広島県大竹市の瀬戸内海に面し、開館1周年を迎えた下瀬美術館。四季の草花が咲き誇るアプローチを歩くと、ミラーガラスの外壁に自然の映り込んだエントランス棟がすがたを現す。枝を広げた大木のような柱が出迎える中、渡り廊下の先に企画展示棟や管理棟が連なり、青やオレンジなどのカラーガラスに覆われた8つの可動展示室が水盤の上に並んでいる。この極めてユニークな美術館の設計を手がけたのは、世界的な建築家の坂茂だ。なだらかな坂を上がった望洋テラスからは瀬戸内に浮かぶ島々も眺められ、エミール・ガレの庭ではガレの作品に因んだ植物を楽しめる。世界でも類を見ないような建築とアート、そして自然の融合した桃源郷のような美術館だ。
現在、下瀬美術館では「開館一周年記念 加山又造 ―革新をもとめて」が開催中だ。ここでは猫をはじめとする人気の動物のシリーズをはじめ、師の山本丘人の影響の見られる山岳風景、そして近世の日本絵画や北宋画を参照して生み出した水墨画などにより、日本画の旗手として活躍した加山又造(1927〜2004年)の造形の軌跡を辿っている。初期の意欲作『蒼い日輪』とは当時、経済的に苦しい生活を送っていた又造が、自らの不安や心情を痩せ細ったカラスに投影して描いたもの。一方で『黄山雲海』は雲海に覆われる中国の霊峰を、湿潤な空気とともに見事に描いている。ともに可動展示室の1室にそれぞれ1点ずつ公開され、スタイリッシュでかつ静謐な空間でじっくりと作品と向き合える。
京都の衣装図案家の家に生まれ、東京美術学校に進学し、戦後に日本画を革新していった又造。一見、広島と接点がなさそうだが、実は祖父に当たる田辺玉田と名乗った絵師は、京都から広島へやってきて結婚。父で図案家の加山勝也は、生まれた時は丹造という名で幼少期まで広島で過ごしていたという。そして又造も1945年8月6日、学徒勤労動員で海軍兵学校岩国分校に配属されていた際、B29襲来の警報で逃げ込んだ周防大島の山の斜面で原爆の閃光を目撃。その後、広島市上空に広がるきのこ雲を見たという。又造は終戦から数日後に岩国から無蓋貨車に乗り込み、焦土と化した広島を通過して故郷の京都へ戻る。その様子は自伝『白い画布』に書き残しているが、生涯忘れられない衝撃的な体験だったに違いない。
下瀬美術館を中心に、10棟のヴィラとレストランからなるSimose Art Garden Villaで構成される「SIMOSE」の敷地面積は4.6ヘクタール。いずれも美術館と同じく坂茂の設計で、木々に囲まれた「森のヴィラ」5棟のうち4棟は、紙管を主構造とする「紙の家」など過去に手がけた建築をリメイクしたもの。ほかは「水辺のヴィラ」5棟やレストランを含め、全てこの地のために新しくデザインされている。どの施設も対岸の宮島をはじめとする瀬戸内海を一望できる開放的な空間が広がり、レストランでは広島近郊で育った肉や魚、有機野菜などの食材を用いた極上のフランス料理が味わえる。瀬戸内のアート・オーべルジュとしてますます注目を集める「SIMOSE」へ、1周年の記念展が行われているいまこそ出かけたい。
『開館一周年記念 加山又造 ―革新をもとめて』
開催期間:開催中〜2024年6月30日(日)
開催場所:下瀬美術館(広島県大竹市晴海2丁目10-50)
https://simose-museum.jp/