Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第15回のキーワードは「嫌いな人をつくらない」。
先日、新刊が出た。新しい本が出る時は新しい読者を獲得するチャンスでもあり、著者としてはそれなりに緊張するものだったりする。自分の本に対する感想をなるべく見ないようにしている作家もいるが、僕の場合はどちらかというと積極的に見るようにしている。自分から感想を探しにいくと、もちろんポジティブなものにもネガティブなものにも出合う。
このことは以前にも書いているが、「面白かった」や「つまらなかった」という感想はあまり気にしない。読者の感想を僕がコントロールすることができないからだ。人類全員が気に入る小説なんて存在しない。そもそも、もし仮に人類全員に気に入られようとして書かれた小説があったとしたら、そんな小説は嫌いだ。僕が好きな小説は、僕のもっていた思い込みや価値観をゆるがしてくれる――つまり、ある意味で僕を“傷つけてくれる”ような作品だ。
この考え方は、昔から僕が人間関係に対して思っていたことを応用しているだけだったりする。誰かに嫌われたり、人間関係がうまくいかなかったりすることに思い悩む人は数多くいるはずだが、そういった話を聞くと僕はいつも「傲慢だなあ」と思ってしまう。僕の小説を読者がどう感じるか、僕がコントロールできないのと同様に、他人が自分に対して「好き」とか「嫌い」とか感じることをコントロールすることなんてできない。みんなに好かれようとする人は、いわば他人の感情をコントロールしようとしているわけで、僕はそこに傲慢さを感じとってしまうのだ。
もちろん、仕事や立場上の都合で、嫌われることが自分の不利益になる存在もあるし、そういった人との関係性がうまくいくように可能な限り努力する必要はあるだろう。僕だって、そういった場面には遭遇する。でも、僕たちにできるのはあくまで努力することまでで、結果として相手がどう感じるかについてはなにも関与できない。
人間関係で僕が気をつけているのは、「相手のことを嫌いにならない」という一点だけだ。他人の感情はコントロールできないが、自分の感情はある程度コントロールできる。第一に、「嫌いになりそうな人となるべく出会わないようにする」。気が進まない飲み会や、素性のよくわからない人が多そうな場には行かない。そういった誘いは積極的に断っていく。第二に、「嫌いになりそうな人と出会ってしまったら、なるべく会わない」。どれだけ気をつけていても、どうしても苦手な人と知り合ってしまうこともあるが、そういう人とは距離を置く。自分との関係性があるから「嫌い」だと感じるわけで、関わらなければ好きも嫌いもない。SNSなどで、不快な投稿をする知人などはミュートする。僕の好みではない本を書く作家の本はなるべく読まない――これも処世術のひとつだ。
他人の感情より、自分の感情に気をつけること。たとえば僕は「誰からも嫌われないようにしている人」のことが嫌いだ。その人が本当はなにを考えているのかがわからないからだ。僕みたいな人間がいる以上、「誰からも嫌われないこと」なんて不可能だと思っていたりする。
僕たちは多くの場合、自分のことを好きな人のことは好きになるし、自分のことを嫌っている人のことは嫌いになる。「相手から自分がどう思われているのか」という、考えても仕方のないことに思い悩む前に、自分がなるべく相手のことを嫌いにならなくて済むように、適切な距離感をつかむことが重要なのではないか――そんなことをよく考えている。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。
※この記事はPen 2024年3月号より再編集した記事です。