『ぐるりのこと。』や『渚のシンドバッド』で知られる橋口亮輔監督にとって、傑作『恋人たち』以来、9年ぶりの監督作が『お母さんが一緒』だ。2015年に上演されたぺヤンヌマキによる同名の舞台を脚色し、CS「ホームドラマチャンネル」開局25周年ドラマとして制作したオリジナルドラマシリーズを再編集し、長編映画に仕上げた。
主人公は、美人姉妹と呼ばれる妹たちにコンプレックスを持つ長女・弥生(江口のりこ)、優等生の弥生と比べられたことで自分を発揮できなかったと恨んでいる次女・愛美(内田慈)、そんな二人を冷ややかに見つめる三女・清美(古川琴音)の三姉妹。親孝行のつもりで母親を温泉旅行に連れ出した三姉妹だが、何かにつけて言い争いを始める弥生と愛美。そこに、清美が母を喜ばせるサプライズとして婚約者・タカヒロ(青山フォール勝ち/ネルソンズ)を連れてきたことで三姉妹は壮絶な姉妹喧嘩を展開する──。一番近い他人である家族だからこその愛憎をユーモラスに描いた『お母さんが一緒』を生み出したことで橋口監督が感じたこととは?
舞台作品から映像化をする際に心がけたこと
──『恋人たち』のプロデューサーだった深田誠剛さんから「ドラマを撮らないか」と声をかけられたところから舞台『お母さんが一緒』の映像化の話が進んだそうですが、まず舞台『お母さんが一緒』についてどんな印象を持ちましたか?
ピンボールみたいな作品だなと思いました。感情をバンッと相手にぶつけると、相手がまたバンッと感情をぶつけて、どんどん感情がパンパンパンパンパンとぶつかり合う、感情だけで成立してる作品だなと思いました。複雑な家族のトラウマがあるとか、家族を通していろいろな社会的な問題が浮かび上がってくるわけじゃなくて、とにかくこの三姉妹がつまらないことで言い合ってる面白さですよね。作者の言いたいことが強くある作品だと映像にしづらいかなとは思いましたが、そうではなかったのでドラマにしても映画にしても面白くできるかなと思いました。
──映像化する上でどんなことを意識しましたか?
重い作品は撮りたくなかったということもあり、楽しい作品にしたいと思いました。わっと喧嘩してる様が傍から見たら滑稽に見えて楽しく笑える作品にできればいいなと。仕事から帰ってきてビールでも飲んでドラマをチェックして、「江口のりこが出てるのか」とか「ネルソンズが出てるのか」とか思って見ようと思った方が、「わ、重い」とかって感じるのではなく、気軽に観始めて、だんだんと登場人物の中に入っていって、気が付いたら自分の家族と重ね合わせたり、口の中に苦いものを感じたりしながら、最後には温かい気持ちになる作品になることを目標に作りました。
「ドラマでも映画でも成立する作品にするにはどうすればいいんだろう」と思った時、自分は向田邦子さんの文章が好きなんですが、向田さんのエッセイは誰もが経験するような日常で起こることが綴られています。
例えば、電車に乗ってからストッキングが破れていることに気付いて恥ずかしい思いをしたり。そういう日常の些細なところから始まって、ご自分の家族の話になり、「お父さんはこの時はああいうことを言っていたけど、本当はしんどい思いを我慢しながら家族を養ってくれてたんじゃないだろうか」っていうような深いところにいって、読み手の「人生ってそういうものかもしれないな」っていう人生の実感みたいなものが乗っていく。でも決して重くなりすぎずに、最後にまたくすっと笑えるようなエピソードを持ってきて、読み手の気持ちを抜いてくれるところがうまい。そういう風に、軽く流れすぎず、ちゃんと手のひらに乗ってくる読後感のあるものになればいいなと思いました。
──まず、ドラマシリーズとしてホームドラマチャンネルで放送されることはどんな影響がありましたか?
松竹さんがやっているチャンネルということもあって、昔の日本映画は日本家屋のセットの中に女優さんがまるでそこに住んでいるかのように自由自在に動き回るシーンが多くあり、その女優さんがとても綺麗なんですよね。『お母さんが一緒』の三姉妹はずっと喧嘩をしていますが、見終わった後に清々しい青空を感じるような作品にしたかったので、昔の日本映画の女優さんの美しさを思い浮かべながら考えていきました。
──終盤の三姉妹が温泉に入るシーンは、まさに清々しい青空のような美しさを感じました。
キャストの皆さんに伝えたのが、傷ついた鹿が温泉に入ってきて、自分の傷を舐めて治しているように、喧嘩ばかりして傷だらけになった女たちが最後温泉に入って蘇生していく。3人ともずるいところがいっぱいある人たちで、嘘もいっぱいついて影でペロっと舌を出すようなところがある。それでも最後に自分の心の奥底を見ると、ちゃんと綺麗で無垢なものを持ってることに気付いて安心するような作品にしたいと話しました。そういう作品にできればご覧になった人たちも嫌な気持ちにならず、最後に爽やかなものを感じてもらえるようになるんじゃないかって。皆さんはよく飲み込んでやってくれたと思っています。
──そういったことをクランクイン前のリハーサルで話されたわけですね。
そうですね。江口さん、(内田)慈ちゃん、古川さんともに「リハーサルがあるのとないのとでは大きく違うからやれて良かった」とおっしゃってました。舞台も含めて今はリハーサルをやる作品が少ないそうなんです。特に江口さんぐらいキャラが立っていると、「あの作品の江口のりこの方向性で演じてください」っていうオファーをいただくことが増えていて、0から役柄を一緒に演出家と作っていくことはほとんどないので、「今回それができてすごく楽しかった」と言っていました。
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江口のりこと2回目のタッグで得た気づき
──江口さんは『お母さんが一緒』の脚本を読む前に橋口監督の作品ということで出演をOKされたそうですね。
はい。現場でも、すーって近づいてきてぼそっと「私、今回の作品をやれて本当に良かったです」って言ってくださって。二人でぼそぼそっと撮影の合間の数分間でいろいろと話すんです。
そこで江口さんが言っていたのは、「自分としては心をめいっぱい使って演じたのに、完成した作品を見たら自分の心の動きが何も映ってなかったことがあった。それを見て、“自分は何のためにこの仕事をしてるんだろう”“何のために作品を作っているんだろう”と思いとても落ち込みました。でも橋口さんがリハーサルをやって、『昔こういう女性に会って、弥生だと思った』とか今回の作品に関係ないワークショップで出会った女性の話とか、いろいろな話をしてくれたことで弥生のイメージが膨らんで、自分が掴みたいところを引き寄せていって、だんだん弥生になっていく感覚を久々に味わえて嬉しい」。
そうやって江口さんが楽しんでくれたことが僕も嬉しかったですね。例えば、弥生と愛美が激しく衝突するシーンの、お互いが何かを出し合って、それに反応し合って、また芝居が変わって行くようなやりとりを見て、「江口さんはルーティーンではなく、こういう風に作品作りを楽しみたい人なんだな」と思いました。
──江口さんとは『ぐるりのこと。』以来、2度目のタッグはいかがでしたか。
『ぐるりのこと。』で江口さんはリリー・フランキーさんと木村多江さんが喧嘩をしている時に「うるさいよ」と怒鳴り込んでくる隣人の役でした。台本には「ちょっと静かにしてくれません?」っていう一言が書かれていただけだったんですが、江口さんがアドリブでいろいろなセリフを付け足してくれたことでその場の空気が破裂したようなシーンになって。江口さんによって緊張感が弾けて、後半の木村さんがわっと泣き崩れる場面にいけた。「すごい人だな」と思いました。
このシーンの撮影後に、外に出たら江口さんが衣装のままでいたので「どうだった?」と訊いたら、「難しかったー!」って言っていたことをすごく覚えています。その後、皆さんもご存知のように売れっ子になられたので、今回「江口のりこよ」みたいな高飛車な感じで現場に来られたらどうしようかと思ったんですが(笑)、全く変わらず本当にお芝居が好きで真摯に取り組んでくださる方でした。
──古川さんとは今回初めてご一緒されてみて、いかがでしたか。
古川さんの以前の作品を見て、演技力は間違いないと思いました。以前の作品を見た時、「感性で演じられている人なのかな」と思ったんです。今回のリハーサルの時に「ここのお芝居やりにくくない? 大丈夫?」と訊いたら「私は今この人の目を見たくないので、背中をこうやって向けてセリフを言ったんです」とおっしゃっていて、全部計算して演技の組み立てをされているので驚きました。江口さんも「古川さんはすごく人のことを観察しているので、私の芝居によって古川さんの芝居も変わっていく」とおっしゃっていました。
古川さんに「でも、ここでこうなるからこういう風にしてほしい」と修正をお願いすると、自分の組み立てにちゃんとその要望を組み込んでお芝居ができるので、「まだ26歳なのに大した方だな」と思いました。江口さんも「変な人が一人もいない」って言ってましたけど、慈ちゃんも含めて3人ともお芝居が好きで、だからこそチームワークが良く、ずっと集中力が途切れずに撮影ができた。そのおかげで成立した作品だと思います。喧嘩ばかりしてるけれど、基本はコメディなので、役者さんが生き生きと楽しく演じているということが画面にも出ていると思います。
──見る側としても「この役がこう来たら、今度はこの役がこう来る」という応酬にとてもワクワクさせられました。
そうなんですよね。僕が演出していないところもいっぱいあります。弥生と愛美が喧嘩になって、それを見ている清美が弥生に「お姉ちゃん(弥生)が一番悪い」って言うと、弥生が「あんただけは私の味方だと思ってたのに」って言って弥生が出ていこうとするシーンがありますよね。あのシーンは僕は動きだけは指示しましたが、弥生が逃げようとする際に襖を開けたり締めたりっていうことは演出してないんです。呼吸が合わないとああいうお芝居はできないですよね。青山くんも含めて、とても相性の良い4人でした。
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オファーのきっかけは、YouTubeだった
──清美の恋人のタカヒロ役を演じた青山さんは監督がYouTubeでネルソンズを見たことがきっかけでオファーされたそうですが、良いお芝居をされる予感があったのでしょうか?
人柄が伝わってきたことが大きいです。まさに『お母さんが一緒』のタカヒロの笑顔で笑っていて、「良いヤツだな」と思いました。すべることを芸風にする人もいますが、ネルソンズは3人とも──特に青山くんは「滑りました…!」って言って屈託なく笑っていたので「欲のない人たちだな」と思いました。青山くんは元々スポーツマンということもあり、硬派で不器用でまっすぐな人柄がそのまま出ている。タカヒロを誰に演じてもらいたいか考えた時に、いわゆる今時の綺麗なイケメンでは成立しない、ガタイがちょっと良くてぼーっとしていて天然で、女から見たら嘘をついてもバレない安心感があるような。でも、ちゃんと常識は持ち合わせている人が良いと思いました。
だから清美は自分が暴走してもタカヒロが引き戻してくれることがわかっていて甘えている部分がある。天然で抜けてるようで、温かい人間味がある人柄を演技で見せるのはなかなか至難の業だと思ったのでそのままの人を連れてきたいなと思って、冒険ではありましたがオファーさせてもらいました。
──家族ならではのエピソードがたくさん盛り込まれている作品ですが、監督が特に印象的だったのはどのシーンでしょうか?
温泉旅館に到着して、最初弥生は愛美に向かって「あんた、何も考えないでこの旅館に決めたんでしょ!」なんて言っていたのに、タカヒロが登場したら「この子(愛美)が一生懸命探したのよ」とか言ってコロッと意見が変わるし、愛美は妹の彼氏であるタカヒロを誘惑したり(笑)、「どういう風に見ていただけるんだろう」と思っていたんですが、ご覧になった方から「元嫁が三姉妹で年中ああいう感じで喧嘩してたんです。お祝い事の席でそんなこと言わなくてもいいのにっていうことを言って揉め事が始まったり」と言っていただいたり、皆さん自分の家族と照らし合わせて見ていただいてる。
僕が一番印象的だったのは、終盤弥生がアイロンをかけながらロシア民謡で昭和歌謡としても知られる『赤いサラファン』を口ずさむシーンです。弥生の年齢的におそらく母が歌っていたのが入り込んでいると思うんですが、母に対していつも愚痴っているけれど、同化しちゃってるんですよね。それで、その歌を歌いながら愛美のしわくちゃのブラウスにアイロンをかけてあげている。弥生はそうやって妹のことを面倒見ているし、母も散々娘に色々文句を言ってるけれど、何だかんだ娘のことを支えてきたんだろうなと思いました。自分の両親は年中喧嘩していて、中学の時に離婚した時、「やっと家の中が静かになるから良かった」と思いましたが、ひもじい思いを一度もしたことがないし、やっぱり両親に守られて生きていたんだなと思いました。
──『お母さんが一緒』を通して、改めて映像作品を撮る楽しさを感じたのはどういったところからですか?
今までの自分で脚本も書いている作品は根拠が全部自分の中にありました。例えば『恋人たち』は自分の全体重が乗っかってるような作品でした。でも『お母さんが一緒』は原作があるので『どう自分の作品にしようか』と考えた時に、登場人物たちを1回自分の中に入れて、自分の人間たちとしてアウトプットしようと思いました。『この人物たちは現実に生きてるんだ』と言いたいわけです。弥生はすごく振れ幅のある一見おかしな人ですが、弥生も切なさをちゃんと抱えていて今この瞬間を生きてるように描きたい。それができればセリフが肉声のように聞こえるだろうなと。
それで役者さんたちに「とにかく生きた人間にしたい。お芝居は生(なま)がないとダメだと思う」と伝えました。編集は『ゴジラ-1.0』の宮島(竜治)さんと初めてご一緒したんですが、テンポの良い編集をとてもスピーディーにされる方で「これは自分にはできないな」と思いました。そして、引きのカットをポイントにするといった映画になることを想定した編集をしてくださった。30年近くやってきているのに今さら「演出ってなんだろう」とか「演技ってなんだろう」とか、あるいは「物語ってそもそもなんだろう」ということを多く考えた現場で、それがとても楽しかった。何より関わってくださった皆さんが楽しく仕事をしてくれたことに支えられ、いろいろと勉強になりました。
『お母さんが一緒』
原作・脚本/ペヤンヌマキ
監督・脚色/橋口亮輔
出演/江口のりこ、内田慈、古川琴音、青山フォール勝ち(ネルソンズ)
7月12日より新宿ピカデリーほか全国公開。
https://www.okaasan-movie.com