Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第20回のキーワードは「言い出しっぺ」。
「友人」をどう定義するかにもよるけれど、たとえば「1年以内に仕事以外で会った人」と考えてみると、20代前半くらいをピークにして友人の数が減っている。大体それくらいの時期から、結婚や出産、海外や地方への出向などで物理的に会えなくなる人が増えていって、定期的に集まるようなコミュニティの数も限られてくる。
人付き合いに関していえば僕はかなり受動的で、昔から自分でなにかを企画して日程調整をしたり、他人に声をかけて人数を集めたりしてこなかった。自分から誘ってしまうとわざわざ時間を割いてもらっているような気分になってしまい、僕のために予定を空けてもらっている以上は楽しさを保証しないといけないような気がしてしまう。一緒にいる相手が楽しんでいるかどうか気にしながら過ごすと、今度は自分自身が楽しめなかったり、どっと疲れてしまったりすることが多いのだ。とはいえ、自分から誘わないと他人と会う機会が本当に限られてくるので、たまに誰かに声をかけてもらった時は、なんらかの事情で気が進まなかったり、先約が入っていたりする場合を除いて、可能な限り誘いに乗るようにしている。
学生時代というのは、僕のような受動的な人間にとって特殊な時間だったと思う。学校という場があることで強制的に毎日顔を合わせることになるからだ。就職せず、個人で仕事をしているいまは、を経るにつれ友人たちに新しい家族ができたり、あるいは出世して仕事が忙しくなったりして、誰かから誘われる回数も減ってくる。そうやって友人の数が減ってきている。
小説家という職業は個人事業主の集団だ。オフィスなどもなく、同業者と仲よくなる機会は限られている。文学賞のパーティなどで挨拶をする機会はあるけれど、そこから先の関係を築こうとすると、連絡先を聞いたり日程を合わせて食事をしたりする必要があって、どちらかが勇気を出して踏み込まない限りは、単なる「顔見知り」の関係で終わる。そもそも小説家になるような人間はなにかを企画したり、人を集めたりする能力に乏しい者が多い。まわりの人々が飲み歩いているような夜に部屋の片隅で読書をしていたからこそ、小説を書いているという側面もあるだろう。
とはいえ、それなりに仲よくしている同業者がいるのも事実だ。どうやって仲よくなるのかというと、小説家の中にもたまに「言い出しっぺ」がいるのだ。いろんな人に連絡先を聞き、声をかけて飲み会やボードゲーム会などを企画して同業者を集めてくれる。そういう企画に参加して初めて、同業者と仲よくなる機会を得ることができる。
僕がいまでも定期的に会っている友人グループの共通点を探っていくと、グループ内に「言い出しっぺ」が必ずいることがわかる。その人物が声をかけ、日程を調整し、お店を予約してくれているから、友人関係を維持することができている。もっというと、「大人になっても友人関係が維持できるかどうか」は、「学生時代にどれだけ仲がよかったか」と無関係だったりもする。僕が大学生の時にいちばん仲がよくて、毎日昼から夜まで一緒にいた友人とは、もうしばらく連絡も取り合っていない。僕もその友人も、どちらも「言い出しっぺ」ではないからだ。大学生の時は、キャンパスへ行けば自動的に会っていたけれど、卒業してからはどちらかが声をかけないと会う機会がない。そうやって親友とも疎遠になる。
まだ若い人にはピンとこないだろうけど、友情が長く続くかどうかは、過ごした時間の尊さではなく、「言い出しっぺ」の有無によって決まることもあるのだ。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。※この記事はPen 2024年8月号より再編集した記事です。