氷にちなんだ茶会を用意。涼を感じながらの一服に心が洗われるひと時となるだろう。

展覧会タイトルの「daystar」とは、昼間の星のこと。確かにそこにあるのに見えない星の気配を感じるように、禅寺の静謐な空間に身を浸し、自分自身と対峙するように作品を味わう。芸術の秋の始まりに、そんな唯一無二の体験をぜひ。

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All installation images:
Installation view, Elizabeth Peyton: daystar hakuro, Ryosokuin Temple, Kyoto, Japan, September 8—24, 2024 
Photos by Takeru Koroda
Courtesy David Zwirner

 

『エリザベス・ペイトン:daystar 白露』

開催場所:両足院(京都府京都市東山区小松町591)
開催期間:〜9月24日(火) 
時間:13時〜17時 ※最終入場は16時30分まで
料金:拝観料¥1,000
https://ryosokuin.com/news/

 

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両足院 副住職、伊藤東凌氏の寄稿文が、本展の経緯や魅力を見事に表現されているので、ぜひご一読いただきたい。
 
「瞑想的空間に浮かぶ、見えない星を見る」

伊藤東凌(両足院 副住職)
 
2024年1月、エリザベス・ペイトンが京都で個展の会場を探していると打診を受けた。作品の展示場所に強いこだわりがある彼女に相応な場として、両足院が候補に挙げられているという。

その後両足院を訪れたエリザベスと対話の時間を持った。お茶席を共にし、坐禅を組み、作品への思いを聞く。現代アートの巨匠と評され、作品だけでなく展示場所、展示方法に至るまでこだわり抜く手法で知られている人物だ。いったいどんな要望が飛び出すのかと多少身構えていたが、彼女が口にする言葉は、私と両足院、その背景にある歴史、文化への配慮と尊敬に満ちたものばかりだった。

両足院での個展開催が決定し、襖絵と掛け軸を描いて奉納することが決まると、襖の図案の方向性に始まり襖に合わせる引手のセレクトに至るまで、事細かにこちらの意向を確認し、同意を得てから制作に取り掛かっていく。自身の情熱や作品の個性を前面に打ち出すより、両足院の伝統や景観との調和に重きを置く姿勢には、心が震えるような強い感銘を受けた。そんな緊密なやり取りを重ねるうちに信頼関係が生まれ、作品制作に使う素材を、両足院の蔵から数点提供することになった。

掛け軸の表装に、祖父が法要の際に身に付けていた黒、紫の衣、茶色の袈裟を各1点ずつ。ドローイングとペインティング作品を展示する什器と、ドローイングのフレームは、長持(衣服や調度を収納する木製の箱)を解体して制作することになった。衣も長持も世代を超えて引き継がれ、寺の歴史と先祖の念を背負っている。使い道がある訳ではないが、もちろん無下にする訳にもいかず、長年蔵の中で眠っていたのだ。

それが、エリザベスの手によって新たな命を吹き込まれ、日の目を見ることになった。古材が姿を変え、人々の心を打つ現代アートの一部となったことは大きな喜びであり、古材とともに私の長年の心のくすぶり(古材を上手く活用できないことに対する忸怩たる思い)も昇華されたことに、心から感謝の意を表したい。

そうして生まれた作品は、明確な境界線を持たず、曖昧なゆらぎを持って私たちの前に現れてくる。寺の大広間に据えられた襖絵は、まるで以前からそこにあるかのような佇まいで、どこからどこまでが作品なのか、一見すると分からないかもしれない。けれど感覚を研ぎ澄ませ、意識を集中すると、そこにある確かな気配に目を見張るはずだ。坐禅の最中に気付く微かな足の痺れ。それまで意識に登ることのなかった風の音。そんな微細な気配を感じとったときと同じ感覚と出会える。作品はもちろん展示方法や配置も含め、エリザベスが意図した空間は、実に瞑想的だ。

個展のタイトルは「daystar 白露」。昼間の星は見えないが、陽が落ちて夕闇が迫ると輝きだし、朝を迎えると再び見えなくなる。確かに存在しているものも常に見える訳ではなく、時の条件や自らの視点によって現れたり消えたりする。今回の個展では、そんな見えない昼の星を目を凝らして見つめ、全身でその気配を感じ取るような体験をして頂きたい。そうして得た感覚を日常に落とし込んでもらえたら、私も蔵から命を吹き返した古材たちも、感無量である。