アメリカの時計技師フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズは、スイスの優れた職人技術とアメリカの近代的な製造技術を融合させて高品質時計をつくるために、スイス北部の街・シャフハウゼンにIWCを設立した。この地を修業先に選んだのが、当時30歳だったパティシエの鎧塚俊彦。1995年から約1年半にわたってこの地に暮らした彼にとって、このシャフハウゼンという街は、そしてIWCはどのような存在に映ったのか?
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修業先のシャフハウゼンで出会った、街の誇りとして愛されるIWC
いまや日本を代表するトップパティシエである鎧塚俊彦が渡欧したのは30歳の時。国内でのキャリアは順調だったが、さらにその上を目指すための決断だった。
「初めての海外修業は、スイス北部の街シャフハウゼンでした。中世の城壁に囲まれた美しい街で、街の真ん中にある広場に面した『ツッカーベッカライ エルマティンガー』という店が修業先。ここにIWCという時計ブランドの本社があることを知ったのは、働き始めてからすぐでした。オーナーのエルマティンガーさんは当然IWCの時計をつけていましたし、おじいちゃんの形見としてもらったという若者もいました。みんな、時計を大切にしていましたし、街の誇りでもあった」
そこで鎧塚が教わったのは「IWCは見せびらかす時計じゃない」ということ。街の人たちが親から子へ、そして孫へと代々引き継いでいく時計であったという。
「IWCの時計には華美な装飾がなく、ある種の愚直さがある。時を刻むという、ただそれだけのことに特化して、精密なものをつくり上げていく姿勢が素晴らしい。祖父や父が京都の家具職人だったこともあり、小さい頃から僕の中には職人へのリスペクトが強くありました。僕もひとりの職人として、愚直に仕事に向き合いたいと思っていましたから、職人気質なIWCの姿勢はいつしか僕の理想像になりました」
「IWCの時計が欲しくて、毎日のように時計店のウインドーを眺めていました。シャフハウゼンでの修業を終え、街を離れることになった時は、まだIWCを手にするタイミングではなかった。というのも、その時点では何年間ヨーロッパで修業するかを決めていなかったんです。自分の将来像が描けていませんでした。だからこのヨーロッパ修業が自分の中で満足がいくかたちで終わるのであれば、最後にもう一度シャフハウゼンに戻ってきて、IWCの時計を買って帰ろうと心に誓いました」
2002年に帰国するまで、ヨーロッパには足掛け8年間いた。ベルギーのブリュッセルでは三ツ星レストランのシェフ・パティシエに就任するまでに成長し、やり切ったという気持ちになれたという。
「帰国する前に、お世話になった人たちへの挨拶も兼ねてシャフハウゼンに戻って、購入したのが『ポートフィノ・オートマティック』です。後に結婚した女房(女優の川島なお美さん)は、この時計を“本妻さん”と呼んでいましたね(笑)」
購入した時はレザーストラップだったが、使い込んで傷んできたことから数年前にメッシュのメタルブレスレットに変更し、さらに愛着が増したそう。
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IWCと共通する職人としての美学
「ポルトギーゼ・オートマティック42」は2015年に癌で亡くなった、妻・川島なお美さんからの最後のプレゼントだ。女優、タレントとして数々の映画やドラマ、バラエティ番組で活躍した川島さんは、職人気質な鎧塚さんのよき理解者であり、心の支えになっていたという。ふたりはおしどり夫婦として知られ、時にはテレビ番組で共演することもあった。
「僕の50歳の誕生日(15年10月16日)にこの腕時計をプレゼントしようと女房が予約を入れていたそうです。彼女は9月24日に亡くなってしまいましたが、10月16日にうちのスタッフから、この時計を受け取りました。本当に感激しましたね。ただね、僕は女房からいろいろなプレゼントをもらいましたが、『時計だけはプレゼントしないからね』とずっと言われていたんです。理由を聞くと、時計をプレゼントすると破局が来る、別れてしまうジンクスがあるからって」
では、なぜ川島さんはIWCの時計を鎧塚さんにプレゼントしたのだろうか。
「それはわからないですね。でも、最期を悟っていたのではないはず。女房はすごくポジティブな人でしたから。最期まで舞台への復帰も目指していましたし。いまとなってはその真意はわかりませんが、この時計のケースバックには、女房の名前と僕の名前が刻んであります。とても大切なものですし、ここいちばんというときに選ぶ、力を貰える時計ですね」
現在、鎧塚が所有するIWCの時計は8本。なにを選ぶかは、その日のファッションやつけていく場所によって決めるという。
「機能的なものがいいのか、スポーティなものが合うのか、少し大きめのきらびやかなものがいいのかなど考えながら、時計を使い分けています。基本的にはシンプルなモデルが好みですが、2000m防水のダイバーズウォッチや精密な計測ができるパイロットウォッチのような高機能のモデルも好きです。実際に使いこなすのは難しいでしょうけど、そこが男のロマンですし、時計の面白いところでもある」
鎧塚が所有する時計の中で、いちばん最近手に入れたモデルが「ポルトギーゼ・ヨットクラブ・クロノグラフ」だ。
「ケースも大きくて、さらにはベゼルとブレスレットにはレッドゴールドを使ったコンビモデルです。IWCにしてはちょっと派手なのですが、華やかな場に出かける時に使っています」
なぜこれほどまでに鎧塚は、IWCの時計に惹かれるのだろうか?
「時刻を知る道具として考えると、いまはもっと便利なデジタルツールもあります。しかし、人の手でていねいにつくられた機械式時計だからこそ、愛着を持って大事することができるし、そこには美学があるのです」
職人にとって「美学」を持つことは、非常に大切なことだと鎧塚はいう。
「僕ら職人がやっているのは、"労働"ではありません。労働という言葉には、『生きていくために肉体もしくは知能を使って働くこと』という意味があります。だとすると僕たちの仕事を“労働”と捉えるには、あまりにもハードすぎるし、とてもじゃないけど割に合わない。しかしその割に合わないことを理解した上で、何十年もやり続けていくところに面白さがある。それこそが僕の美学です。IWCの想像もつかない緻密な時計づくりには、同様の美学を感じるのです」
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あの夏のシャフハウゼンを思い出す、ポルトギーゼの最新作
IWCが2024年の新作として発表したのが、細部のデザインの調整を図るとともに、これまでにないカラーリングで一新された「ポルトギーゼ」コレクションだ。その中で鎧塚が特に気になったのが、爽やかなブルーの色味の「ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー 44」だった。
「こういう色は、IWCではかなり珍しいですよね。ホワイトゴールドのケースとダイヤルのブルーがマッチしていますし、この適度な重みが存在感を感じます」
このダイヤルカラーは「ホライゾンブルー」と名付けられている。昼下がりの太陽から降り注ぐ、明るく澄みきった光にあふれるシャフハウゼンのライトブルーの空の色からインスピレーションを得ているという。
「シャフハウゼンの空か……。確かにこんな色の空が広がっていましたね。でも僕にとってこの色は、街を流れるライン川の色にも思えます。シャフハウゼンはライン川の中継貿易地として栄えた街で、修業時代は、夏になると毎日友達と一緒に川で泳いでいました。この時計を見ていると、あの時代を思い出しますね」
「今日は黒いコックコートですが、白いコックコートを着ることもありますから、この綺麗なブルーがいっそう映えそうですよね。しかも永久カレンダー機構が搭載されている。その複雑な機構は、まさに宇宙の法則を機械仕掛けで表現しているわけであり、それを手作業で組み立てているというのも驚異的です。シースルーバックから見えるムーブメントの精密な世界は、つい見入ってしまいます。改めてすごい時計ですよね」
約30年前にシャフハウゼンに単身で乗り込んだ日本のパティシエは、この地で生まれるIWCの時計が持つ職人気質の姿勢やディテールへの探求心に魅せられ、ひとつの理想形として心に刻んだ。
その気持ちは、日本を代表する人気パティシエとなったいまでも変わらない。IWCが伝統を守りながらも進化を遂げているように、鎧塚俊彦もまた、前進し続けているのだ。
IWC
TEL:0120-05-1868
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