身体を休めるだけでなく、仕事や勉強、あるいは食事や社交など、生活のあらゆる場面と深く関わる椅子。それは多くのデザイナーや建築家の創造性を刺激するだけでなく、アーティストにとっても魅力的なモチーフとして扱われてきた。玉座のように権威の象徴になることもあれば、車椅子のように身体の補助になることもあり、また電気椅子のように死や暴力とも無縁ではない。そしてアーティストたちは椅子のもつ意味をとらえ、作品を通じて社会の中の不和や矛盾、個人的な記憶や他者との関係性などを浮かび上がらせてきた。アートにおける椅子は、日常で使う椅子にない逸脱したようなあり方によって、人々の思考にも揺さぶりをかけている。
埼玉県立近代美術館で開催中の『アブソリュート・チェアーズ』とは、道具やデザインとしての視点ではなく、現代アートを通して椅子がもつ多様な意味や象徴性を考察するユニークな展覧会だ。会場では国内外の28組の作家による、平面や立体、映像作品をあわせて83点を公開。このうち吹き抜けのセンターホールには、カナダ出身のミシェル・ドゥ・ブロワンが、約40脚の会議椅子を用いて作った『樹状細胞』が展示されている。これは木の枝のような突起に覆われた免疫細胞の一種の外見を模した作品で、球体の形態にはヒエラルキーや中心もないが、椅子の脚が棘のように突き出す様子は、まるで外部からの侵入者を拒んでいるようにも見える。
マルセル・デュシャンの『自転車の車輪』やジム・ランビーの『トレイン イン ヴェイン』は、既製の椅子を素材に取り込みつつも、座ることは叶わない作品だ。いずれも椅子という形を借りながらも、独自の手法で機能を変容させ、コンセプチャルな問いを発している。一方でアンディ・ウォーホルの連作「電気椅子」や、内戦終結後に大量に残された武器を用いたリストヴァオ・カニャヴァート(ケスター)の『肘掛け椅子』などからは、死や暴力、権力に対して椅子がどのように表現されていたのかを見ることができる。このほか、家具や日用品を糸で再現するYU SORAのミシンによるドローイング『my room』や、ナフタリンで象られた椅子が樹脂に封入された宮永愛子のオブジェなど、日々の生活の延長上にある椅子の記憶や物語を呼び起こす作品も見どころといえる。
展示室内には山田毅と矢津吉隆によるユニット・副産物産店が、作品輸送用のクレートや過去作品の残材などを再利用して作った風変わりで楽しい椅子が置かれ、来場者は自由に座ることができる。1982年の開館時より近代以降の優れたデザイン椅子を収集し、館内に設置してきた埼玉県立近代美術館。当初のコレクションは約30種だったものの、現在は約70種類まで増え、教育普及事業や展覧会の開催を通して椅子の魅力を発信し続けてきた。その「椅子の美術館」がデザインの文脈を離れた視点で挑む展覧会にて、「アブソリュート=絶対的・究極的」から導かれるアートにおける椅子の絶対的な魅力とは何かを考えてみたい。
『アブソリュート・チェアーズ』
開催期間:2024年2月17日(土)〜5月12日(日)
開催場所:埼玉県立近代美術館
https://pref.spec.ed.jp/momas/
※愛知県美術館(会期:7月18日〜9月23日)との共同企画