キーワードは日本の未来資源。デザイナー・原研哉が、泡盛「ZAKIMI」のブランディングと温泉旅館「吾汝 ATONA」の展開について語る

  • 文:中島良平
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原 研哉●1958年生まれ。デザイナー。日本デザインセンター代表取締役社長。武蔵野美術大学教授。デザインを外界環境形成と捉え、ビジュアルから建築空間まで多領域で活動を続ける。撮影:中島良平

無印良品や松屋銀座、ヤマト運輸、JAPAN HOUSE、さらには、長野オリンピック開閉会式や愛知万博など、幅広い分野の企業や施設などでデザインを手掛け、さらには『RE-DESIGN:日常の21世紀』『HAPTIC』などの企画展を通じて既存のデザインの価値観に対して提言を行ってきたデザイナーの原研哉。

先頃、ハイアット ホテルズ コーポレーションの関連会社(以下、ハイアット)と株式会社Kirakuが合弁事業で展開するラグジュアリー温泉旅館ブランド「吾汝 ATONA」の2026年以降のオープンが発表されたが、そのブランドディレクターを原が務めている。温泉旅館への滞在を通じて日本の本質的な魅力を体感してほしいという思いが、「わたしとあなた」を意味する古語を用いたブランド名に込められているという。

「日本の文化をていねいに発信していきたいとは思っていますが、自分のデザインの中に日本の伝統的な造形やアイコンをことさらに引用したくはない」と話す原研哉が、このプロジェクトに懸ける思いとはなんなのか。ひとつの転換点として、2019年にクライアントを持たずに自主企画として立ち上げたプロジェクト「低空飛行」が浮かび上がってくる。

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自身のサイト「低空飛行」を通して見る日本

トップページに「飛行機の旅ではありません。こんな日本はいかがですか、と原研哉が選りすぐりのスポットを紹介するサイトです」と記されたウェブサイト「低空飛行」。場所の選定、写真、動画、文章、編集のすべてを原が手掛け、北は北海道の余市町余市蒸溜所から南は八重山諸島石垣島の八重泉酒造まで、2024年7月の時点で、神社仏閣や旅館、ホテル、産業遺構や庭園など、分野を限定することなく64件を紹介している。

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ウェブサイト「低空飛行」より。北海道余市町余市蒸溜所を紹介するページでは、日本のウイスキーの歴史の幕開けについて綴られている。
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ウェブサイト「低空飛行」より。東京都首都高ドライブの動画に映るのは、時間帯によって異なる空の光、都市の夜景。驚くほどに美しい。

コロナ禍の直前にスタート。およそ月に1度のペースで2泊3日の取材旅行を実施した。美しい写真と動画、シンプルでありながら味わいのある文章で構成されたサイトを訪れると、日本の自然や文化の豊かさに気づかされるはずだ。原はこのプロジェクトを「日本をテーマになにかを行うための基礎研究」と位置づけて立ち上げたという。

「伝統を掘り下げる目線のみで日本を見ているわけではありませんが、削ぎ落とされて研ぎ澄まされた特殊な感覚がこの国にあることは以前から感じていました。また、複雑な海岸線に囲まれた列島の大半が山で占められ、二十四節気のような繊細な季節の移ろいや、千数百年の熟成した歴史がある国である日本は、海外のいろいろな国を訪れるほどに改めて特殊な国だと実感させられます。しかし、世界の人々はこの場所の魅力をほとんど知らない。そこに気づいた時、日本列島という国土や文化というのは、確実に未来の資源になると感じたのです」

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ウェブサイト「低空飛行」より、高知県四万十川と沈下橋。欄干がなく、増水時には抵抗なく水中に没する橋の由来を高知の森林風景の豊かさとあわせて描写する。

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2030年までに、年間6000万人の外国人旅行者が日本に来訪するようになることを政府は目指している。第二次世界大戦後に工業立国を目指し、驚異的なスピードで経済復興したものの、バブル崩壊後にポスト工業化の行方を見定められていない現在、目を向けるべきは自然や文化といったこの国の資源だと原は考える。その背景には、デザインの役割は「本質を見極め、可視化する」ことだというデザイナーとしての視点があるのだ。「愛国主義的なものではありませんよ」と前置きした上で続ける。

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ウェブサイト「低空飛行」より、滋賀県佐川美術館樂吉左衞門館。30歳の頃に初めて樂焼を知り、「それまで自分はなにもわかっていなかった」と衝撃を受けたと原は話す。

「日本の美意識が確立したのは応仁の乱のあとぐらい、室町時代の後期以降だと考えられています。たとえば庭でいうと、なにもない空間が美しい、というような文化ですね。日本は優秀な建築家を多数輩出している国ですが、自然と対峙して屹立するような建築ではなく、自然を読み取り、受け皿となるような建築の文化を長い時間をかけて育んできました。そんなエンプティな建築を生み出してきた視点で日本の風土を咀嚼し、文化と結びついたホスピタリティを装着し、世界が注目する食文化をふさわしいかたちで提供できるようになれば、高度な経済を生み出せるのではないかと考えてきました。『低空飛行』の制作を続けたことでその直感は間違ってはいなかったと実感しています」

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ウェブサイト「低空飛行」より。八重山諸島石垣島と八重泉酒造。波と風雨にさらされた風土の肌合いについての印象がこのページのテキスト序盤に綴られる。

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石垣島発の泡盛酒造所と新ブランドを立ち上げ

2022年に立ち上げた泡盛のブランド「ZAKIMI」にも、「低空飛行」での取材と発信を続けた原の日本の風土に対する視点が反映されている。

1955年に石垣島で創業した泡盛の酒造所である八重泉酒造と立ち上げた「ZAKIMI」。八重泉酒造は、石垣島に古来、伝わる直釜式蒸溜などの伝統的な製法と、業界に先駆けて行った洋酒樽での長期貯蔵を組み合わせた酒造りを行っている。以前よりウイスキーや日本酒のラベルのデザインを行ってきた原だが、八重泉との仕事では、製品開発から関わることになった。

「日本のウイスキーの歴史は100年程度と短いですが、メソポタミア文明において蒸溜酒が発明されると、大陸を経てインドのあたりから島を経て、八重山諸島などを経由して15世紀ごろに日本に伝わってきたと言われています。泡盛にはしかるべき歴史があるにもかかわらず、価格が非常に安い。お酒が安い世界は否定したくありませんが、一方でワインが数百万円などで取引されているのを見ると、日本で生まれた最も伝統ある酒のひとつだといえる泡盛が、これだけ安い価格帯のみで取引されているのはおかしいと思うわけです」

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手前に映るボトルが、「ZAKIMI」の3銘柄。撮影:中島良平
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武蔵野美術大学大学院の教え子である書家、鎌村和貴の作品をラベルに採用した。

30年貯蔵した古酒(クース)が眠っており、また各地の蒸溜酒コンテストで最高賞を受賞してきたように、八重泉には品質に加えて独自の価値がある。商品の味、存在感、ストーリーというものを融合させ、価値の転換を図ろうと原は計画を立てた。そこで、8年古酒を100%用いた「ゆく」、10年熟成の古酒と10年樽貯蔵をブレンドした「顔」、30年ものの古酒を用いた「台風」という3銘柄をラインアップ。それぞれ700mlボトルで20,000円、60,000円、200,000円の価格をつけた。

「石垣島は台風の交差点ともいえる場所に位置しています。台風によって降る雨が島の湧き水となり、その水がこの泡盛の味を醸成しています。古酒は非常にアルコール度数が高いので、商品化する際には割水を用いて43度まで薄めるのです。そこで、販売する年にやってきた台風の雨から取水し、浄化したものを割水に用いるという案を考えました。そうすると、ある年の泡盛にはその年の台風が紐付けられてヴィンテージとなっていく。石垣島ならではの風土がストーリーを生み、ブランディングを担っていくのです」

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石垣島のイメージで「ZAKIMI」をブランディング。撮影:岡庭璃子
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撮影:岡庭璃子

「ZAKIMI」の3銘柄を楽しめる椿山荘のメインバー「ル・マーキー」では、8月19日にソムリエの田崎真也を迎え、一夜限りのペアリングイベントを開催する。「ゆく」に4種の貝のサラダ仕立てを合わせるなど、3銘柄それぞれを食と組み合わせ、さらに広がる味わいの楽しみを提案。ブランディングを続けた先に、この「ル・マーキー」のように、高級ホテルや旅館のバーには「ZAKIMI」のボトルが並んでいるような状況を目指すという。

「100人に10人ぐらいは、まあまあお酒に強い人がいて、そのうち1人ぐらいはすごく強い。そういう人たちは確実に蒸溜酒をストレートで味わうのが好きなんですよ。これから海外からの来訪者が増えます。その100人のうちの1人が『ZAKIMI』と出会う場をつくっていきたい。ニッチともいえるかもしれませんが、それは隙間という意味ではなく、このお酒がたどるべき道すじをつくるようなイメージです」

そして、「吾汝 ATONA」の今後の展開の話へと続く。

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日本の自然と融合した温浴文化

20代後半の頃、原はバリ島でおよそ初めてリゾートホテルを訪れた。夕刻、「ジ・オベロイ・バリ」というリゾートホテルの入口から、暗闇に浮かび上がるバリの彫刻を目指して階段を下りて行く。巨大なドアを開けると、緻密な装飾が壁面に施されたホールに出る。そこから屋外に出て、ウェイティング・バーへと案内された時の衝撃を次のように話す。

「浜辺へと幅広の階段を下りて行くのですが、その一段ずつの踏み板の両端に蝋燭が灯っていて、敷地の奥までうねりを伴って続いているのです。その光景に身震いを覚えました。インドネシアの文化は植民地文化ではあるのだけれど、やはりそのホスピタリティが高度に完成されていて、ひとつの国の文化がどれだけの効果をもって人をもてなすかということを痛切に感じたのが『ジ・オベロイ・バリ』での経験でした」

一方で日本は、第二次世界大戦後に一時アメリカの支配下にはあったものの、文化の歴史が途絶えることなく、自然観や精神性は受け継がれてきた。その価値を理解し、文化によってもてなせる宿泊施設に携わること。「吾汝 ATONA」には、その意志が込められている。

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「吾汝 ATONA」ブランドイメージとロゴ。

「私(吾)とあなた(汝)を意味する古語ですが、大事な人とふたりで過ごす場所をイメージできるかもしれません。それは夫婦や恋人かもしれませんし、家族や友人などいろいろなケースが考えられます。また、私と自然、のような大きな存在とのつながりという意味で捉えていただいても構いません。そういう広がりを持ち、日本流を押し付けて宿泊客に緊張感を与えてしまうのではなく、日本の価値観に裏づけられた澄みわたる空間をイメージし、過ごすことで気持ちが刷新される、身が浄化されるような体験もできる場になればと思っています」

ハイアットのロイヤルティプログラム会員のような、グローバルトラベラーが「日本を知る心地よい衝撃」を体験できる場。エキゾティシズムのインパクトに落とし込むことなく、その本質に触れることで気づきが生まれることを目指す「吾汝 ATONA」は、まずは由布、屋久島、箱根の3地域での展開を予定している。

「スイスにピーター・ズントーという建築家が設計したテルメ・ヴァルスという温浴施設がありますが、そこが非常に洗練されていたんです。コンクリートの建物ですが、アルプスの自然を受け止めつつ、そこでしか味わえない湯の愉楽を提供してくれる。そこでは大きな衝撃を受けました。日本の温泉には固有の愉楽感がありますし、また日本の自然には独自の美しさがあります。『吾汝 ATONA』を通じて、日本の温浴文化の発展に貢献できるように本プロジェクトに参画しています」

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クリエイションを左右するのは直感力

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「日本の高齢化社会に向けた愉楽のシンボルとして、いずれ都市の真ん中にもソフィスティケートされた温浴施設を作りたい」と話す原研哉。撮影:中島良平

理論的に各プロジェクトについて話し、的確な言葉(コンセプト)とデザイン(ビジュアル)とが原の頭の中では一致しているかのように感じられる。しかし、クリエイティブにおいて大前提としているのは「直感」だという。「直感」で生まれたイメージを具現化するために、研究を重ね、言葉を紡ぎ、視覚表現と結びつけていくのだと。

「デザインがうまくいった、プロジェクトがうまくいきそうだと思える時って、やはりいいスケッチが描けた時なんですよ。つまり、頭の中のイメージがスムースに外に出せた時です。事務所でひとり、深夜にウイスキーを飲みながら、うまくいきそうだと感じる。デザインの仕事をしていて、そういう瞬間に充実感があります」

「ZAKIMI」の旅路は始まったばかりであり、「吾汝 ATONA」はオープンに向けて準備が進められている段階だ。原研哉の直感が協働者とどのようなシナジーを起こし、未来を描くのか。これからの展開に期待は高まるばかりだ。

吾汝 ATONA

2026年オープン予定
www.atona.co/ja

ZAKIMI

https://zakimi.yaesen.com