「映画って元々不穏なんです」世界最恐の映画監督、黒沢清が話題の最新作『Cloud クラウド』に込めた想い

  • 文:小松香里
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『CURE』『岸辺の旅』『スパイの妻』等、多くの名作を送り出し国際的に高く評価されている名匠、黒沢清監督が2018年から温め続けてきた長編映画『Cloud クラウド』が公開される。「楽になりたい」と思いから転売によるささやかな金儲けにせっせと勤しみ、少しでも人より優位に立とうとする主人公・吉井を演じるのは黒沢監督と初めてタッグを組む菅田将暉。吉井が意図せず蒔いていた種がネットを通じて憎悪を増幅させ、不特定多数の集団狂気を生み、“狩りゲーム”が勃発する──。ネット社会の闇や集団心理といったテーマを内包し、ひたひたと不穏さが押し寄せてくる『Cloud クラウド』は、結果的に黒沢監督にとって『クリーピー 偽りの殺人』以来8年ぶりのサスペンス・スリラー作品となった。2024年は『Cloud クラウド』に加え、『蛇の道』のセルフリメイクと『Chime』が公開され、69歳を迎えてもなお、映画作りに邁進する黒沢監督にインタビューした。

──『Cloud クラウド』はアクション映画をやりたいというところからスタートしたそうですが、以前監督は「銃撃戦は日本でまともに撮ることが難しい分野だ」とおっしゃっていました。

そうですね。主人公が敵対する人たちとある種のバトル状態になるという泥臭いアクション映画を日本でもやりたいと思ったのがスタート地点でしたが、そういった映画はハリウッド映画や韓国映画ではポピュラーですが、日本ではなかなか企画としては成立しづらい。暴力的なものと日常的に接しているヤクザや警察や自衛官や殺し屋といった登場人物を設定すれば何がしかのアクションに結びつく物語は作れますが、そうではない、日常生活の中で暴力沙汰とはほぼ無縁に生きている普通の人たち同士が最終的に生きるか/死ぬか、殺すか/殺されるかの関係にまで発展してしまう物語の中をやりたかった。だから、冒頭からいきなり派手なアクションが繰り広げられるわけではなく、そこに至るまでの過程を可能な限りリアルに描こうと思いました。ただ、菅田さんが主人公の吉井を演じることでその過程において本当に微妙なニュアンスが醸し出され、当初目指していたものから何倍も豊かな作品になったと実感しています。 

──ネットを通じて恨みや憎しみが肥大化していく恐ろしさや匿名性といったさまざまな恐怖を宿した多層的な作品ですが、監督が今作の中で一番恐ろしさを感じる部分はどこですか?

インターネットを通じて関係がなかった人同士が突然結びついてしまう恐怖は誰しも日常的に感じていると思います。例えば、怪しげなURLのようなものがどこからか送られてきて、クリックしたらどこに繋がるのか興味はあるけれど、そうした瞬間、関係のなかった人たちと結びつく。慌てて作業を止めたとしても、自分の情報が知られてしまい、そのうち誰かが家にやってくるようなことが起こらないとは言えないのが現代社会ですよね。 

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普通であることの曖昧さを表現できた作品だった

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 ──菅田将暉さんとは今作で初めてご一緒されましたが、どんな印象をお持ちでしたか?

絵に書いたような善人から本当の悪人まで、堂々たる主演から1シーンだけ出てくるような役まで、あの若さで多種多様な役を演じられる、圧倒的なスターであると同時にバイプレイヤーでもある稀有な俳優だと思っていました。一度軽くお会いしたことはあるのですが、仕事でご一緒したことがなかったので、本質はどういうところにある方なのかなという興味をずっと持っていました。今作でご一緒して、まず予想通り本当に上手い方でした。現代の日本で生きているごく普通の吉井という人間がいろいろなことに巻き込まれていく設定なのですが、普通の人間って良い人でもなく悪い人でもなくすごく曖昧になるんですよね。「わかりました」と返事をしても、半分はイエスで半分はノーみたいなニュアンスがあって、簡単に喜怒哀楽で表せない。それをいざ演じるとなるとすごく難しいだろうなと思っていたんですが、菅田さんはその狙いをすぐに理解してくれて、変な言い方ですが、実に的確に曖昧であるということを表現してくれました。例えば前半で恋人の秋子が吉井に「お金があったら何でも買う。欲しいものはいっぱいあるから」っていうことを言うと、吉井は「いいよ」と答えるんですが、半分はOK、半分は「弱ったな」っていうニュアンスの「いいよ」なんです。僕が細かく演出をしたわけではないんですが、吉井のキャラクターを瞬時に理解して、絶妙などっち付かずの「いいよ」を表現された。直感的な部分と、クレバーに役を計算して組み立てていく力と両方を持ち合わせていらっしゃる方なんだなと強く感じました。吉井がきっぱりした態度を相手に示さないことが積み重なって様々な誤解や恨みを買い、他にもさまざまな要素があり、後半はバトル状態になっていく。そこで吉井はどっち付かずではいられず、殺すか/殺されるかという決断をせざるを得なくなります。あの流れは菅田さんの芝居のうまさによって僕の予想をはるかに上回るダイナミックな表現になりました。

──撮影現場や取材の場で菅田さんの俳優としてのすごみを垣間見たことはありましたか?

撮影現場や取材の場所でも静かで自分から何かを主張する方ではありません。僕が言ったことをしっかり受け止めて適切に返してくださる受け身の方です。自分から何か押し付けるようなことはしない非常に抑制の効いた紳士という印象があります。おそらく、現場にいる自分以外の様々な人間のことを冷静に観察されているんでしょうね。

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──古川琴音さんが演じる吉井の謎の多い恋人・秋子も印象的なキャラクターですが、どんな思いを込めましたか?

昔のアメリカのサスペンス映画にはよく出てくる、いわゆるファム・ファタールと言われる役として作り上げました。主人公の恋人ではありますが悪女の設定です。古川琴音さんには「映画でこういう人ってよく出てきますよね」っていうくらいしかお伝えしなかったんですが、完璧に理解して楽しそうに演じてらっしゃいました。それにしても何も言わずよくあの大胆な役をよくぞ振り切ってやってくれたなと感謝しています。

──古川さんにはどんな印象をお持ちでしたか?

これまでの作品でもどちらかというと癖があったり、人をひっかける怪しげなキャラクターを演じられているイメージがありました。不思議な眼差しが魅力的な方なので、僕もついそのイメージをお借りして秋子を演じてもらうことにしました。実際にお会いしてみると、人を騙すことに縁がないようなとても誠実で仕事に対して一生懸命な方なので、申し訳ない気持ちになりました(笑)。そういう方だからこそ多くの現場で好かれて、いろいろな役を演じられているのだなと思いました。

──監督は細かい立ち位置を指定したり、緻密な演出をされることで知られますが、今作で演出面で一番力を入れた部分は何でしたか?

吉井をごく普通の人の曖昧さを持って演じてもらうことと繋がってきますが、後半で日本では日常でなかなか目にすることのない拳銃が出てきます。日本映画でそういったものが出てくると、それを持った人間の人格が突然変わったり、どこか浮足立ったような演出にガラッと変わってしまうことがあるんですよね。良くも悪くも強調してしまう。もちろん人は拳銃を握ると内面に変化は訪れると思いますが、演出としては変えずに「これは普通にあるものなんだ」という姿勢を貫くことを意識しました。例えば、拳銃を向けるショットを撮るとフォーカスを拳銃に合わせたくなるのですが、そうせずに俳優の顔にフォーカスを当てる。拳銃を持っているのは当たり前なのだから、ピントが合っていなくてもいいし、画面から少し外れていても構わないという、できる限り強調しない演出にしました。

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黒沢監督は、曖昧で不穏なものを引き寄せてしまう体質?

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──『Cloud クラウド』もそうですが、監督の作品は不穏さや不気味さにフォーカスが当たることが多いです。日常生活からインスピレーションを得ることはあるのでしょうか?

日常生活はいたって平穏ですよ。何か怖いことを探そうとアンテナを張っていたりはしません(笑)。そして、怖かったり不穏な映画ばかりを撮ろうと思っているわけではなく、もっといろいろなことがやりたいと思っているのですが、例えば何でもないラブストーリーや家族の映画をわかりやすく説明的に撮れば観客は不穏さを感じずに観ることができると思います。でも、「普通の人間ってそんなにわかりやすい反応しないよね」とか、「こういう出来事ってそんな簡単に起こらないよね」っていうことをリアルに表現しようとすると不穏になるんです。現実を映像で撮ることに忠実に作品を作っていくと、どんな幸せな物語でも「これはどっちに転ぶんだろう」とか「この映像は何を表しているんだろう」といった非常に曖昧で不穏なものを引き寄せてしまう。だから、僕に言わせると映画って元々不穏なんです。そういう作品が生まれるのは僕のせいじゃなくて映画のせいです(笑)。

──(笑)監督は7月に69歳になられました。60代のうちに成し遂げたいことはありますか?

60歳を超えると自分の年齢がどうでもよくなって、やりたいことはいくつになってもやりたいし、やれないものはおそらくいつまでもやれないと思えてくるんですよね。くだらない例ですが、僕は近年から海外の映画祭によく行っていますし、フランスで映画を撮ったこともありますが、いくら勉強しても英語が全然喋れません(笑)。ダメなものはダメだということが60歳くらいでわかりました。

──今、映画制作以外で興味があることというと?

大した趣味もないですし、全部が映画中心に動いていますね。思い起こせばコロナ禍の3年間ぐらいはすごくのんびり過ごしていましたが、そこで何か新しいことを始めることもなかったです。

──2024年は『Cloud クラウド』と『蛇の道』のセルフリメイク、『Chime』が公開されましたが、一層精力的に映画作りに臨まれている印象があります。

ありがたいことに忙しさはまだ続いています。2023年は人生の中で一番忙しい年だったのではないでしょうか。僕は随分前からそうなんですが、やりたいものをやるのではなく、やれそうなものをやるんです。いただくお話の中でどうしてもやりたくないものもあるので、そういう場合はお断りしますが、僕がひとつ大切にしているのは、やれそうなものの中に必ずやりたいことが見つかるということです。“やれそうだからやる”と言うと仕事としてやってるだけという風に聞こえてしまうかもしれませんが、そうではなく「これならやれそうだな」っていうものを真剣に想像してみると、「これをやりたい」と思うようになるんです。そう思わなかったらやらない方が良い。やれそうなものを吟味してるうちにやりたいっていう気持ちが湧いてくる。その感覚がある限りこの仕事を続けられると思っています。

『Cloud クラウド』

監督・脚本/黒沢 清
出演/菅田将暉 、古川琴音、奥平大兼、岡山天音、荒川良々、窪田正孝ほか
9 月 27 日(金)より、TOHO シネマズ日比谷ほか全国ロードショー
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