「大人の名品図鑑」坂本龍一編 #3
「世界のサカモト」──坂本龍一が天に旅立ったのは2023年3月28日。永遠の輝きを放つ作品を多数遺しただけでなく、「No Nukes, More Trees」に代表される社会活動にもコミットし、未来に向かって多くのメッセージを発信していた稀有なアーティストだ。今回は、そんな唯一無二の音楽家、坂本龍一に関する名品を探してみた。
スニーカー好きの間では、坂本龍一がニューバランスのスニーカーを愛用していたことは有名である。広告写真にも登場したことがあるし、坂本とコラボレーションしたスペシャルなモデルがリリースされたこともある。ではいつごろから坂本はニューバランスに、いやファッションそのものに興味を持つようになったのであろうか。「教授」という坂本を象徴するニックネームを頼りに彼のファッション遍歴を追ってみた。
『「教授」と呼ばれた男 坂本龍一とその時代』(佐々木敦著 筑摩書房)には、冒頭に「坂本龍一のニックネームとして誰もが知る『教授』は、高橋幸宏が付けたものである。YMO結成以前、幸宏さんがはじめて会ったとき、坂本龍一はまだ東京藝術大学の大学院に在籍していた。当時は大学院生のミュージシャンは非常に珍しかったので、幸宏さんは坂本さんを『教授』と呼ぶことにした」と説明されている。YMOとは坂本が所属していたイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)のことで、そのバンドのメンバーのひとり、高橋幸宏が坂本を初めて「教授」と呼んだのだ。同書には「教授」になる前の坂本のことも書かれていて、「『教授』と呼ばれる前の坂本龍一のあだ名は『アブ』だった」とある。
「アブ」とは水島新司の野球漫画『あぶさん』に登場する主人公景浦安武のニックネーム。漫画がスタートしたころ、水島は主人公あぶさんを、野球をあきらめ世を捨てたように生きる人物として描いているが、その雰囲気があったかどうかはわからないが、「アブ」は、いつのまにか坂本のニックネームになった。『坂本龍一 音楽の歴史』吉村栄一著 小学館刊)には「当時の坂本龍一の外見はむさくるしい長髪に、無精髭。煮染めたようなジーンズに冬でも素足にゴムサンダル」とあるので、かなりの世捨て人風、あるいはアウトロー的だったのではないだろうか。
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"1000点満点中990点"のニューバランス「990」シリーズ
そんな坂本のファッションがのちにYMOを組む細野晴臣、高橋幸宏と出会うことで一変する。「細野と出会ってわずか二年後、坂本龍一はデザイナーブランドに身を包んだ、クールでスタイリッシュな『教授』になっている」(『「教授」と呼ばれた男 坂本龍一とその時代』)。坂本が東京藝術大学大学院修士課程を修了するのが、1977年3月で、YMOがバンド名と同じデビューアルバムをリリースするのが、1978年11月。わずか1年半で坂本は大変身するように身なりをかえ、「教授」となったのだ。
坂本がいつごろからゴムサンダルからニューバランスを履き替えたのかははっきりしていないが、「教授」が履くスニーカーとしてニューバランスはうってつけの靴ではないだろうか。アメリカのマサチューセッツ州でニューバランスが誕生したのは1906年。最初は矯正靴を中心にした靴の製造からスタートした。ブランド名は履く人に新しい(new)バランス(balance)感覚をもたらすことから考案されたと聞く。本格的なランニングシューズブランドとして人気を集めるようになるのが、1970年代。現在ではランニング以外にも各種のスポーツシューズからアパレルまで手掛けるスポーツブランドへと成長している。
今回紹介するのは坂本が愛用していた「990」シリーズは、初代が1982年にMade in U.S.A.モデルとして発売され、コスト度外視してそのときの最高技術を投入して完成させたニューバランス渾身の一足。「1000点満点なら990点の出来栄えというのが品番の由来で、常に進化を続け、今回紹介する「v6」は14代目の最新作だ。デビュー以来、さまざまなジャンルの音楽を吸収し、新しい音を求め進化を続けていた坂本の姿勢とシンクロしているようだ。
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