ミュージシャンの玉置周啓のかっこいいものは、そのものがかっこいいというよりふさしいスピードでやってくるのが重要だと唱える。それは、ヒーローが遅れてやってくるのと同じだという。
Pen最新号は『新時代の男たち』。ここ数年、あらゆるジャンルで多様化が進み、社会的・文化的にジェンダーフリーの概念も定着してきた。こんな時代にふさわしい男性像とは、どんなものだろうか。キーワードは、知性、柔軟性、挑戦心、軽やかさ、そして他者への優しさと行動力──。こんな時代だからこそ改めて考えてみたい、新時代の「かっこよさ」について。
『新時代の男たち』
Pen 2024年7月号 ¥880(税込)
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放送のど頭から仮面ライダーが現れて敵を倒してしまったら、仮面ライダーのファンは生まれ得たのだろうか。突然テレビ画面に現れた昆虫人間が物言わぬ敵をタコ殴りにしていたら、なにも知らない視聴者はお客様相談室の電話番号を調べてしまうだろう。リモコンの青ボタンを押せば昆虫人間の大義がわかります、と言われても人は押さない。タコ殴り昆虫人間を推すわけがない。代わりに携帯電話のボタンを押す。
ドラマにしろニュースにしろ、情報には適切な伝達の仕方があり、前後の文脈や対象との距離感などがそれを左右する。だから主役は遅れてやってくる。主役がかっこいいというより、適切なスピードでやってくるものがかっこいい。
かつてRADWIMPSの「コンドーム」という曲が、ヤフー歌詞検索ランキングでトップ10入りを果たした。それも数年にわたって。タイトルがそそるからだろう。インターネットという新たな遊び場を獲得した若者にとって、それは河原に行かずとも拾える猥書だった。中学生時分の私も例に漏れず、むしろ好奇心が漏れるままに曲名をクリックし歌詞を読んだが、期待に反して綴られていたのは生きる意味を問うようなリリックだった。
保健の先生が放った「コンドーム」とは明らかに言葉の量感が違う。静かに騒めく教室や、どことなく感じる居心地の悪さ、それらから遠く遠く離れたところにポツンと浮かんだコンドーム。誰もが気を抜くような曲名から、誰かが息を呑むような歌詞へ。すけべの入口から、生命の出口へ。
雷に撃たれたように、かっこよかった。誰もが落雷したかは知らないが、少なくとも私はそれ以降コンドームと聞くだけで無闇に照れることをしなくなった。当時全国区ほどの知名度はなかったインディーバンドによる歌詞をマスと呼べるほど多勢の人が目の当たりにしたという事実。それもかっこよかった。
主役は遅れてやってくる。保健の先生が手を焼く価値観を、インディーバンドの卑猥そうな歌がひとっ飛びに伝えてしまうことがある。それが痺れるほどに、かっこいい。
「格好」の意味を調べてみると、①外見、②体裁、③ありさまとある。形容動詞としては「適当であること」という意味もある。格好の場所、というような用法がそれに当てはまる。そこで表現されているのは、やはり文脈やスピード感の適切さではないか。敵を倒すには格好のキャラとしての仮面ライダー、性教育を説くには格好の曲としてのコンドーム、そういうのをかっこいいと言うのではないか。
だから私は直感的にビビッと来たものを、かっこいいとまでは思わない。それはいっときの静電気。それよりも、長い時間をかけて痺れをもたらすものを好む。それはゆるやかな落雷。インターネットが遊び場から公共空間へと変わった現在、私は情報過多より情報過速がおそろしい。
いまや情報のほとんどは静電気であることを求められている。音楽も映画も語りすぎる。一方で作品考察やホラーが流行するのは、作品の意味や量感が伝わるスピードをあえて鈍化させるためのいわば反動ではないか。しかし同時に、語ること自体がかっこわるいとも思わない。鈴木ジェロニモの「水道水の説明」はむしろかっこいい。それは人がわざわざ伝えることを諦めた物質を、あえて伝え直そうとしているからだ。
メッセージは、それぞれ伝わるのにふさわしいスピードがある。担任の厳しさがあとからわかる、とか、別れた恋人の本意をいまさら汲み取ってしまう瞬間、それが最も人の心に深く刺さるものだろう。それが適切に伝わっているように感じられた時というのは、きっとコミュニケーションの格好がついている。
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