エムエーエスユー(M A S U)は、いまもっとも輝いているメンズファッションブランドのひとつ。デザイナーの後藤愼平は「FASHION PRIZE OF TOKYO 2024」を受賞して、コレクション発表の場をパリに移した。彼は男性的・女性的であることを意識せずファッションの境界線をなくし、大人と子どもの違いすら曖昧にしてしまう。セオリー破りなデザインが、セオリーに縛られたくない人たちを笑顔にさせる。パリでのショー発表を間近に迎えた2024年5月に後藤のアトリエを訪ね、デザイン発想の源泉と世界で勝負する意気込みを聞いた。
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学生時代から抱いていた、つくられた“常識”への疑問
──エムエーエスユーはモードデザインでありつつ、日本のローカルなファッションのテイストも散見されます。たとえばアメカジ、原宿ストリート、ギャル文化……。それらを見たことのない服にしてしまう手法に後藤さんの個性を感じます。
確かにエムエーエスユーは、まず対象があり、それを変えていくデザインが多いです。リメイクに近い発想でしょうか。昔に勤めていたデザイナーズ・アーカイブを扱うビンテージショップでは、古着のリーバイスのリメイクなどを手掛けていました。デニムのリメイク自体は中学生の頃からやっていましたね。ジージャンをアウトレットで買い、サバイバルナイフで切り込みを入れ、漂白剤でブリーチしてワッペンをつけて。自分のなかでジージャンの理想像があり、それに近づける服づくりでした。
──既存のものを自分流に変えていくことが、後藤さんのファッションデザインなのですね。変えたくなる対象は、どのようなところから着想されるのでしょうか。
世の中のすべてに対して、なかでも「偉そう」と感じることに対して、「なにかヘンだな」と思う自分がいます。つくられた“常識”への疑問です。学生時代の話をしますと、僕は地元、愛知の高校に通っていました。制服はありつつも、髪の色は自由でいい校則です。通学途中、シャツの上にカーディガンを着た生徒が、先生から怒られていたんです。「カーディガンの上には制服のブレザーを着なさい」と。髪の色が緑色でもなにも言われないのに、カーディガンがなぜダメなのか? それについて校長先生との話し合いの場を設けまして、言われたのは「カーディガンは印象が悪いと思う」という大人の意見。髪型も含めた全身の服装を整えるように求められるならともかく、カーディガン姿だけがNGなことに納得できませんでした。このような上から押さえつけられることへの疑問が、いまのファッションデザインの原動力のひとつかもしれません。
──中高生時代の後藤さんの服装はどのようなスタイルでしたか。
ギャル男です(笑)。兄が買っていた雑誌「メンズエッグ」を盗み読みしてました。ギャル男文化にもさまざまな要素があり、当時はハードなアメカジも含まれていました。リーバイスのベルボトム、レッドウィングのブーツなどを身につける服装。俳優の木村拓哉さんがそのスタイルに近かったように思います。ファッションを仕事にすることは中学生のときから決めていたので、高校卒業を機に、東京の文化服装学院に入学しました。この学校に決めたのは、世界に知られる有名なファッションスクールだから。
──文化服装学院といえば、後藤さんの憧れであるファッションデザイナーの山本耀司さんの出身校でもあります。
ヨウジさんの仕事には特別な想いを抱いています。ヨウジさんの感覚と哲学に感銘を受けました。男性服をつくるとき、“ガワ”でなく“内面”を見るデザインなのが素晴らしくて。2012年春夏コレクションでは日本の袴をたくさん打ち出し、すごくカッコよかったのをよく覚えています。学生時代はお金もないし、新品はあまり買えませんでしたが、新宿三丁目にヨウジヤマモトを扱う古着専門店があり、よく行きました。ワイズフォーメンも大好きでした。「日本人のための服だ!」と思えて。
──山本耀司さん以外に好きだった、または影響を受けたファッションデザイナーはいますか。
マルタン・マルジェラ、宮下貴裕さんなど。在学中から働いて卒業後に勤めたヴィンテージショップではリーバイス501を手でバラして、裁断状態にしてからスラックスに仕立て直す作業をしてました。それをオリジナルブランドとして販売して。いま思えばマルタン的なアプローチだったかもしれません。
──その店での日々の業務が、25歳で若くしてエムエーエスユーのデザイナーに抜擢された信頼感につながったようですね。
ヴィンテージショップは少人数でしたから、ブランドの運営自体を任されていました。企画も生産も経理も自分の仕事。やらないといけないからやっていた感じです。でもその経験が、既存のエムエーエスユーをまったく新しく生まれ変わらせた、現在のブランド運営に役立っています。
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パリで感じたコンサバ志向と、日本とのギャップ
──後藤さんは年に1組だけ選ばれる「FASHION PRIZE OF TOKYO 2024」の受賞をきっかけに、パリでランウェイショーをやるようになりました。エムエーエスユーの評判はいかがでしたか。
ファッションデザイナーとしてパリに憧れた世代ではないので、フラットな気持ちで海外発表に取り組むことができました。初参加で感じたのが、パリに訪れる各国のバイヤーが意外なほどコンサバ志向に思えたこと。パリは日本以上にオープンだと思っていたから、驚きの出来事でした。エムエーエスユーは男性体型を前提に服づくりした、確かなメンズウエアです。ただし女性的とされる要素もたくさんあります。海外の人にはその曖昧さが理解しにくかったようです。
──理解されにくかった理由はどこにあるとお考えですか。
パリで発表されるファッションブランドは、メンズ、ウィメンズなどはっきりとさせたがるのですが、メンズであるエムエーエスユーのテイストが明白に男性的でないことを不思議に感じる人が多かったのです。僕は男性がスパンコールのワンピースを着て、シースルーの服を着てもなんら違和感を感じません。日本のファッション関係者はそれを普通の感覚だと感じる人が多い気がします。エムエーエスユーは、セクシャリティを問わず誰でも着ていただける自由な服。そのポジションがパリではまだ受け入れられにくいようです。
──パリに来る世界の人がエムエーエスユーに感じた“モヤモヤ”を、次のコレクション発表で解消したくなりましたか。
いえ、もっとモヤモヤさせたくなりましたね(笑)。「わからないって面白い」と思えたんですよ。冷静に考えたら、日本のカルチャーでしか育ってない自分の服がすんなりと受け入れられるほうが不思議です。日本暮らしの僕らからしたら普通のことが、彼らにとっては普通ではないのですから。でも日本のアニメや漫画は世界で高く評価されています。エムエーエスユーが受け入れられるようになったら、似たような現象を起こせるかもしれない。
──2024年6月にパリに進出して2回目となるショーを行います(※取材時は発表前)。コレクションテーマは日本で独自に進化した「アイビー(IVY)」とのこと。後藤さんはアイビーにどのような思い入れがありますか。
実はこれまで僕は、アイビーを通ったことがまったくありません。いまになって強く興味が出てきたんです。元はアメリカの大学のアイビーリーグの学生たちの服装で、VANの石津謙介さんが1960年代に日本に持ち込んで流行らせたジャンル。銀座のみゆき通りに集まった若者たちは、いまの基準で見ると上品な服装ですが、当時の大人たちからすると不良でした。しかしその熱狂が一般層まで浸透して、今ではスタンダードとなった。日本のファッションカルチャーはその繰り返しで耕されてきたのです。ただ一度ファッションの土壌ができあがった後は、単なるファッションビジネスへと変化してしまいがち。僕はアイビーを知らなかったからこそ、新しい目線でなにかやれるんじゃないかと思っています。
──日本ローカルで進化したアイビーを打ち出すことで、パリの人たちをより戸惑わせる不安感はありませんか。
ショーを見ただけでは理解できない要素が多くなるかもしれません。でもそれでいいと考えています。モヤモヤを感じたら、日本のカルチャーを調べていただければいいので。自分の知らないカルチャーに触れることを愉しんでいただけたら。西洋的なエレガンスの土壌がない日本でしか暮らしたことがない僕がエレガンスをやっても、パリでは通用しないでしょう。それならば日本で見聞きしたことを素直にコレクションにすればいい。エムエーエスユーが勝負できるのは、きっとそこです。
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皮肉やユーモアを込めながらも、笑顔になれる服を
──後藤さんはエムエーエスユーを着る男性像をどのように考えていますか。
よく答える男性像は「優しい人」。その意味は、アニメ映画『トイ・ストーリー』を観て感動できるような人のことです。大人になる前には男性も、キラキラしたものや、なんにでもドキドキする感覚をみなが持っていたと思うんですよ。「男は男らしく」などと育てられるうちに、どんどん社会の型にハマっていく。その狭くなる前の感覚、子どもの頃に意味もなく石を拾い部屋に飾っていたような感覚を、僕は積極的にファッションデザインに取り入れます。社会に対する皮肉やユーモアを込めつつ、着る人が笑顔になれる服を目指して。
──それでは最後の質問です。エムエーエスユー以外に叶えたい夢はなにかありますか。
ずっと将来に実現させたいことなんですが、旅館をやりたいんです。1日1組だけの宿泊客で、チェックインの日にお客さんの身体を採寸して、翌朝に服をお渡しして持ち帰っていただく仕立て旅館。オーダーメイドの服を夜の間に縫い上げるシステムです。この企画を実現させるのは歳を取ってからでいいでしょうけどね。時代性が大切なエムエーエスユーは、いまの自分しかできない仕事。いまなによりもやりたいことは、エムエーエスユーのブランドを確立させることです。
MASU2024年秋冬コレクション
パリメンズコレクションに初参加したルック。いわく「優しさを武器にしたダークヒーロー」を思い描いたデザイン。英国トラッドな服とキラキラな服を織り交ぜたコレクションだ。
天使のモチーフ
後藤の仕事場に置かれた小物たち。天使はピュアな存在としてよく使うモチーフだが、「天使はドクロと同様にファッションに使うのは“危険”ではあるのですが、そこをあえて」。