植物や自然に対する人間や社会との関係性をテーマに制作を行う現代アーティスト・平子雄一。4月2日まで東京ミッドタウン・ガレリアにて開催されていた、フランスのリモージュ磁器を代表する老舗ブランド、ベルナルドの展覧会に行き、その完璧なまでの職人技に触れたという。今回、彼のアトリエを訪問し、改めてベルナルドと自身のものづくりについて話を訊いた。
アートは自然への向き合い方を考える中継地点
東京郊外にある平子雄一のアトリエには、頭部が木の形をした木製の彫刻が何体も並んでいた。カラフルでポップな外見だが、そこにはなにやら人を寄せ付けぬ不気味さを湛えている。100体の木の人形で構成される『Wooden Wood』シリーズを、6月に韓国で開催される個展に向けて目下制作中だ。
岡山出身の平子は幼い頃から自然に囲まれて育った。通学路には田畑が広がり、薮や山に入ってはよく遊んだという。
「僕にとって自然は身近なものでした。それがヨーロッパ都市で生活するうちに、人々の自然との接し方の違いに気づいたんです。ひとつの例を挙げると、ヨーロッパの人々は、単一神であるキリスト教を布教するため教会の周りに人間の生活圏をつくり、森は人間が制御できない危ない場所として一線を引いていた。やがて近代に入ると、ヒトの住む場所を拡大するため大量に伐採を始めた。そして現代では、破壊しすぎたことに気づいて自然を保護する方向に舵を切ったんです。そんな自然に対する、人間の極端な歴史の上に成り立っている社会にとても興味を持ちました」
文化によってアプローチの仕方は違えど、人間は常に自然と関わりを持ってきたと平子は言う。
「自然はモノ言わぬ存在で、一つひとつは弱いものだけれど、規模が大きくなると制御できなくなる。人間がコントロールできない唯一の存在でもあると思うんです。将来、自然と人間は豊かに融合するのか、それとも生活圏との間を完全に区切ってしまうのか、個人的にはどちらの未来も否定できないと思っている。僕の作品を見てそれぞれがどう感じるのか、それが自然への向き合い方の答えだと思う。僕の活動はみんなの思考を促したり、新しいアイデアにつなげるための中継ポイントなのかもしれない」
平子の作品を見た鑑賞者は、自然に対してフレンドリーな感情を抱く人もいれば、“怖い”という感情を抱く人もいるという。
「小さな子どもは、僕の作品を見て怖がることもあります。自然に対してポジティブなイメージを刷り込まれていないからでしょう。一方で自然の脅威を実体験として知っている老人もまた怖い、という感情を持つようです。都会に住んでいて安全なキャンプ場でしか自然と接していない人は怖さに気づかないのかもしれない」
『Wooden Wood』シリーズに使われている素材は、ホームセンター等で手に入る桐の板だ。それを張り合わせ、ひとつの塊に成形してから彫刻する。
「製品化された材木をまた自然物のような造形に戻して作品をつくる工程は、現代におけるパッケージ化された自然を揶揄している部分もあるんです。木目調のフローリングとか、木目調のシールを貼った家具とか、僕たちの生活の中にはパッケージ化された自然がたくさんある。自然の表層だけを切り取って利用している人間の営みにも興味があります」
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既存の範疇に収まらず、新しいことに挑戦する姿勢に共感
立体作品だけでなく、平子はこれまでにペインティングやドローイング、彫刻、サウンドパフォーマンスなどさまざまな表現手段を試みてきた。
「作品制作に使用する素材や表現手段はコンセプトを補うものであって、ひとつのものに限定していません。マテリアルが先にあるのではなく、常に自由に思考していたい。素材選びに関しては、直感を大切にしています」
そんな平子はベルナルドの製品をどう見ているのだろうか。
「160年という歳月をかけ、同じ素材に向き合って製品をつくり続けていることにリスペクトを感じます。そこにはひとりのアーティストだけでは到達できない世界があります。しかも、JRのようなコンセプチュアルなアーティストの挑戦を受けて立つ姿勢も素晴らしい。ある一定の範囲で制作している工業製品の場合、自分たちの範疇を超えたやり方に対して拒絶反応を示すのが当たり前。ベルナルドは既存の範囲に収まることに飽き足らず、アーティストと協業することで技術をさらに蓄積し、財産にしている。これは作家の思考に近いのではないでしょうか」
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アートも工芸も、一線を超えた先に本物がある
超絶技巧を持ちながら、伝統工芸に甘んじないベルナルドの果敢な姿勢に共感するという平子。シグネチャーである「エキュム」を手に取りながら細部に目を凝らす。
「一見、技術がわからないところが素晴らしい。これをつくる現場には膨大な努力があるはずですが、それを感じさせないのが彼らのプライドだと思います。ただ美しいものとしてそこに成立している。現代では手づくりの製品と工業製品の技術が限りなく近づいていますが、それを見分ける目を持つことも大事ではないでしょうか」
超えられない一線を見極める目を持つことは、アートの世界でも同じだという。
「アートの良し悪しは数字では測れない。上手につくる人はたくさんいるけれども、本物と呼ばれる作品とそうでない作品との間には、小さいけれど深い溝がある。それを見極められる人がさらに上のレベルへ行けるのだと思います」
長い時間をかけて蓄積されてきたベルナルドの製品には一線を超えた美しさがあると平子は言う。無数の泡の凹凸をちりばめた「エキュム」には、緻密な技術が集結しているが、それを感じさせない圧倒的な存在感を放つ。最後に、「エキュム」をどんなシーンで使いたいか尋ねた。
「自分に気合いを入れたい時ですね。入れる料理はなんだっていいと思います。魂を込めてつくられたモノを使う時は、自分もそれに負けないものをつくらねば、と励みになります」
ベルナルド