「大人の名品図鑑」クリント・イーストウッド編 #2
ハリウッド、いや世界を代表する俳優であり、映画監督として知られるクリント・イーストウッド。今年で93歳になるが、いまだに現役で精力的に活動を続けている映画界の“生きるレジェンド”だ。今回はそんなイーストウッドが出演した数々の映画に登場する名品について考える。
セルジオ・レオーネというイタリアの監督に出会い、彼が監督した『荒野の用心棒』(64年)に始まる3部作のマカロニ・ウエスタン映画でクリント・イーストウッドは世界的な俳優の仲間入りを果たす。その後、アメリカに凱旋し、大スターの地位を不動のものとした作品が、71年にアメリカで公開された『ダーティーハリー』と見て間違いないだろう。
この作品を監督したのはドン・シーゲル。イーストウッドとは『マンハッタン無宿』(68年)や『真昼の死闘』(70年)、『白い肌の異常な夜』(71年)ですでにコンビを組んでいたが、『ダーティーハリー』の大ヒットで2人は世界にその名を轟かすことになった。
『クリント・イーストウッド ハリウッド最後の伝説』(マーク・エリオット著 早川書房)によれば、『ダーティハリー』の脚本は最初、ポール・ニューマンに手渡されたが、ニューマンは右翼寄りすぎと断り、次にフランク・シナトラが指名されるが、彼はファンの目を恐れ尻込みし、イーストウッドにハリーの役が回ってきたと書かれている。イーストウッドは「激しい怒りという要素を表現するチャンスになる」とこの役に大いに魅了されたという。
物語はアメリカ西海岸のサンフランシスコを舞台に、任務遂行のためには暴力的な手段も辞さない市警殺人課の刑事ハリー・キャラハンが偏執教的な連続殺人犯スコルピオとの攻防を描いたアクション作品。同じ年にアメリカで公開されたウィリアム・フリードキン監督、ジーン・ハックマン主演の映画『フレンチ・コネクション』と並んで70年代のアクション映画の傑作のひとつと評され、その後のアクション映画にも多大な影響を及ぼした作品だ。1作目は大ヒットし、『ダーティーハリー5』(88年)まで5作品がつくられ、『ダーティーハリー4』(83年)ではイーストウッドが自ら監督を務めている。
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ダーティ・ハリーのアイコンの1つ、レイバンのサングラス
『ダーティハリー』シリーズでイーストウッドが身に着けているのが、グレーのヘリンボーン柄のツイードジャケット。ディテールこそ違いはあるが5作品すべてで同じような柄のジャケットを着ている。夏でもツイードのジャケットを着られるサンフランシスコの気候もあるだろうが、まるでユニフォームのようにイーストウッドは同じようなジャケットを選んでいる。
同じように5作品でイーストウッドがいつも掛けていたのがサングラス。シリーズが進むとデザインが違ったタイプも登場してくるが、1作目で選ばれたのが、レイバンの「バロラマ(BALORAMA)」というモデルだ。1967年に初めてリリースされ、その後90年代後半にリバイバルして同ブランドを代表するモデルとなった。顔にフィットする湾曲の強い「9カーブ」のレンズを装備、シンプルなレクタングルシェイプ(四角いレンズのフレームを総称して「スクエア」と呼ぶが、その中でも縦横が狭い長方形をこのように呼ぶ)が、殺人犯を追う刑事を演じるイーストウッドに精悍なイメージをもたらす。
そもそもレイバンというブランド名は「光を遮る」という意味で、機能そのものに由来している。サングラスを開発するきっかけとなったのは1923年。米軍のパイロットが飛行機を操縦する際に起こる、太陽光線に起因する眼球疲労や視力低下を緩和する高精度のレンズの開発を軍から依頼される。6年の歳月を掛けて高機能のレンズを開発、30年に完成したレイバングリーンのサングラスは、米陸軍航空隊に制式に採用される。36年には一般にも発売、その後は世界中で幅広い世代に支持され、サングラスの代名詞的な存在になる。
そんな確かな歴史を持つレイバンの名作「バロラマ」は、『ダーティハリー』の主人公ハリー・キャラハンのキャラクターの一部になって見えるほど、イーストウッドに似合っていた。
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