ハラサオリは、美術家、振付家、ダンサーとして活躍するダンス・アーティストだ。現代美術のいち形態である「パフォーマンス・アート」と、身体表現による上演型作品を指す「パフォーミング・アーツ」の境界は近年ますます曖昧になった。ハラはまさにその領域を自由に往来し、活発に動き回っている。「環境と身体」という一貫したテーマのもと、自身や他者の身体、光、音、テキスト、ドローイングなど多彩なメディアを用いたパフォーマンス作品を制作してきた。
2017年、ベルリン芸術大学舞踊科ソロパフォーマンス専攻の修了制作として創作したデビュー作『Da Dad Dada』は、ミュージカル・ダンサーだった実父との生別と死別をもとにしたセルフ・ドキュメンタリーだ。作家自身の記憶と感情を解きほぐし手渡すような作品でありながら、客観的かつ批評的、さらに鋭利に洗練されたその作品世界が高く評価され、日本とドイツの二カ国で再演を重ねてきた。2023年には香港で再構成バージョンが上演されるなど、国内外で上演オファーの絶えないハラの代表作である。
約10年にわたるベルリン滞在を経て昨年帰国してからは、東京、横浜、神戸、京都など国内各都市で活動中だ。そして帰国後初となる新作長編がこの5月に上演される『P wave』である。ベルリンと東京の大学でデザインを学んだハラが本作で練りあげた運動と発語による現象のコラージュは、コンセプチュアルでありながら周到にデザインされた身体と空間が秀逸な作品。活動拠点をひとまず東京に定め、アジアの身体性という新たなテーマに向かってクリエイション中のハラを訪ねた。
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日本に軸足を移し、高い解像度で作品をつくりたい
――昨夏ベルリンより本格的に帰国してからは、東京、横浜、神戸のレジデンス拠点をめまぐるしく行き来する日々でしたね。公演でも京都、香港、さいたま、神戸と移動が続き、文字通り息つく間もない様子でした。
これまで腰が落ち着かないというか、遠くに行けば行くほどよいと思って、あえて動いていたところがあったんです。縁あって流れができて、ようやくキーホルダーの鍵が一個になりました。
――ドイツから日本へ拠点を移したことで、変わったことや新たに取り組み始めたことはありますか?
ドイツで作品制作する場合、美学やビジョンを文脈化する前に、自分自身の社会的なアイデインティティーの位置付けをする必要がありました。それ以前に、思考に深く潜っていく言語的な作業の段階で、日本語からドイツ語に翻訳しているうちに息継ぎに戻らなければならないという感覚でした。日本では社会的な設定なしに自分の思考を深めていくことのできる環境があります。そんなこともあっていったん、西洋社会と完全に距離を置くことに決めました。ふわふわした感じでいられる日本に軸足をおいて、もっとアジアの歴史を研究したいと考えています。
――帰国してからまもなく1年が経とうとしています。日本国内を移動しながら創作していくなかで発見はありましたか?
ここ10年、ドイツと日本を往還しながらリサーチや制作をしてきて、国という大雑把なカテゴライズではもはや解像度が粗いことに気づき、ディテールをもっと細かく見ていきたいと思うようになりました。たとえば、2023年から今年にかけて神戸のアーティスト・イン・レジデンスに滞在したプログラムで、関西拠点の塚原悠也さん(contact Gonzo)にメンターを務めていただきましたが、これが最強に鍛えられる体験でした。言語が変わると身体も変わるんですね。ユーモアひとつとっても、西と東の違いを肌で感じました。関西のノリを直感的に受け入れて「オモロ」さに乗っかってみると、酔拳ではないけれど身体が軽やかになって心地がよかったです。
――新作『P wave』では、地震大国の日本で生まれ育ってきたハラさん自身の経験から、それこそ肌感覚で捉えてきた身体性をテーマにしています。「恒常的・突発的にゆらされ、振動を受容してきた<受動的身体>を探求する」とのことですが、これはどういった経験から着想したものですか?
ドイツでは「受動性(passivity)」という概念自体がネガティブに捉えられがちでした。さらに、女性であり外国人である私がこのテーマを扱うのであれば、フェミニズムや移民の問題と接続しなければ無責任であると受け止められます。日本人の自分にとっては受動的な身体ってアクティブだしポジティブだよ?ということを伝えるための手続きが、ヨーロッパでは違うものになる。このテーマを携えて帰国してから、そのことがじわじわくるようになって、ドイツでは理解されにくかった<ポジティブな受動性>というアイデンティティを見つめ直したいと思いました。
――本作では研究者をドラマトゥルクに迎えています。2021〜22年、アンスティチュ・フランセ東京「哲学の夕べ 2022」の一環で、哲学者エマヌエーレ・コッチャの思想に応答するパフォーマンス作品『osmosisism』(*)の制作・発表を行った際、本作でドラマトゥルクを担う哲学者・下西風澄によるレクチャーと身体表現のワークショップを組み合わせた連続講座を開催していますね。
*現代美術家/パフォーマンスアーティスト小林勇輝とハラによるコレクティブ「蕊(ズイ)」として実施。
専門的な知見を持った下西さんに解説していただいて、エマヌエーレ・コッチャの著書『メタモルフォーゼの哲学』を紐解き、植物の受動性にならいながら人間の主体性を見直そうとしています。コッチャの思想は西洋では異端視されていると聞きますが、日本をはじめアジアの国々では親和性のある考え方ですよね。
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物が集合する環境は、アイデンティティを反映する
――クリエイションの様子を見ると、ダンサーや俳優など異なる背景を持つ出演者たちが、即興的でスピーディなかけあいを試しながら、動きや発語の実験をしていたのが新鮮でした。
このつくり方を試したのは今回が初めてです。これまではまず自分の美学があって、それをもとにダンサーたちの動きをコンポーズしていくというやり方が多かったので。今回は出演者たちやテクニカルスタッフと一緒に、マテリアル(素材)となる要素からつくっています。それぞれの得意・不得意なことを探りながら、ランダムにアイデアを出していって、その中でこれは粘れそうだなと思ったマテリアルがあれば飛び込んでみます。
――インプロヴィゼーションで支離滅裂な動きや言葉をやりとりする場面も多々あり、スリリングでした。
パフォーマー同士がその危機感を共有することで、ゆれと受動性を繰り返しています。言葉を発する身体は強い印象を与えるので、できれば文脈化せず言いっぱなしで並べることで、ストーリーのない時間が成立するようにしたい。今回は映像も使いますが、演者が手持ちでカメラを持って動くことで、空間をシェイクして揺らす機能を担います。「撮影する(shoot)」という言葉には「狙い撃つ」という意味もあり、カフカが<目の檻>と呼んでカメラを嫌ったように、互いに撮る・撮られる関係の中に暴力性が含まれるシーンもつくりたい。
――舞台となるフラットな空間には、三脚などの映像機材のほか、脚立や椅子、自転車といったさまざまな物が配置されています。舞台装置と捉えていいのでしょうか?
脚立は私の作品に頻繁に登場する“メンバー”で、もはや付き人と呼んでもいいかも知れません。装置やオブジェクトと、ゆらめき、どもる身体が舞台上で互いにどんな情報を受け取ることができるのか、その関係性を探りたい。物が集合する環境は、(作家や出演者の)社会的背景や個人史といったアイデンティティを反映するものだと思うからです。
――今後も「アジアの身体性」を探っていくとすれば、興味のある場所などありますか?
台湾に関心があります。台湾のパフォーミングアーツのシーンには、自分と同じ世代のアーティストやディレクターに決定権を委ねるような環境があるようです。社会全体に反骨精神やポジティブなエネルギーを感じました。滞在制作をしてみたいと思う場所のひとつですね。
――台湾やアジアは元気がありますよね。夏の予定はなにかありますか?
この夏はリサーチ期間として、クーラーをガンガンつけた部屋にこもって、本でもたくさん読もうかなと思っています。しばらくは「移動しない練習」ですね(笑)
ハラサオリ『P wave』(2021/ワークインプログレス)
ダンスパフォーマンス『P wave』
これまで身体をメディアとして知覚の世界を探求してきたハラは、本作では幼少期から日本で地震のリスクとともに生活してきた「振動と受容」の身体記憶から着想を得て振り付けに取り組む。タイトルは、Primary Wave=初期微動より。2021年同題にてワークインプログレスが上演され、以来2年半のリサーチ期間を経ての本公演を迎える。感覚器官を刺激する鋭利で空闊な運動現象のコラージュは、ダンスのみならず、アート、音楽、デザインのファンも必見。
『P WAVE』
作:ハラサオリ
出演:⽯川朝⽇、鈴⽊春⾹、藤村港平、ハラサオリ
開催日時:2024/5/10(⾦)〜12(⽇)
開催場所:ゲーテ・インスティトゥート東京 ホール(東京都港区⾚坂7-5-56)
料金:一般¥4,500、学⽣¥2,500
https://pwave2024.peatix.com