歴史の痛みから目をそらさない、響き合うふたつの魂の物語

  • 文:瀧 晴巳(フリーライター)
Share:

【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
『別れを告げない』

01_614ejLgmnAL._SL1100_.jpgハン・ガン 著 斎藤真理子 訳 白水社 ¥2,750

ウクライナで、ガザで、圧倒的な暴力が、抗う術さえ持たない人々を殺し続けている。無力感に打ちのめされるニュースが多すぎる。

韓国文学を牽引する作家ハン・ガンの小説は、不条理な暴力に人生を変えられた人々に捧げるレクイエムだ。自国で長くタブーとされてきた歴史にメスを入れ、声なき声に耳を澄まし、花束の代わりに静謐な言葉を手向ける。『少年が来る』では軍事政権に市井の人々が反旗を翻した光州事件を描いた。本作『別れを告げない』では済州4・3事件がモチーフになっている。

作家のキョンハは、虐殺に関する本を出してからなにかを暗示するような悪夢を見るようになる。友人で映画作家のインソンは、認知症の母親の介護のため8年前に済州島に帰った。事故で指を切断して入院したインソンと再会したキョンハは「残してきた鳥を助けてほしい」と頼まれ、済州島に向かう。

読みながら、ヤン・ヨンヒ監督のドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』(2021年)を思い起こさずにはいられなかった。1948年4月3日、アメリカ軍の統治下にあった済州島で朝鮮半島の南北分断に反対する武装勢力が蜂起すると、これを鎮圧するため、韓国軍と警察によって多くの島民が殺された。認知症になり、過去の記憶を忘れ去ろうとしていた監督の母親も、この時日本に渡って生き延びたひとりだった。

キョンハはハン・ガン自身がモデルだろう。本書と『スープとイデオロギー』は響き合っている。小説でふたりの女性の人生が響き合うように。歴史は過去の出来事ではない。私たちは皆、歴史の最先端を生きている。決して忘れない。それは復讐を誓うことではない。新たな光を灯すことなのだと、この小説は教えてくれる。

※この記事はPen 2024年7月号より再編集した記事です。