1935年に竣工し、現存する日本のモダニズム住宅の中でも最古と言われている土浦亀城(かめき)邸。建築家・土浦亀城の自邸であるこの住宅が、2024年3月に竣工した青山のポーラ青山ビルディングの敷地内に復原・移築された。1995年には東京都有形文化財に指定され、99年には近代建築の保存を目的とする国際的な組織「DOCOMOMO」の初代20選に選定されている。
これまで特別に公開することもあったが、住宅地である品川区上大崎で頻繁に公開することが難しく、移築を検討していたという。今年3月に竣工したポーラ青山ビルディングのデザイン監修を担当した安田幸一が土浦亀城邸の修復にも携わっていたこともあり、この地に移転することが決まった。
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機能的な生活空間を目指し、つくられた実験住宅
土浦亀城は、 東京帝国大学工学部建築学科に在学中に帝国ホテルの現場の図面作成に携わり、卒業後は妻・信子と共にアメリカに渡りフランク・ロイド・ライトの事務所に勤めた人物。ライトの事務所での同僚であったリチャード・ノイトラや、元所員であったルドルフ・シンドラーから、欧州のモダニズムについて多く学んだという。
そんな土浦は帰国後に自邸を設計。シンプルな箱型の外観は、いまではよくある建物に見えるが、当時の住宅といえばは瓦屋根の日本家屋が一般的で、竣工した際には道行く人から珍しがられたに違いない。白い箱型の建築、スキップフロア、吹き抜け、パネルヒーティング、システムキッチンなど、現在の住宅に当たり前にあるものが、戦前の住宅に取り入れられていることが驚きだ。さらに当時珍しかった木造乾式工法も採用されている。
特に注目すべきは、天井にパネルヒーティングが設けられていること。壁のラジエーターだけでなく、天井にヒーターを設けることで部屋を暖めようとしていたが、数年で使えなくなってしまったという。床でなく天井に設けているのが惜しい気もするが、自邸だからこそできたチャレンジングな試みは、土浦が見据えていた未来の住宅への眼差しを感じられる。
調査は約6年。「復原」にこだわる
1998年に信子が逝去した後は元秘書が引き継いでいたが、その後空き家となり、2018年に建物調査がはじまる。陸屋根や木製建具の窓枠からの漏水とシロアリによる被害が激しく、特に基礎周りの躯体の腐敗がかなり進行していたという。
そもそも土浦邸は1938年に増築をし、戦後に外装を変更、1970年頃に改築をし、移築前の姿に戻ったという経緯がある。今回は竣工当時の姿に戻すことを目指しており、そのため「復元」ではなく、オリジナルに戻すという意味で、文化財建造物の修復の際に用いる「復原」という言葉を使っている。
復原の作業は綿密な調査と歴史考証により実現した。まだカラー写真もない時代。内装は白黒の写真から検証し、可能な限り当時流通していた部材を探し、ない場合は質感の近いものを採用。当時のものが使えたサッシや建具などはできる限り修復を行った。さらに外装の色は経年変化しているので、壁をこすり出して調査し、元の色に近づけたほどの徹底ぶりだ。
約90年もの間、壊されずに残ったことも驚きだが、まるで新築のような姿で新たな地に生まれ変わったのは奇跡と言えるだろう。東京の街は、日本家屋の広がる住宅街風景から高層ビルが立ち並ぶ大都会へと大きく変化した。ビルの間に建つことになった土浦亀城邸の第二の人生は、始まったばかり。一般公開の予約は9月2日からを予定している。ぜひ足を運んでほしい。
土浦亀城邸
公開期間:2024年9月〜予約制で一般公開
※月に2回、1日2〜3回のガイドツアーを実施予定
公開場所:ポーラ青山ビルディング敷地内土浦亀城邸
東京都港区南青山2-5-13
公開日:水、土(予定)
料金:¥1,500 ※小学生以上一律
※2024年 9月2日(月)10時より予約開始
www.po-realestate.co.jp/business/aoyama-tsuchiurakameki.html