あまりに日常。それゆえ至高の発明品という評価が低いもののひとつにコピー&ペーストがある。誰もが当たり前に使う機能。僕が最も使うのは、もちろん原稿を書く時。最後の1行をコマンドX(カット)して冒頭に持ってくる。やっぱり違うなと、コマンドZで元に戻すことも多い。そして、コピー&ペースト以上に、カット&ペースト愛用者でもある。
コピー&ペーストの登場以前、複製は、それなりに大変だった。印刷、模造、贋札、量産、レプリカ。どれも複製を目的として生まれたもの。人は複製のための努力を惜しまずに、労力を捧げ現代の文明を築き上げてきた。文明の発展は複製の歴史でもある。
ラリー・テスラーという人物がいる。彼が2020年に亡くなった時に「コピペの生みの親」とした訃報が伝えられた。厳密には彼は命名者。コピー&ペーストがいつどのように生まれたものなのかは曖昧だ。ただこれは技術の歴史ではよくある話。同時期に何人もがそこにたどり着く。テクノロジーの普及は、気が付けば定着しているというケースが多いため、後から歴史を遡っても曖昧になってしまう。
ただコピー&ペーストが普及する背景には、パーソナル・コンピューターの普及初期の技術者たちの思想が反映されているのは確かなこと。その思想とは「すべての情報は自由に扱われるべき」というものだ。これは例だが、もし機密資料はコピペできないように設計すべきという意見が実装されていたら、それはいまのコピペではない文化が生まれていただろう。または、内容的に問題のあるデータはコピペできないという設計が組み込まれていたとしても同じ。それ以上にありそうなのは、コピペに課金せよという企業が出てくる可能性だ。イーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグがそれを言い出したら世界はどうなるだろう。あり得ない話ではない。コピー&ペーストには、情報の自由という意思から生まれたから、制限も検閲も課金もないいまの姿になったのだ。
ヒップホップのレジェンドで、誰もが大好きなDJプレミア。DJプレミアと言えばチョップの手法が知られている。「チョップ&フリップ」である。レコードの音を切り刻み、再構成する手法がチョップ。スネアドラムの音を違う拍に移動させたり、その際にピッチ(音程)をずらしたりしながら再配置するのがフリップである。元々、2台のターンテーブルで音をつなぐことから生まれたヒップホップだが、80年代半ばに登場したAKAIやE-MUのサンプラーの普及とともに変化した。
当時のサンプラーは、サンプリングタイムが10秒程度。つまり1秒のネタを10個保管していたらそれで精一杯。その足かせの中でDJたちはローファイな音色やループするビートを生み出した。チョップは、DJプレミアの発明ではないが、それをハイレベルに引き上げたのは彼の功績。奇しくもコピー&ペーストとヒップホップは、同じ1973年に誕生している。
『DJプレミア完全版』は今年の1月に刊行された。その直後にネットでこの本のブックガイド部分への疑義が呈された。注目されたものは、noteに書かれた「河出書房 『DJプレミア完全版』 とWikipediaの不可解な相似について」(https://note.com/genaktion/n/ncd7b889ce543)というもの。12インチレコードでのリリースよりアルバムやコンピレーションを重視したリストの作成方針への違和感と、誤記の多くがWikipediaの間違いと重なっていることの指摘。この指摘自体は、書籍のミス部分を的確に記した価値のあるもの。ただ、これら(他にも疑問や批判は多かった)に先立つネガティブな評がAmazonのレビューなどに影響したのは残念なこと。いや、影響を受けたのは僕だ。本はすぐ購入した。だが気が削がれ、最近まで目を通さずに過ごしたのだ。
本全体に瑕疵があるわけではない。むしろ、DJプレミアのミュージシャンとしての功績、時代ごとの評価、テクノロジーとの関係性、なにより多岐にわたる仕事の全体像、どれも内容は申し分ない。特に荏開津広によるパブリック・エネミー、ジャングル・ブラザーズら同時代のミュージシャンたちとの違いについての記述は感動的。
「過去に現実に存在した「ブラック」カルチャーへ向かいつつ、同時にジャズをテクニカルに組み合わせることを通じて、芸術的な豊かさの方へ、つまり「仮構された「リアル」」へと聴き手を誘う。これにより楽曲は構造的に「未来」を指向することになる」(『DJプレミア完全版』P11)
ここだけループのように何度も読み直した。なぜ楽器の演奏よりも、DJの構築した音楽に人は夢中になってしまうのか。なぜその中でもDJプレミアが特別なのか。それを指し示す文章の最後に荏開津は「1980年代後半を生きるDJ独自の俯瞰の視点によって飲み(原文ママ)可能なものだ」と結論づける。締めの箇所に誤字があることが少し惜しい。とはいえ誤字は誤字。別に意味を読み違えることはない。むしろそれは紙の出版物のメディア的な特性であり、アナログレコードのノイズのようなものとして受け止めよう。
チョップ&フリップは、カット&ペーストが存在する世界に生まれている。コンピューターの記憶のバッファ領域を使って生み出された芸術。それを間違いなくDJプレミアが最高のレベルに引き上げた。コピーだからダメとか価値がないとか、そういうレベルを遙かに超えたところにあるもの。ネットの空気に一瞬、流された自分が馬鹿だった。