【COLUMN:稲田俊輔】ビールを飲むなら縦飲み? 横飲み?

  • 文:稲田俊輔
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クラフトビールについて、さまざまな方面のプロフェッショナルがその思いを語るコラム。第2回目は、南インド料理の専門店、エリックサウスの総料理長で、食にまつわる名エッセイが人気の稲田俊輔さん。

Pen最新号は『驚きと、よろこびのクラフトビール』。この数年で、クラフトビールをめぐる景色が大きく変化しつつある。ていねいにつくられたもの、多様性を包み込むもの、消費されない価値を持つもの。こうした価値観、考え方が世の中に浸透し、新しい時代の姿となっているが、クラフトビールは、まさにその流れの真ん中にあるものだ。世界を動かす驚きと、よろこびあふれるクラフトビールを体感しに行こう。

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稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)⚫︎料理人・文筆家。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスを設立。南インド料理専門店エリックサウスでは総料理長を務めるほか、さまざまなジャンルの飲食店をプロデュースしている。レシピ本をはじめ、エッセイ、小説など食にまつわる著作も多数。近著は『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)。

僕にとってのビールの原体験のひとつが、生意気にもイギリスのペールエールでした。20歳の頃アルバイトをしていた京都のイングリッシュパブでは、仕事が終わるとお店のお酒を半額で飲むことができたのですが、その時いつも選んでいたのがペールエールだったのです。大学近くの学生向けの居酒屋で、学部やサークルの友人たちと飲む普通のビールは、正直なにがおいしいのかまだよくわかっていませんでしたが、そのパブのペールエールは、いつもなぜかたまらないおいしさでした。くたくたになるまで働いた直後だったからかもしれませんが、それ以上に、大人っぽい店で特別なビールを飲む自分に陶酔していたところもあったのかもしれません。

その後、僕は卒業して大阪の会社に就職し、エールともすっかり縁がなくなりました。その代わり、ようやく普通のビールのおいしさもわかってきました。同僚や先輩と仕事の愚痴をこぼしながら、ジョッキのビールをグイグイと飲む日々が続きました。

いまの僕は、ビールの飲み方には2種類あると思っており、縦飲み・横飲みと呼んでいます。音楽の縦ノリ・横ノリみたいなものです。たとえば生ビールを泡越しにグイグイとのどの奥に放り込むように飲むのが「縦飲み」。冷たいビールが舌の上部を高速で縦に通過していきます。ハードコアパンクみたいなものです。

それに対して「横飲み」は、まさにペールエールのようなビールをじっくりと飲む時の飲み方です。ビールは舌の両サイドをゆっくり通過させ、そのふたつの流れがのどの手前で静かに合流した時に、香りがふわっと鼻に抜けます。こちらはレゲエでしょうか。いやむしろボサノバかな。

社会人になってしばらくは縦飲み一辺倒だった僕ですが、ある時期から急に、横飲みも増えていきました。そう、世の中にクラフトビールが徐々に浸透していくなかで、それをじっくり楽しむ機会が増えていったのです。

なにしろ原体験がペールエールでしたから、ビアバーなどでビールを選ぶ時は、ひたすらエール系、つまり「上面発酵」を追い求めました。クラフトビールの主流のひとつがIPAですから、上面発酵のエールにたどり着くのは容易でした。IPAは、ごく大雑把な印象で言うと、「めっちゃ濃いペールエール」です。初めて飲んだ時は、その濃密な味わいと香りに驚き、そして感激したものです。ただしだんだん、それは僕にとっては「過剰」と感じられることが多いような気もしてきました。結局その後は、原点回帰のようにイングリッシュペールエールを最優先で選ぶようになりました。それがなければ、IPA以外の上面発酵ビールを探す、というのがいつものパターンです。

そんななかで、さまざまなクラフトビールに出会いました。それを横飲みで飲むと、その個性はくっきりと際立ち、結局「あれもおいしい、これもおいしい」となってしまいます。コダワリもなにもあったものではありませんが、それが楽しいのです。IPAだって時々は飲みます。その時、横飲みで飲むその流速は、いつもよりもう一段ゆっくりになります。不思議なことに、ゆっくり横飲みをするほど、苦味もコクも増します。そうやってジルジル啜りながら、心の中で「効くぅ〜」とうれしい悲鳴を上げるのもまたそれはそれで楽しいのです。クラフトビールであっても時にはあえて縦飲みを敢行することもあります。これはこれで、ちょっと贅沢な楽しみというものです。

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