「大人の名品図鑑」ボブ・マーリー編 #2
伝説のレゲエミュージシャン、ボブ・マーリーの生涯を映画化した映画が公開される。『ボブ・マーリー:ONE LOVE』だ。すでに公開された全米などでの興行収入は初登場No.1を記録、日本でも話題になることは必至。今回はこの映画にも登場する、ボブ・マーリーが愛用した名品について解説する。
レゲエ界のスーパースター、ボブ・マーリーがジャマイカの首都キングストンから100キロほど離れた山奥の村で生まれたのは1945年。父親はイギリス軍人だったノーヴァル・マーリー。ジャマイカ生まれの白人で、年齢は50歳に近かったと言われる。母親は村で生まれたセデラ・マルコムで、ボブを授かったときにはまだ17歳。妊娠が発覚した後、セデラが強く望んだことでふたりは結婚するが、結婚式の翌朝にはノーヴァルはキングストンに戻ってしまう。白人と黒人のハーフとして生まれた出自、父親不在で過ごした幼少期のボブの姿は今回の作品でも印象的に描かれている。
ボブがティーンエージャーのころ、ジャマイカではアメリカから輸入された安価なラジオが急速に普及、条件さえ良ければアメリカのラジオ局からの最新のヒット曲が聞け、当然のごとくボブも音楽に魅了される。62年にボブは「ジャッジ・ノット」でレコードデビューを果たすが、注目されることなくレコードも廃盤になってしまう。
翌年、バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュら男女5人でグループを結成して「シマー・タウン」を録音する。この曲がジャマイカで大ヒット、2か月に渡ってチャートで1位を記録する。『レゲエ入門』(牧野直也著 ARTES)によれば、「当時の彼らの写真を見ると、男たちは髪を坊主頭のように短く刈り上げ、衣装は派手なシャツに目映いばかりのキラキラのステージ・スーツという、アメリカ黒人のドゥーワップ路線を踏襲している」とある。デビューしたころ、誰もが思い浮かべるドレッドヘア姿のボブとはまったく違った格好でステージに立っていたのである。
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愛用した帽子のルーツは「スコットランド」
同書によれば、ボブが「ラスタ」に傾倒していくのが66年。ラスタとはラスタファリアニズム(Rastafarianism)、またはラスタファリ運動(Rastafari movement)のことで、1930年代にジャマイカの労働者階級や農民の間に起こったアフリカ回帰を唱える運動を指し、ジャマイカではこの運動が政権側から弾圧された歴史もあった。実はドレッドヘアはこの運動を象徴するものと言われ、ドレッドヘアを覆うために彼らが被ったかぎ針編みのニット帽は、一般的に「タム帽」と言われている。映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』でボブを演じたキングズリー・ベン=アディルが、グリーンの無地、あるいはラスタカラーがボーダー状に編まれた帽子を被っているシーンがある。
このタム帽を歴史的に見ると、スコットランドで被られていた「タモシャンター」と呼ばれる帽子がルーツと言われている。これはスコットランドの詩人、ロバート・バーンズの散文詩に登場する主人公、タモシャンターに因んで命名されたもので、房飾りが付いた少し大きめのベレー帽といったデザインの帽子。素材にタータンチェックなどの布帛を使ったものが多い。ジャマイカが長く英国領であったことを考えると、スコットランドで生まれたこの帽子がジャマイカに伝わり現在のようなかぎ針で編まれたニットのタム帽になったと考えていいだろう。
今回紹介するタム帽は、大阪で2021年からスタートしたSAYOYON GALLERYの製品だ。オーナーはアパレル会社で長くニットのデザインを担当し、自分のブランドを始めるにあたって棒針やかぎ針の技術を改めて学び、手編みの准師範の資格を取得したと聞いている。このタム帽は大阪・心斎橋でWHEVというショップの古くからの友人から依頼され、製作したもので、一点一点、彼女が手編みで製作している。従来のタム帽とは違い、ランダムに編まれたボーダーの組み合わせも配色されたカラーリングも、とても洒落ている。ボブがこの帽子を被ったらどんな感じになるだろうか? そんな想像を掻き立てる出来栄えのタム帽だ。
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SAYOYON GALLERY
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