一本の橋が架かることで地域の人や物の行き来が格段にスムーズになり、地域の発展や安定につながる。国際協力機構(JICA)は1970年代から、途上国に2,000を超える橋梁を建設し、その維持管理にも協力を重ねてきた。
「途上国では、河川がコミュニティを分断している場合が多く、それを解消するのが橋です」と、長年国内外で橋梁建設に携わってきた辰巳正明さんは語る。橋がなければ渡れる場所まで遠回りするか、船を利用するしかない。時間もかかり、運べる人やモノは限られる。
JICAは、生活の利便性を高め、経済発展に寄与するインフラとして多くの橋梁建設に協力している。辰巳さんがJICAのプロジェクトに初めて関わったのはコンゴ民主共和国のマタディ橋だ。1970年代、コンゴ川下流に橋を架け、内陸部で採れる豊富な銅を大西洋に面した港まで鉄道で運ぶ計画が持ち上がった。そこで協力を要請されたのがJICAだった。「計画された橋は、鉄道と車の両方が通行できるもの。私も参加した瀬戸大橋も同じ造りです。マタディ橋では、橋の構造や、鉄道を通すために日本で研究された溶接技術などが活用されました」
地域経済の発展を牽引する橋もある。カンボジア、メコン川にかけられたネアックルン橋、通称つばさ橋はその一つだ。2000年当時、カンボジアの国道1号線はメコン川で分断され、対岸に渡るにはフェリーしか手段がなかった。「利用する人や車が増え、ピーク時には7時間待ちということもありました」とJICA社会基盤部次長(取材当時)の小泉幸弘さんは振り返る。つばさ橋の完成で、ホーチミン(ベトナム)とバンコク(タイ)をつなぐ南部経済回廊がつながり、ホーチミンとカンボジアの首都プノンペンまで、12時間かかっていたものが6時間で行けるようになった。「橋なら24時間、365日いつでも通行できます。ベトナムからカンボジア、そしてタイへつながる交通や物流の大動脈が生まれ、国境を超えた経済圏の形成の一翼を担っています」
JICAの協力は大規模な橋梁の建設に限らない。人々の生活に密着した小規模な橋を架け替える場合には、必要な部材や架設工具の調達を支援し、施工は地域の企業が行う場合もある。短期間で多くの橋が整備でき、地域の雇用も生むためニーズが高く、こうしてつくられた橋はベトナムやフィリピンなど世界中に多数ある。
橋はつくって終わりではない。安全に使用し続けるには維持管理が必要だ、と二人は口を揃える。そのためにJICAが実施する橋梁の保守点検を学ぶ研修は人気コース。橋の管理を担う途上国の担当者が参加し、日本各地の橋梁維持管理の現場も訪問する。マタディ橋は23年に完成から40年を迎えたが、日本で学んだ「橋守もり」の技術や考え方を受け継いでいて、今でもきちんと整備されている。「多くの国で、保守点検を続けるネックになるのが予算の確保です。そのためには国際的な物流の要衝に位置する橋梁などは開通時から通行料金を徴収し、それを保守点検に使う仕組みが必要だと思います」と辰巳さんは指摘する。
そして橋は「平和や友好の象徴でもある」と小泉さんは語る。「つばさ橋は日本の協力でつくられたことが広く知られ、カンボジアの紙幣の絵柄にもなるほど親しまれています。22年に完成した南スーダン初のアーチ型鋼橋は、スーダンから分離独立した同国の平和と自由、未来への希望をこめてフリーダム(自由)・ブリッジと呼ばれています」。辰巳さんも「橋が架かり、人々が自由に、安心して行き来できるのは、その地域が平和である証しです」と語る。橋が機能する社会のために、これからもJICAの協力は続く。
オリエンタルコンサルタンツグローバル 技術顧問
辰巳正明さん
TATSUMI Masaaki
1972年、本州四国連絡橋公団入社。81年、マタディ橋の建設に従事。99年、オリエンタルコンサルタンツグローバル入社。JICAの専門家として途上国の橋梁建設などに携わる。
JICA 社会基盤部 次長
小泉幸弘さん
KOIZUMI Yukihiro
大学・大学院時代に土木・交通計画を専攻し、橋の魅力を知る。1993年、JICA入団。インフラ分野の事業に関わる。ネアックルン橋のプロジェクトには最初から最後まで携わった。
※所属先は取材当時
JICA Magazine
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本記事はJICA Magazineからの転載です。