『みどりいせき』で第47回すばる文学賞を受賞した大田ステファニー歓人は、2023年12月に開催された授賞式で自作の詩を朗読した。自身を「うち」と呼び、妻のこと、翌年生まれる子どものこと、ガザの惨状について、ラップのように韻を踏みながら語る大田の姿は、小説家という型にはまらないという決意を感じさせるものだった。
大田の姿勢に反応するかのように、『みどりいせき』の反響が広がっている。今年5月には三島由紀夫賞も受賞した。決して読みやすい小説ではないが、ペニー、フォグる、キャパい、と高校生たちの隠語を駆使した口語体で、独自の世界へと誘い込む。この小説はどうやって生まれたのか。そして大田ステファニー歓人はどこへ向かうのか。いまの率直な想いを聞いた。
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ありきたりの表現に頼らず、普遍性のあるテーマを描く
――『みどりいせき』を語るとき、まず話題に上るのがその文体です。独特の疾走感があります。
文体に超こだわって書いたわけじゃなくて作品の中から出てきたって感じですかね。この作品を表現するにあたって、この文体が一番しっくりきたというか。書き始めて最初の1カ月で主人公の内面のドラマみたいなものを描写したんです。読むとスタイリッシュではあるものの、何かちょっと読者との距離を結ぶものが欲しいって。ワクワクして集中力を引っ張るものが必要だと。で、文体どうしようかみたいな。でも結局なんかうーんってなって、だったらもう、書いてて楽しい文体なら読んでも楽しいでしょって。
――文体はキレキレですが、物語に核があるからブレがなく読後感がとても心地いいです。表現したいものがはっきりとあったのでしょうか。
書きたいこととか自分が読みたいものとか、信じたいこととか信じないこととか、いっぱいあるんすけど、1冊に全部詰め込むとバランス悪くなるんで、それをどこまで詰め込むのか。出発点があるっていうより、どう自分のエッセンスをにじませるかを考えました。隙あらば大事にしたい部分を強く表そうと。そうやって突っ走ったら書き終わったときに自分が思っていたのと近いものになったって感じの手応えがありました。
――大田さんが大事にしたいことを教えてもらえますか。
なんですかね。明言すると恥ずかしくなっちゃいますよね。いい感じで濁しときたいんす。でもなんだろう。結構いま、みんな傷つくの恐れてるっぽいじゃないですか。でももう傷つくのはしょうがなくね? みたいな気持ちがあって。臆病になるのもわかるけど、自分の内側から何かを取り出してくれるのは“他人の存在”。仕事したり、人と遊ぶでもいいけど、何かしたら疲れるし、心理的にダメージを負うかもしれない。けどめっちゃ思い出はできる。
――そういう想いを全面的に押し出すのではなく、自分でコントロールしながら書くのですね。
前に音楽やってたんですけど、グッドリスナーじゃないとグッドミュージックは無理だろう、みたいな気持ちがあったんですよ。だから自分の文章も結構厳しめに読み返すんです。ひねり出してつくった流れってあとで読み返すと引っかかっちゃうんですよ。人にぐちゃぐちゃ言う感じで「ここしょうもないだろう」って。スムーズじゃないっていうか、こういうふうな気持ちの動かし方をしたいからこういうシチュエーションと会話になってるんだって、書いてる本人だから見えちゃうんです。気づいたらこんなん書いてたわ、ぐらいがいい。
――ありきたりの表現をしない言葉選びも新鮮です。「オニツカのラインみたいな手相」とか。
他の人が書けることだったら書かなくていいのかなって気持ちもあって。定型的な言い回しって思わず出てきちゃうけど、あとから自分で読むと、どこまでが自分で書いた文章なのかわかんなくなっちゃう。これまでの蓄積で半自動的に書かれたもののような。でももっと恣意的な文章を出力してる感じ味わいたいじゃないですか。だから無駄にこだわってんのかもしれない。せっかく書くならば。
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「他人の痛みは自分のもの」、悩みながら前に進む
――現在は2作目の執筆中ですね。どんな作品になりますか。
自分は2023年10月に起きたハマスの武力闘争からパレスチナ問題に深く興味を持って勉強し始めたんです。小説を書くって、自分じゃなくて架空の人物をつくり上げるのに頭を使うじゃないですか。そういう頭の使い方をしてると、日常でも無意識に他人の痛みを自分のものにしてしまおうとする。職業病じゃないですけど。
知っちゃったら「無視する」か「関わる」か選ぶしかない。それってガザの問題だけじゃなくてなんでもそう。仕事帰りに乗った電車でやっと座れたと思ってスマホいじってるとき、目の前に身体が不自由な人がきたら、よそ見するか譲るか。たとえ話ですけど。そんときに動けるか動けないかの違いを考えます。譲らなかったとしてもずっと気にしちゃう人がいる。別に義務じゃないしって全然心痛まない人もいる。でも自分は関係ないことってもう思えないっていうか。国際社会の無関心がパレスチナを見捨ててきた。
――そういう問題意識を下敷きにした作品になるのですね。
答えがある問題だったら、たぶん自分は小説にしないっていうのがあって。ずっと悩んでるものがあって、そのモヤモヤをどう前に進めるかってなったときに、自分の表現で昇華するのが一番しっくりくるんです。だけど自分の抱えているモヤモヤをいい感じで解決するような表現が出てくるっていうよりかは、同じようなモヤモヤに苛まれてるやつが出てくるだけってことなんすけど。2作目はそんな感じですかね。
――社会への関心が広がったのは、お子さんが生まれたことも影響していますか。
これまでは1人で好きに生きてたシーズン。そっから親になって。(パレスチナ問題を)知らなくていいや、って思ってたらたぶん一生そんなことで悩まず生きていけるし、実際、全然ピンとこない人もいるわけじゃないですか。隣の部屋のやつが孤独死してたとしても「マジかよ!」ぐらいで終わる人ももしかしたらいるかもしんないし、通勤電車で人身事故で電車が遅れるってアナウンス聞いて「なんだよ」って気持ちのほうが強い人もいるかもしんない。自分の生活に集中してるとそうなる気持ちもめっちゃわかる。自分もそうだし。
自分はこれまで、社会を変える意欲を育まないように教育されてきた気がするんです。社会にコミットしようとしなくても、言われたことやってれば何となくうまく回るし、細かいことはいいんだって。だからそのまま、ほかのことは全部他人ごとになっていく。
――葛藤を抱えている人も多くいるように思います。でも大田さんは知らないフリはできないと。
葛藤しかないけど、いちいち面倒くさがらず立ち止まりながら生きるしかないかもなって。小説家って多分、なんか訴えたときに聞いてくれる人が普通よりは多い。そういう役割みたいなのがもしあるんだとしたら、というか、あると信じようと思いながら息子抱いてます。
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子どもが寝たら、耳栓をして執筆に没頭
――清掃のお仕事は続けているのでしょうか。
清掃のほうは育休中です。どうせだったら子育てに集中しようと思って、仕事オフってみたんすけど。『みどりいせき』書いてたときはまだデビューもしてなくて、(今後の生活は)どうなんのかなみたいな気持ちもあったんです。仕事あるから寝なきゃいけない。一旦いいやってなって、また起きて書いて、仕事行って、書いて寝てが繰り返されるリズムがあって、それで小説ができた部分もある。いまは書くだけの時間があって、その時間を自分で配分してると、もうずっと寝てるみたいになっちゃう時もあります。
――お子さんのお世話も大変ですね。
最近子どもと2人きりでも書けるようになってきて。赤ちゃん寝かしたところで耳栓するんすよ。耳栓を超えてくる声でアピールしてきたときだけ向き合えばいいって決めて。「ギャー」ってなったら「おっ」って。だからずっと朝から暴れまくってモンスターみたいなときは「ラッキー(今日はすぐ)寝るな」って。ずっと寝まくってて「今日もう寝ねえな」って時もあるんすけど。
――小説は誰にも邪魔されない時間があるときにしか書けないものだと思っていました。いつ途切れるかがわからない時間に書くものではないと。
自分も思ってました。でも絶対、その条件がないと書けないってなったら、多分これ一生書けんわ、って。だからもうその考えやめようみたいな。息子のほうが大事。『みどりいせき』書いたときも清掃の仕事してて移動中とか、休憩中で横んなってスマホいじってアイデア箇条書きにしたり、出力する時間結構あって。で、帰ってからとか次の日早起きしてそれをまとめるってのやってたんで。2作目書き終わったら自信つくっすね。子ども育てながら書けたわって。
『みどりいせき』
不登校気味だった高校生の翠は、小学生の頃、野球でバッテリーを組んでいたひとつ下の春と再会し、怪しいバイトに巻き込まれていく。擬音や隠語を駆使した独自の文体にも注目。
SNSでの発信
Xのプロフィールや投稿には絵文字が散りばめられている。主にガザで起きている虐殺について発信。絵文字のひとつ「スイカ」はパレスチナへの連帯を示している。