リヨン・オペラ座バレエ団やトリシャ・ブラウンダンスカンパニーなど、欧米の名だたる舞踊団から作品委嘱の声がかかるノエ・スーリエ。彼は自身のダンス言語を洗練させ、踊りの「新感覚」を生み出している。劇場舞踊だけでなく、美術館や野外でのパフォーマンスも評価が高い。2019年に日本で開催されたシアター・オリンピックスでの公演以来、待望の日本ツアーがまもなく始まる。
1987年、フランス・パリで生まれたノエ・スーリエは、パリのコンセルヴァトワールやカナダのナショナルバレエ学校で、クラシックの技術を習得し、ベルギーのブリュッセルにある(アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルが創設した)P.A.R.T.S.では、コンテンポラリーダンスのレパートリー作品を踊る。
また、スーリエはそうしたダンスのトレーニングをしながら、アカデミックな学問を修めている。ナンテール大学で哲学の学士号を、ソルボンヌ大学でその修士号を取得。その後、CND=国立舞踊センターから書物『Actions, Mouvements et Gestes』を出版している。
スーリエのこのような身体も言語も鍛えようとする姿勢は、創作の成果や地位の獲得にしっかりつながっていく。彼は20代前半で、パリの市立劇場とレンヌのミュゼ・ドゥ・ラ・ダンスが主催するコンクール「ダンス・エラルジー」において最優秀賞を受賞し、また、パレ・ドゥ・トーキョーのアーティスト・イン・レジデンスプログラムにも参加、10年後にはアンジェの国立現代舞踊センターのディレクターに就任する。今日、フランスの新世代を代表する作家として、国内外の有名舞踊団から振付を依頼されている。
アンジェの国立現代舞踊センターについて少し補足しておこう。このダンスセンターは、フランスで1980年代から(既存の劇場などをリニューアルしつつ)名付けられていった「国立振付センター(Centres Chorégraphiques Nationaux=CCN)」のひとつである。
アンジェの機関は、現在19あるセンターの中でも唯一「いまの時代の」と形容された「コンテンポラリー」ダンスのセンターだ。ここからは、かのアルベールビル冬季オリンピックの開会式演出で一躍スターとなった振付家フィリップ・ドゥクフレや、コンテンポラリーダンス界におけるマルセル・デュシャンともいわれるジェローム・ベルらが輩出している。
この現代舞踊センターのディレクターには種々の能力が必要となる。次の3つは重要だ。創作と教育と普及。創作は、最先端のアーティストとして作品を創ること。教育は、学校の指導者として後進を育てること。普及は、地域文化の担い手としてワークショップや公演のプログラムを組むこと。アンジェのセンターは、こうした新作の生まれる工房機能、新しい人が育つ学校機能、新たな気質や倫理が街へと広がる会館機能をもっており、そこのディレクターにはこれらを活かす力が求められる。
ちなみに、スーリエが2020年から就いたこの職の前任者、ロバート・スウィンストンは、アメリカンモダンダンスの改革者マース・カニンガムと長く仕事をし、彼の死後にカンパニーの振付監督をも担った、カニンガム舞踊のいわば遺産継承者である。スーリエは幼き頃、カニンガムの映像に触発されてこの道へ入ったそうなので、不思議な巡り合わせと言うものだ。
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さて、スーリエは今回、日本でツアーを行う『The Waves』に関して、公演会場となる彩の国さいたま芸術劇場やロームシアター京都が開いたインタビューで次のように言っている。彼が『The Waves』をつくるにあたり、ヴァージニア・ウルフの小説『波』に惹かれたのは、ウルフがこの作品で、一般的な道具(言語)の特殊な使い方を通して、個人的な体験(私の意識・時間)を表現した点にある。
「ダンスは小説のアダプテーションではありませんが、形式において共鳴しています。私たちは個人的な経験を語るときに、言葉を使います。でも言語はすべての人が使うので、私の経験の“特別さ”を表現できません。〔中略〕ウルフは、心や身体の感覚をそのまま他者に伝達できるパーソナルな言語を探求しました。〔中略〕私が『The Waves』で試みるのは、言語ではなく、ダンス、身体によって、ごく私的な記憶や感覚を蘇らせ、観客が内に秘めた感覚や感情と共振させることです。」(出典 https://rohmtheatrekyoto.jp/archives/interview_noesoulier)
最後の「ダンス、身体によって」の内実こそ、スーリエの特異性と言えるのだろう。彼は普段の行為を特別な身振りへと変え、それをつないでダンシーな運動とすることで、他にはない彼固有の、そしてそれが踊り手自身のでもある、ダンス言語を開発する。
「言葉では再び立ち上げるのが困難な経験の一断面を、ダンスは捉え、強調できる。とはいえ、たとえばクラシックバレエのパ(ステップ)のようにムーヴメントを形式的に定義し規範化すると、出発点であるごく私的な経験から離れてしまう。どうしたら確固たる方法論に基づきながら、極めて私的な経験の感覚を観客と共有できるか? それが私がこの作品で試みている問いかけの一つです。」(出典 同)
「『The Waves』では、私が“空間にある架空のオブジェを叩く” “叩く動作に本来は使わない身体の部分で叩く”などの指示を出し、ダンサーが動きをつくり、それを最初の“叩く”動作が見えなくなるまで変化させました。こうして複数のムーヴメントをつくり、それらをつないでいきました。指示は具体的ですが、現実には無い状況です。でも“叩く”という日常的な動作は、ダンサーの内部にその人独自の感覚や感情を生みます。動作は変形されるのでこの感覚や感情は表には出ず、ストーリーを語ることはありませんが、実際の行為がベースにあるので完全に抽象的でもない。一方で、これらのムーヴメントをつなげる方法には、ダンサーの個性が強く現れます。こうしてダンスはムーヴメント自体の美とダンサーの個性、形式と感情の両面を含む豊かさを獲得します。」(出典 同)
私たちは、ダンサーらとスーリエのこうした挑戦的な試みに『The Waves』を通じて立ち会うことができる。作品の鑑賞が、単なる気晴らしではない刺戟の時であることを、彩の国さいたま芸術劇場やロームシアター京都は教えてくれるだろう。
鑑賞の予備知識として、日本語で辿れるインタビューから『The Waves』の創作法を垣間見たが、スーリエが他でも話していることをふまえると、彼の振付芸術への関心はふたつあるように思われる。ひとつは、上記のように、日常の行為すなわち目的をもった動作から、言い換えると多くの人が感覚的、心情的にわかる動きから、ダンスの新言語をつくりだすこと。もうひとつは、脱中心的な思想による――美術のもの派的な考え方に近いと言えるだろうか――対等性ないしは関係性の享受である。
後者について一言し、このプレビューを締めるとしよう。スーリエは、先に見た通りこの作品で、バレエのパのような個人の感覚や心情から離れて存在する舞踊言語にはよらず、かつ、その個性が強まる抽象化の途を求めている。この方途は、「叩く」「投げる」「捕る」「避(よ)ける」などの普通の動作を、通常行うそのまとまりをもった「叩く」以上の、あるいは以下のものへと化けさせつつ、究めてゆくものだ。
ダンサーは投げながら回り、あるいは飛び跳ね、叩く途中で避け、捕りそうで倒れたりする。その動きの足し引きは、私たちがその動きの幾分かを知っているだけに、私たちの記憶を揺さぶり、私たちの胸に独特な感じを湧き起こらせるだろう。心情の儚い継起に身をまかせたり、あるいは感覚の唐突な切断や暴力的な貫入に驚いたり……。こうしたモンタージュの効果、もの派的なセンスというべき、あいだの妙味が、デュオやトリオ、セクステットで、そしてミュージシャンの演奏とともに現れてくる。
京都では『The Waves』の公演翌日、劇場の外で『Passages』も上演される。この時季、観光客も賑わう岡崎公園と隣接するローム・スクエアでのパフォーマンスだ。人々の何気ない振る舞いが目に入る広場で、そして環境音も飛び交う中、ダンス言語へ練り上げられたパフォーマーたちの身振りは、どのように感じられるだろうか。楽しみでならない。
富田大介
明治学院大学 文学部芸術学科准教授
研究領域は美学、芸術社会論、ダンス史、アートプラクティス。学術博士(神戸大学)。パリのポンピドゥ・センターでの上演をはじめ、レジーヌ・ショピノ振付作品に多数出演するほか、芸術選奨推薦委員や文化庁芸術祭審査委員など、ダンスを中心に舞台芸術の審査委員も務める。論考に「土方巽の心身関係論」(舞踊學35号)、編著に『身体感覚の旅』(大阪大学出版会)、共著に『残らなかったものを想起する ──「あの日」の災害アーカイブ論』(堀之内出版)などがある。
ノエ・スーリエ『The Waves』
【埼玉公演】
公演日:3月29日、30日
会場:彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
TEL:0570-064-939
www.saf.or.jp
【京都公演】
公演日:4月5日
会場:ロームシアター京都
TEL:075-746-3201
https://rohmtheatrekyoto.jp
※4月6日に屋外公演『Passages』を上演予定(入場無料・予約不要)